第12話 孤児院
神話の時代、神の兵器として戦い続けた竜は傷つき、消耗し、最期は見捨てられた。それは、その時代のありふれた出来事。その中の一匹がこの世界に流れ着き、この国の先祖となる民と出会った。民は傷ついた竜を癒し、自分たちの食糧を与えた。神の兵器たる竜に感情はなかったが、民の親切な振る舞いに、虚ろながらも心が芽生えた。それは時を経て、やがて大きな感謝となった。そしてある時、竜は民と契約を結んだ。
『我をこの地に眠らせてほしい。代わりにこの地を守護しよう、安寧なる眠りが得られる限り、永劫に』
民は喜び、竜が眠りについた地に神殿を建てた。そしてその周りに街ができた。それがここ、アルカディア最大の都市、ドラゴの起りとされている。
この街の住民には竜の加護が与えられる。それは身体のどこかに現れる一枚の鱗であり、それを持つことは、優しき先祖の心を受け継いでいることの証明であった。住民にとってそれは誇りであり、それ故にこの街の治安は驚くほどよかった……少し前までは。
不協和音が鳴り始めたのは十年ほど前から。ぽつぽつと鱗を持たない赤子が産まれるようになったのである。それでも誇り高きこの街の住民は、鱗を持たない子供を差別するようなことはなかった。しかし悪いことは続いた。街の周辺の魔物が活性化し、農地が荒らされた。牧草地帯に毒草が紛れるようになり、家畜が死んだ。食べ物が減り、喧嘩が増えた。そして徐々に誇りが失われ、街の治安は不安定になっていった。その頃になると、鱗を持たない子供達は気味悪がられ、やがて居場所を失った。
レイナが暮らす孤児院は、そんな福音を持たない子供達が最後に行き着いた、唯一の居場所である。
***
「ただいま、おばあちゃん! 住み込みでお手伝いしてくれる子が見つかったんだけど、屋根裏使っていい?」
街の片隅に建てられた古い建物の扉を慌しく開けて、レイナはこの孤児院の院長である祖母に声をかける。
「おかえり、レイナ。ええ構わない……と言いたいところだけど、まずはそちらの可愛らしいお客さんを、紹介してくれないかい?」
その声は穏やかであったが、レイナのうしろをニコニコしながら付いてきたブルーに対する目つきには、警戒の色が浮かんでいた。
勢いでごまかそうとしたレイナは諦めたようにため息をつき、説明を試みる。
「えーっと、非常に説明が面倒くさいというか、むしろこっちが説明してほしいというか……とりあえず名前はブルーさんって言うみたい」
全く説明になっていないレイナの言葉に、ますます院長の目が鋭くなる。
「……そうかい。ブルーさんとやら、あんた福音はあるかい?」
「福音?」
(さっきも聞かれていたでしょ? 鱗のことよ)
「あぁ鱗ね! ないよ! なんせボクはツルツルボディなので」
その答えに、院長は一瞬ポカンとするが、次の瞬間には吹き出した。
「ぷっ! そうかい! それはまた羨ましい限りだね!」
空気が弛緩する。
「警戒しちまって悪かったね。手伝ってくれるってんなら、お願いしようじゃないか。屋根裏でもなんでも使ってくれたらいいさ。あぁ、あとここにはあんたと同じツルツルの子が沢山いるから、仲良くしてやってくれたら、あの子達も喜ぶよ」
その言葉にレイナが割って入る。
「えっ、いいの? 連れてきた私が言うのもアレなんだけど、すっごく怪しいよ、この子。むしろ怪しくないところ探す方が大変なくらいだよ?」
正門から孤児院までのほんの数十分で、ブルーの怪しさを嫌と言うほど知ったレイナは、院長に再度確認する。
「……あんたが連れてきたんだろ? それに視たんだろ? 私はあんたを信じるよ」
「あ、うん、ありがとう」
ストレートに自分を信じると言われて嬉しくなり、レイナは少し照れながらお礼を言う。それは孫の秘密を知る祖母との確かな信頼関係であった。その隣では腕を捲ってツルツルボディをさすりながら、自慢気に何かを呟いているブルーがいた。
「さすがに人間で、ボクよりツルツルってことはないんじゃないかなぁ?」
――大丈夫……よね?
なんとも言えない顔をした祖母と目が合ったレイナは目をそらした。
***
レイナはブルーに孤児院での仕事を一通り教えたが、ブルーは一通りできなかった。ご飯は作れないし、洗濯はできないし、買物もできなかった。「どうやってこれまで生きてきたんだ」と問えば、「洞窟で分解に耐えながら生きてきた」と返ってくる。恐ろしいことに嘘をついていない。絶句したレイナは仕方なく、唯一できそうな子供達の相手をお願いすることにした。
この孤児院では二歳から十歳までの十人の少年少女が暮らしている。子供達に共通することは鱗がないということであったが、ブルーはそんなことは一切気にすることなく、ただただニコニコと子供たちに接していた。
突然現れたブルーに対して、子供たちは最初こそ警戒しているようであったが、あまりにも無邪気な笑顔を浮かべるブルーに毒気を抜かれ、それはすぐに親しみに変わった。むしろ年長組は何も知らないブルーが心配になり、どちらが面倒をみているのか分からない有様であった。逆に年少組は、年の近い友達が増えたかのように喜び積極的に遊びに誘っていた。見た目だけは一番年上のブルーは、そんな年少組を片手に二人ずつ乗せて、笑いながらぐるぐる回る。
――どんな力してるの!?
レイナは今日だけで何度目か分からない驚きと共にその様子を見ていたが、ブルーの回転が一向に止まる気配がないことに焦り始める。最初こそキャッキャと高速回転を楽しんでいた子供達も、目を回して悲鳴を上げはじめると、レイナは年長組と共に慌てて止めに入った。
「ごめんね! 人間ってすっごく脆いんだよね。次は気を付けるね!」
そんなトラブルは幾度となくあったが、子供たちは皆楽しそうであった。子供達がこんなに笑顔を見せるのはいつぶりだろうかとレイナは懐かしい気持ちになる。
食事の時間になるとブルーはさらに楽しそうであった。食糧不足と経済難から、カビの生えかけたパンと具のないスープがこのところの子供達の食事であり、そのことをレイナも院長も心苦しく思っていた。子供たちもレイナと院長の努力を知っているからこそ文句も言わずに我慢をしていた。
そんな重たい空気の中、ブルーは一人、元気にもりもりカチカチのパンを食べていた。
「おいしいっ! やっぱり、元気が湧いてくるね」
その様子をみた子供たちは、まるで理解できないとばかりに口を半開きにして固まる。
「ブ、ブルーさんはパンを食べたことないの……かな?」
ブルーが本心から美味しいと思っていることがわかるレイナは、頬を引き攣らせながら訊ねる。
「はひほ(ないよ)! ほんはほはひへへ(こんなの初めて)!」
口にパンを咥えながら喋るブルーの頭を、院長がパシンと叩きながら注意する。
「食べながら喋るんじゃないよ」
「はひはー(あいたー)!」
院長にとっても既にブルーは子供たちと変わらない存在になっていた。むしろ一番手がかかるかもしれない。だけどその言葉とは裏腹に、レイナには、祖母がどこか嬉しそうにしているように見えた。
「「「ぶっ!」」」
「「「ははは」」」
子供たちはブルーと院長のやり取りを見て笑い出す。それは久しぶりの楽しい食事。レイナは院長に注意されて、今度は黙々とパンと頬張るブルーを見つめて自分もパンを齧る。
――不思議な人……。
昨日まで味がしなかった硬いパンが、今日は少しだけおいしく感じられた。
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