第21話 悪魔の契約

 それからのクライスの行動は早かった。弟であるフォルテの怪我が治ると、街の外に危険な魔物が出たと情報を流し、いまだ怪我が治らない弟を気遣うふりをして、自ら討伐に出た。

 街から離れると護衛の兵士を全員殺し、森に潜伏した。いつまで経っても帰らないクライスを捜索するために、何度も部隊が派遣させるが、クライスはその全てを皆殺しにした。ついにはフォルテ自ら捜索に向かう。そして森の中でいつものように全ての兵を殺し、最後に一人孤立した弟の前に立った。


「どういうことですか、兄さん……なぜ兵を……」


「お前にはわかるまい」


「あの日から、わたしの中に宿る竜神様の意思が、あなたを強く警戒しているのです。なぜなのですか!? いったい何があったのですか!?」


「この期に及んで警戒とは呑気なものだな」


「兄さん……」


「もうよい、時間の無駄だ」


 話は終わったとばかりにクライスは剣を振るう。フォルテは竜神の力を使ってなんとか兄を止めようとするが、模擬戦の時となんら変わらず、クライスに擦り傷一つ、つけることができなかった。退屈で凡庸。弟への評価はそれが全てであった。そして何の感慨もなく弟を切り捨てた。


「本当に弱いな……なぜこんな凡庸な人間が選ばれたのか理解できん……おいっ! 望み通りこの無能を殺してやったぞ、さっさと出てこい!」


 虚空に向かって叫ぶと、軽薄な男の笑い声が聞こえてきた。


「かっかっかー!! 俺ぁ、ボコボコにしろっつったんだよ、なぁに殺しちまってんだよ!?」


「何の違いがある? こうして貴様が姿を現したのだから、問題ないだろうが」


「そうなんだがな、ちょっとばかしカラクリがあんだよ。まぁその辺はあとで説明してやるよ。それにこの状況はそれほど悪かねぇ……この第二王子さまの体は俺が使うとするさ」


 クライスは素早く考えを巡らす。悪魔の計画はわからないが、フォルテが生きているというシナリオの方が、後の行動を考えればクライスにとっても好都合であった。


「貴様が、コイツの体を使って受肉するということか? 条件次第ではそれでも構わんが、契約はどうする気だ? 必要なのだろう?」


「よく勉強してんじゃねぇか。その通り! 悪魔は契約があってはじめて力を行使できる、まったく不便なもんだぜ」


 クライスはあの日以来、王城のあらゆる文献を調べて悪魔に関する知識を漁った。その上で自分が簡単に利用されることはないと判断していたが、一方でこの悪魔がどの程度の実力か測りかねていた。

 

「貴様のような得体の知れないものを契約で縛ることができるのなら、理にかなっている思うがな」


「かっかー! 辛辣だねぇ、まぁその通りなんだがな。俺らの力は自由に振るうにはちょっとばかし強力すぎるんだわ。てな訳でこの場で契約しちまいてぇんだが、構わねぇか?」


「……条件次第だ」


「おーけー。じゃあ確認だ。お前の望むものは力、具体的にはこの地に眠る竜神の力、その全て。それでいいか?」


「……あぁ。だがこの命と引き換えなどといったくだらぬ条件は許さぬ」


「悪魔に対してその警戒心は悪かねぇが、もうちっと俺のことを信じてくれねぇと悲しくなるぜ。つーかそもそも力のある悪魔ってのは、そーゆー詐欺みてぇな契約が出来なくなるんだわ」


 その答えでクライスはこの悪魔が少なくとも戦術級、一体で国を滅ぼす力を持っていることを悟る。


「貴様のことは信用できんが、契約に問題がなければそれでいい」


「かっかー! 素直じゃねぇなぁ。だが今回に関しちゃ本当に心配しなくていい。棄てられたとはいえ、竜ってのは神の兵器だ。あんまり理不尽な契約を結べば、神に目をつけられかねんからな」


「貴様が言う神がどういった存在かわからぬが、竜の力を奪うことは許されるのか?」


「そいつは問題ない。棄てたとは言ってるが、言い換えれば神からの贈り物みたいなもんだ。奴らも相応しい者が使うことを望んでるんだよ、そんであわよくば自分達に並ぶ存在が現れることをな」


 それは力を求めるクライスにとっては甘美な言葉であった。


「神に並ぶということか……」


「かっかー! 可能性の話だ! まずは地道に力をつけることだぜ、兄弟」


「ふむ。それで竜の力を手に入れる方法はどうなっている?」


「そいつは契約前に話すことはできない……と言いたいところだが、多少はサービスしてやらぁ。竜がこの地の民に語った言葉は当然知ってんだろ?」


「『我をこの地に眠らせてほしい。代わりにこの地を守護しよう、安寧なる眠りが得られる限り永劫に』だったか?」


「そう、そしてこいつも一種の契約だ……穴だらけのな。要は竜の支配権をこの地の民に与えてんだよ。だから隙をついて契約を解除しちまえばいい。そうすれば竜の支配権は空白になる。そこをお前が上書きすると、単純だろ?」

 

「確かに竜神がただの兵器だとすれば筋は通っているな。それでこの契約の対価はなんだ?」


「対価なんて大袈裟な言い方はしなくていいぜ。こいつはビジネス、お前らの言葉で商いだ。だからもらうのは対価じゃなくて報酬だ。そんで今回は、そうだなぁ……」


 そこで悪魔は一旦言葉を止めニヤリと笑う。そしてゆっくりと間を置いてから、悪魔の報酬について言及する。

 

「十万だ……この街に住む民の半数、十万人の命が今回の報酬だ」


 そのおぞましい提案に対してもクライスは一切感情を動かすことはなかった。

 

「……ふむ、思ったより少ないのだな」


 それは悪魔からしても異常な反応、そして期待通りの反応でもあった。

 

「かっかっかー!! やっぱお前最高だぜ! 普通は十万人の命と聞きゃぁ、どんな悪人だってビビるんだがよぉ、そんな真面目くさった顔して、思ったより少ないたぁ、まじでいい性格してるぜ!」


 笑い転げる悪魔をクライスは冷めた目で見ながら、小さく舌打ちをする。


「おい、いい加減その不愉快な笑いをやめて、先を話せ」


「あぁ、わりぃわりぃ。一応言っとくと、これは妥当な数だ。今回はあくまでお前のサポートだからな。俺が直接国を滅ぼすとかそんなんじゃねぇ。やるのはあくまでお前だ。まぁ前にも言ったが初回ってことでちょこっとサービスはしてるがな」


「ふむ、代償……報酬は前払いか?」


「いや、今回は後払いで構わない。竜の力を手に入れたら力試しでも何でも構わねぇから、十万人ほどぶち殺してくれりゃあそれで契約は終了だ」


「なるほど……良心的だな。しかし、なぜ半数なのだ?」

 

「一つはビジネス上の理由ってやつだ。せっかく過保護な竜が消えたってのに、客になる人間がいねぇんじゃ、商売になんねぇからな。そしてもう一つの理由は味付けだ」


 そこで悪魔は一つ間を置き、気味の悪い笑顔を見せる。


「自分たちが崇めてきた神に殺される絶望に、遺された者の絶望が加わって、いいスパイスになるんだわ」


「……なるほどな」


 悪魔の悪魔たる衝動を理解できてしまうクライスの在り方もまた、すでに人からは外れつつあった。


 その後も悪魔とクライスは契約条件について細かく話し合う。悪魔の態度はどこまでも軽薄であったが、契約に対する姿勢自体は真摯であり、それ故にクライスの態度も軟化する。


「こんなもんだな」

 

「あぁこれで構わない。認めたくはないが、貴様はこの国の文官どもより余程公務に向いていそうだな」

 

「かっかー! こっちはプロだからな。じゃあ手を出しな。どの指でも構わねぇからちょこっと切って、俺がこれから広げる魔法陣に血を垂らせば契約完了だ」


 血の契約。数ある契約の中でも悪魔が好んで使う手法で、悪魔と契約者を強固に結び、魔法の授受などが可能になる。

 

『我は底なき渇望を満たす者、等価なる報酬に応え、世界に変革と絶望をもたらさん』


 一瞬だけ悪魔からふざけた雰囲気が消え、厳かな詠唱を行う。同時にクライスの手元に幾重にも重なった複雑な魔法陣が出現する。クライスは親指の先を自らの剣で切り、魔法陣に血を垂らす。ポタポタと血が注がれるたびに魔法陣が輝き、五滴目で全ての魔法陣が光を放つとやがて消えた。一拍してクライスは、自身の心臓に鎖のようなものが打ち込まれた感覚を得る。


「……これが契約か」


「あぁそうだ、これで俺たちは一連托生。これからよろしく頼むぜ、兄弟……いや」


 その言葉と共に悪魔の霊体が消え、同時にフォルテの死体がむくりと立ち上がる。肌に血色が戻り、クライスに斬られた傷口が逆再生するかのように回復する。そして全ての傷が塞がるとニヤけた顔で口を開く。


「兄さん」



――――――――――

 本作をここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。過去の話は次で最後です。

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