第17話 写し身作り
次の日、ミリーが壮年の男を連れて孤児院にやってきた。男が引く荷台には大量の木材と布が積まれていた。
「どうしちまったんだい、ミリーさん」
院長は昨日までとはまるで様子の違うミリーに驚きながらも玄関を開ける。
「久しぶりだね、アシュリー。なあに、どうせこんな布、売れやしないんだから、冥土の土産にこれ使って、とびっきりの写し身でも作ってやろうかと思ってね」
院長の横には困惑した顔をするレイナがおり、その後ろには目をキラキラと輝かせるブルーが、ひょこひょこと背伸びをしてミリー達が持ってきた荷物を覗き見ていた。それを見たミリーが笑顔でブルーに声をかける。
「あんた、ブルーだったかい? 約束通り材料持ってきてやったよ! 竜神様が楽しくなるような写し身を作ろうじゃないか」
「うん、ありがとう!!」
ブルーのテンションが一気に上がる。
「だが繊細な仕事はしないでおくれ。竜神様にゴミを捧げるわけにはいかないからね」
暗に自分が手伝えばゴミになると言われて、ズーンと音がしそうなほど落ち込むブルー。
「ははっ、なに、力仕事もたくさんあるからね、あんたはそっちを手伝っておくれ!」
「やったー!! なんでもやっちゃうよー!!」
やれることがあると知って一瞬で機嫌を直したブルーは、我慢できないとばかりに持ち込まれた材料の方へ駆けていく。その無邪気な姿にレイナと院長が苦笑いしながら、改めてミリーに礼を言う。
「一応、子供達から事情は聞いていたんだけどね、何だか信じられない光景だよ。いや本当にありがたいんだけどね」
院長の言葉にレイナも続く。
「ミリーさん、本当にありがとうございます。それと昨日ブルーさんと子供達がご迷惑おかけしてごめんなさい」
「なに、レイナちゃんが謝ることはないよ。それにしても面白い子を拾ってきたね?」
「はい、面白いというか、変わっているというか、私も正直説明できないんですが……悪い子ではないんです……たぶん」
「はははっ! なんだいそりゃ、だがまぁ悪い子じゃないってのはわかる気がするよ。変な話なんだけどね、あの子を見てるとなぜか懐かしい気持ちになるんだよ……あんな子いなかったと思うんだけどね」
笑顔で駆けて行ったブルーを見つめてミリーは目を細める。その目線の先でブルーが荷台に積んであった木材を盛大に崩す。
「なにやってんだ、あんたぁ!!」
ミリーに連れられて木材を運んできた男の怒鳴り声が響く。
「やっぱり、こんなに変な子はいなかったね……」
ミリーが呆れたように呟く。レイナと院長は無言で頷く。
***
「なぁあんた、こんな作業、見てて楽しいか?」
結局、荷物を運ぶ以外の全ての作業に関わることを禁止されたブルーは、木材の鉋掛けをする男の作業を、年少組の子供達とニコニコ眺めていた。
「うん、とっても楽しいよ! 叡智を感じるよ!」
「えいち! えいち!」
ブルーの発言に子供達が続く。
「ま、まぁ手出さなきゃ見てても構わねぇんだがな……あとこんなもんは見習いでもできるからな? 叡智なんざ微塵も詰まってねぇよ」
男は若干引きながら作業を続ける。普段は大工をしている男は、ミリーに言われるがまま、余っている木材を持って孤児院までやって来た。昔世話になったミリーへの義理もあってそのくらいはと手伝ったが、さすがに子供達と写し身作りを行うつもりはなかった。かわいそうだとは思うが、福音のない子達に関われば、街で何を言われるか分からない。ただでさえ少なくなっている自分の仕事にも影響が出るかもしれない。レイナの悲しそうな顔を見るのは心が痛むが、そこが彼の許容できるラインだった。
だが孤児院に着いて男は衝撃を受ける。見たこともないレベルの美しい少女がいたのだ。しかもその少女はニコニコとこちらにやって来るではないか。もしかしてこれはチャンスなのではと男が年甲斐もなくソワソワしていると、その少女は信じられない腕力で自分が持ってきた木材を盛大に荷台からばら撒いたではないか。思わず叫んでしまったが、こんなものは序の口であった。何かをするたびに何かを破壊する彼女を必死に止めているうちに、いつのまにか写し身作りに参加することになっていた。
「しっかし竜神様はどうしちまったんだろなぁ」
作業を続ける男が独り言のように呟く。
「竜神様はどうかしちゃってるの?」
ブルーのあんまりな言い方に男は苦笑する。
「いや、やっぱ最近はちょっと変なことが多いしよぉ。それにここの子供らだって、この街で生まれたのに福音がねぇなんて、おかしいじゃねぇか」
その言葉にそばにいた子供達が暗い顔をする。
「い、いや悪い! おかしいってお前達がおかしいって言ってんじゃねぇよ。むしろちょっとの時間だがこうして一緒にいたら、お前達はその辺のガキどもと変わんねえんだなってよくわかったんだよ。だから余計にな、竜神様がなんで福音を渡さなかったのか不思議なんだよ」
少し離れて見ていたミリーが呆れたようにフォローする。
「まったく、アンタは昔っから思ってることをすぐ口にするんだから。そんなんだから、いまだに独身なんだよ」
「うるせぇよ、婆さん!」
「婆さんって言うんじゃないよっ! あたしゃまだ七十代だよ!」
「どう考えても婆さんだろがっ!」
男とミリーのやりとりに、しんみりした空気が弛緩し、皆が笑い出す。それを近くでみていたレイナは男にお礼をする。
「あの、ありがとうございます。この子達のこと、普通だって、ちゃんとそんな風に見てもらえるの嬉しいです」
レイナの素直な感謝の言葉に男が顔を紅くする。
「い、いや、すまねぇ、こっちこそ今まで思い込みがあったみたいで……」
「いい年した男がデレデレすんじゃないよ」
「う、うるせぇよ、婆さん!」
そのやりとりにまた皆が笑い出す。ブルーが来るまでは見られなかった光景にレイナは目を細める。ふと肝心のブルー本人が先ほどから静かにしていることに気づき、声をかける。
「ブルーさん?」
ブルーはレイナの声に応えず、いつになく真剣な表情でミリーのことを見つめていた。そこにいつもの幼稚さはなく、むしろ静かで厳かな雰囲気があった。レイナの声で異様な状況に気付き皆がブルーを見て、そして固まる。姿形は先ほどまでのブルーと変わらないのに、目が離せず、なぜか声が出せない。
止まった時の中でブルーが静かに口を開く。
「やっぱりここから来たんだね」
「……」
「ごめんね、もう少しだけ待ってて」
「……」
「だから、せめて今は言葉だけ……」
それは一方的な会話。相手の声は誰にも聞こえない。ブルーはゆっくりと歩き出すとミリーの目の前に立ち、その手を優しく包む。そして柔らかな微笑みを浮かべてその言葉を口にする。
「『ただいま、ミリー』」
その瞬間、その場にいた人間に一人の男の記憶が蘇る。それはミリーの夫で、大工の棟梁をしていた男だった。現場仕事で鍛えた筋肉と日に焼けた肌からはとても七十を超えたようには見えなかったが、その性格は穏やかで、誰に対しても柔らかい物腰であった。ミリーに怒られていた男の師匠でもあり、物覚えの悪い弟子に根気強く優しく指導をしていた。そして二年前まで毎年、子供達に余った木材を持ってミリーと共に孤児院を訪れ、写し身作りを手伝っていたのもこの男だ。
なぜ忘れていたのか。いや記憶はある。この男は二年前に死んだ。そう報告を受けた。葬式だってした。なのに涙が出なかった。ただ情報だけが存在し、そこに感情が伴わなかった。ぽっかりと穴が空いていた、その存在の大きさに比例した穴が。だからミリーの時間は二年前から止まっていた。それがほんの少しだけ進む。
ミリーの目から涙が溢れる。
「……遅いんだよ、まったく」
ミリーのその言葉を最後にまた男の存在が朧げになり、意識の外へと追い出される。白昼夢のような現象に誰もが言葉を失う中、ミリーが涙を拭い、皆に声をかける。
「さぁ、ボケっとしてないで気合い入れて続きをやるよ! あんまり不細工だとあの人に笑われちまうからね」
「だな、魂込めて作んなきゃな」
師匠に背中を叩かれた気がした男の鉋掛けに熱が入る。その熱が子供達にも伝染する。
「よーし、ボクも頑張っちゃうよ!」
先ほどまでの真面目な雰囲気が消え、いつもの調子を取り戻したブルーにも気合が入る。そしてミリーに止められる。
「アンタは、そこで見てな!」
ガーンとショックを受けるブルーを見て皆がまた笑い出す。
止まっていた時間が動き出す。
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