第16話 レイナの仕事

 ブルーが老婆の店で暴れている時、レイナは街の外に来ていた。

 ドラゴの街には竜神が眠っているため、魔物は近づくことができない。魔物の本能が、絶対的存在である竜を畏れるためである。それがどういうわけか、ここ数年、魔物が街のそばまで近づくことが増えてきた。農作物や家畜に被害も出ており、食糧難の一因にもなっていた。

 レイナは竜神の言葉がはっきりと聞こえるようになる前も、何度か漠然とした警告が伝わることがあり、その度に街の外に出て、魔物の姿を確認すると衛兵に報告を行なっていた。だが今回は以前よりもかなり危険な状況にあることを竜神から聞かされていた。


「やはり、騎士団は間に合いませんか?」


(うむ。街を囲うようにいくつもの魔物が近づいてきておる。全方位を警戒するには兵が足りぬ。このままではおそらく西が抜かれる)


「わかりました、西ですね」


(わかっていると思うが、その力は極力使ってはならん)


「はい……ですが、私だけの力では強力な魔物を抑えることができません。その時は……」


(あぁ、そなたの命より大事なものはない、その時は存分に振るえ。だが……嫌な予感がするのだ。前も、その前も、力を使った直後に我が意志のかけらが消えたのだ。なのに何が起こったのか思い出せんのだ……)


「竜神様……」


(……いや、不安にさせて悪かった。今回は、今回こそは守ってみせる)


「ありがとうございます。ですがどうか私よりもご自身を大切にしてください」


(あぁ、やはりそなたは優しいな。我が意思はそなたのような他者を思いやり、民を護らんとする強く澄んだ魂に惹かれるのだ。だが、だからそこあり得ん、そのような気高き魂は簡単に途絶えるはずがないのだ……)


 レイナには後半が誰に対する言葉なのかわからなかったが、竜神の必死な様子に自分がただ事ではないことに関わっていることを感じていた。そして竜神が困っているのならその力になりたいと心から願っていた。


――今の竜神様は記憶以外にも何かを失っている? だけど何を? 私がそれを取り戻せればいいんだけど……


(レイナよ、反応が近い)


 考え事をしながら走っていると、微かにだが魔物の気配が感じられた。


「あまり強い気配ではありませんね。騎士団も近くにいないようです」


(いや、おそらく気配を隠蔽しておる……少しまずいかもしれん)


「わざと弱くみせているということですか? そんなことが魔物に可能なのですか?」


(普通はできん。特殊個体か、あるいは……まずいっ! 気付かれた! 避けろ!)


 シッ!!

 竜神の言葉を聞いて後ろに跳んだレイナの目の前を爪が通過する。爪が掠った頬から血が流れる。


――な! ワーウルフ!? あり得ない!


 目の前には傷だらけの大型の狼が低い唸り声をあげていた。筋肉が異常に盛り上がり見開かれた目からは血が流れている。そもそもワーウルフは自分から人間を襲うような魔物ではない。賢く誇り高い彼等は本来であれば森で静かに暮らす穏やかな魔物である。それが今、激しい怒りを顕にしてレイナに対峙していた。


(なんてことを……この怒り、子を殺されたか!? しかも強化と認識阻害の魔法が外からかけられている。あの傷は無茶な強化の代償だ)


 竜神によれば、何者かがこの魔物から子を奪い、街を襲うために利用しているという。誰が何のためにここまで悪辣なことをするのか、レイナにはまるで理解ができなかった。

 竜神が分析している間もワーウルフの攻撃はやまない。認識阻害のせいで攻撃の気配が読めず、急所を避けるのが精一杯のレイナに傷が増えていく。


「魔法を解いて怒りを鎮めることはできませんか?」


 それでもレイナはこの哀れな魔物をどうにかしようと竜神に対処法を聞く。


(……無理だ。もう間に合わん)


「そんな! なにか、なにか方法は……っあ」


 ザシュッ。

 

 焦ったレイナの太ももにワーウルフの爪がまともに入り、血が吹き出す。


(レイナ! ダメだ、これ以上はそなたがもたぬ! 我の力を使え!)


「で、でも!」


(レイナよ、よく聞け。この魔物は命が消えるその瞬間まで暴れ続ける。このまま放置すれば必ず街に被害が出る! それは絶対に防がねばならん。それに、我が力を使えば、この怒りと苦しみから魂を解放してやることができる…………それもまた救いだ)


「……わかり、ました」


 レイナは一度、ワーウルフから距離を取り、ナイフを顔の前で横向きに構える。そして呼吸を整え、祈りを捧げる。


「民を護るため……御身の力を振るうことをお許しください」


 ナイフが眩い光に包まれる。ワーウルフは突然圧力が増したレイナに一瞬動きを止めるが、何かに強制されたかのようにすぐに正面から突っ込んでくる。

 レイナは眼前に迫る爪を、ナイフを持たない左手で受け止める。爪は皮膚をわずかに傷つけるだけで止まり、ワーウルフは空中で動きを止めてしまう。その一瞬の隙をついてレイナは姿勢を落としてワーウルフの腹から右手のナイフを突き入れる。


――ごめんなさい


 光輝くナイフは強靭なワーウルフの皮膚を破り心臓を貫く。レイナはそのまま力を失ったワーウルフの体を抱き止める。少しあってワーウルフの見開かれた目から光が消えた。


「……どうか安らかに」


 静かにワーウルフの死体を下ろし、瞼を下ろしてやる。レイナには目から流れる血の涙がワーウルフの無念を表しているようで目を背けたくなった。


「……竜神様、いったい何が起こっているのでしょうか? これから何が起こるというのでしょうか?」


(……)


 竜神は何も答えない。


「……申し訳ありません」


 責めるような物言いになってしまったことをレイナは反省する。


(……前にそなたが尋ねたであろう、なぜ自分に我が意思が宿ったのか、なぜ王家の者でないのかと)


「え? は、はい」


 竜神とレイナが初めて言葉を交わした時のことを唐突に振り返る竜神に、レイナが戸惑う。

 

(最初は王家に連なる者であった。だがある時、およそ十年前だな、その者に宿りし我が意思、つまり魂のカケラが消滅した……その者と過ごした記憶と共にな。それを受けて次の適合者に我が意思が宿り、そしてまた消滅した。これを繰り返す中で、もはや王家とは無関係の者が適合者に選ばれておる、少しでもこの状況を打破できる可能性がある者に……。しかし今も状況は変わっておらん)


「……そんな」


 レイナは想像もしていなかった事態に言葉が継げない。


(……百人目だ)


「えっ?」


(そなたは最初の者が消滅してから百人目の適合者なのだ。この十年で既に九十九人の前任者が我が意思と共に魂ごと消滅してしまった。そなたを不安にさせると思い黙っておった、すまなかった)


「うそ……」


(レイナよ、そなたは、最後の希望なのだ。我が意思、魂のカケラもこれが最後だ。少しでも状況を伝えたくて、心の声を聴けるそなたが選ばれた。そして何かに導かれるようにあの石が現れ、こうして我らは言葉を交わすことができるようになった。これまでとは全く状況が違う。今度こそ、今度こそ護ってみせる)


 



***


 



「みぃつけたぁ」

 

 国王の皮を被った悪魔が、竜神の覚悟を嘲笑う。

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