第20話 悪魔の誘惑

 十年前。

 当時この国の第一王子であったクライスは、類い稀な才能を持っていた。剣も魔法も頭脳も、他の追随を許さなかった。


 民も王族も、次に竜神の意思を継ぐのはクライスであると疑わなかった。それはクライス自身も例外ではない。


 しかし、いざ当時の国王が退位とそれに伴う竜神の意思の引き継ぎを宣言すると、二つ年の離れた第二王子であるフォルテに竜神の意思は宿った。


 この国では、竜神の意思は何よりも尊重される。この時点で次期国王の座は、フォルテのものとなった。クライスは、表面上はフォルテを祝福し、自分はサポートに回ると言った。しかし、その胸中に燻る不満と怒りは、日に日に大きくなっていった。


 ある時、フォルテはクライスに模擬戦を申し込んだ。それは兄に憧れていた弟のケジメであり、民に向けたパフォーマンスであった。力を得た弟が兄を超えて国を背負っていく。そんな弟を兄は真に認め、支えていく。そんな美しくも陳腐なストーリーをフォルテは思い描いていた。兄のプライドを守るために、適度に手加減して熱戦を演じ、そして最後に自分が勝つ。竜神の意思を受け継いだ自分には、それが可能だと信じていた。

 

 そして、その模擬戦でクライスはフォルテを半殺しにした。竜の意思を継ぎ何倍にも力が跳ね上がった弟を、クライスは羽虫のようにたたき潰したのである。自分を利用しようとする浅はかな知恵も、手加減しようなどという思い上がった偽善も、何もかもが腹立たしかった。結果的に加減を間違えて半殺しにしてしまった。


 クライスには理解ができなかった、なぜこのような凡夫に竜神は力を与えたのか。なぜ自分ではないのか。それは到底許せることではなかった。


 だから、その傲慢な怒りに引き寄せられて、悪魔が近づいてきたのは必然だったのかもしれない。


「よぉ、王子様!」


 模擬戦での出来事により、王から自室での謹慎を言い渡されていたため、ここにはクライスしかいないはずである。


「――なんだキサマっ!」

 

 自分しかいないはずの部屋の中から聞こえる不愉快な男の声に、クライスは一瞬動きを止めるが、次の瞬間には声がした背後に向かって剣を振り抜いた。


「おぉこえぇ、さすがは優秀な第一王子様だねぇ」


 確かに剣線が通ったはずのそこには、黒のジャケットとパンツに首からシルバーのアクセサリーを何重にもつけた男が軽薄そうな笑みを浮かべて立っていた。クライスは動きを止めずに、さらに二度三度と剣を振るうが、その全てが男をすり抜ける。剣が効かないことがわかると、魔法に切り替え、右手に炎を宿す。


「――ちっ」


 だが、魔法を放つ前に男の姿を見失う。そして背後から緊張感のない声が届く。

 

「やめとけ、やめとけ。部屋、燃えちまうぞ?」


 男はクライスの攻撃を全く意に介さず、豪華な椅子に腰掛けて、ヒラヒラと手を振る。


「俺ってば霊体なんだわ。だから攻撃も効かねぇけど、俺から攻撃することもできないの。つまり、超無害! だからとりあえずちょっと話聞いてくんねぇ?」


 男の言葉は全く信用ならないが、確かに男の気配は希薄で、脅威を感じない。クライスはいまだ戦闘態勢を解かないが、警戒のレベルを一段下げて、右手に集中させていた魔力を戻す。


「霊体だろうと消す方法などいくらでもある。地獄の苦しみの中で消えたくなければ、ここにきた目的を言え」


「かっかっか、悪魔の俺に地獄の苦しみとは皮肉が効いてんじゃねぇか! その傲慢さ、実に俺好みだ」


「……悪魔だと?」


「そうだ、これでもそこそこ偉いんだぜ? そんで悪魔の仕事といえばひとつだ」


「……ありえん、この国では悪魔なぞ存在できぬはずだ」


「そうなんだよ! ったく、あの過保護な竜のせいで、俺らこの辺じゃ全然仕事できなかったわけよ。それをお前があの竜の代理人、お前らは適合者って呼んでるんだったか? まぁなんでもいいんだが、そいつをぶっ飛ばしてくれたおかげで、なんとかこうして霊体をとばせるようになったってわけ」


「……仮にお前が悪魔だとしても、私はキサマのような胡散臭いものを召喚した覚えはない」


「まぁそこは初回限定サービスってやつよ。なんせ長いこと悪魔との契約がなかった土地だからな。ご新規様限定特別サービスで今回は召喚の手間をこちらで負担させて頂きましたってな!」


「……ふざけたことを。やはり消すしかないようだな」


「まぁ落ち着けって。大体さっきから言ってる、『消す』ってのもよぉ、お前じゃ無理なんだろ? お前にボコボコにされちまった第二王子の力、つまり竜の力が必要……違うか?」


 その言葉にクライスは顔を顰める。それはまさに図星であった。クライスが得意な属性魔法は闇。霊体を浄化するといった聖属性の魔法とは相性が悪かった。


「嫌だよなぁ? あんな弱ぇ奴に頼るなんざなぁ!? おまえの気持ちはよーくわかるぜ」


「……」


「そこで提案だ。なぁ兄弟、竜の力……欲しくねぇか? 第二王子の坊ちゃんが持ってるようなチンケなもんじゃねぇ。この地に眠る竜の力、その全てを手に入れたくはないか?」


「……」


「だいたい歪なんだよこの国は。竜神様とか言ってるが、あれは神なんかじゃねぇ。神が使い捨てた、ただの兵器だ。そんなもんをいつまでも大事にして、しまいには守ってくださいだぁ!? どいつもこいつも甘ったれすぎて反吐が出るぜ」


「いいか? 兵器は使ってなんぼだ。誰かに守ってもらうんじゃねぇ。奪われたくなければ自分で力をつけろ。力がなければ何も手に入らない。どこの世界でもそれが常識だ。この国の人間だけだぜ、ママの乳にしゃぶりつく赤子のように、竜に頼り切って生き恥さらしてんのはよぉ……情けねぇと思わねぇのか?」


「……黙れ」


 クライスは言葉を絞り出す。かたく握られた拳から血が滴り落ちる。


「……違う、私たちは……いや、私はっ!!」


 クライスの叫びに悪魔がニヤリと笑う。

 

「そうだ、お前は違う! この国でお前だけだ、自ら力を求め、その才能に溺れることなく努力したのは。お前のその才能と努力は報われなければならない。お前には本物の力を手にする資格がある。選ばれたんだよ、お前は」


「私が選ばれた……」


「そうだ。紛いもんの神なんかにじゃねぇ、世界そのものにだ」


「……しかし」


「まぁ結論を急ぐこたぁねぇよ。俺は案内人みたいなもんだ。お前が力を求めるなら、それをちょこっと手助けしてやる、些細な報酬と引き換えにな。その辺はまた今度説明してやるよ。っとやべぇな、そろそろ限界みてぇだから、今日はこれでお暇するぜ。話の続きに興味が沸いたら、今日みたいに第二王子をぶっ飛ばしな。その隙をついて俺の霊体を送り込むからよ!」


 悪魔が消えた部屋でクライスは一人佇む。


「竜神のすべて……私は選ばれた……」


 悪魔の甘い言葉がクライスの中に染み渡る。

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