第6話 心臓

 ローズがこのダンジョンに来て、もう十年になろうとしていた。


 もうローズにコアを壊す気がないことを、ブルーは理解していた。


 ローズの存在感は日に日に薄くなっていた。肉体のほとんどが分解されており、変わらず玉座で不敵な笑みを浮かべる姿は、そのほとんどが魔素で構成された幻術であった。


 最強の魔王をしても十年、その姿をとどめておくことができなかった。それは驚異的な粘りであったが、ブルーにとっては受け入れ難い現実であった。


 ブルーは何度もローズにお願いした。もうコアを破壊してほしい。お願い、もう十分だから。自分も役目を終えたいんだ。

 

 だからお願い、死なないで。

 

 その度に優しく否定された。


「私はまだ死なないし、あなたの役目もまだ終わっていないわ。だからまだダメよ」


 ならせめて上層階に行こうと懇願した。分解が遅い上の階なら、ローズならきっともっと長く生きられるはずだからと。


「いやよ、あんな辛気臭いところ。それに私ここが気に入ってるの」

 

 ブルーの願いは届かない。だからブルーは自分でコアを破壊しようとした、何度も何度も何度も。ローズに生きていて欲しかったから。しかしダンジョンから生み出されたブルーには、コアは破壊できなかった。それはダンジョンというシステムが課す強制ルール。どれほど魔力を込めても届かなかった。


 そして現在、相変わらずローズは美しい笑みを浮かべているけれど、その姿は朧げで、随分前から声を出すこともできなくなっていた。この頃になると、ブルーはローズのそばを片時も離れなかった。


 そして、その日はやってきた。


(……ブルー? そこにいるのかしら?)


 ローズから弱々しく、今にも消えてしまいそうな思念が届く。

 

「ローズ! しっかりして! ボクはここにいるよ!」


 ローズに教えてもらった変化の魔法を使い、ローズがキレイだと言ってくれたその姿で必死に話しかける。


(人の姿も様になってきたようね)

 

「お願いローズ、いかないで、一人にしないで。退屈になったら死んでしまうんでしょ!? ローズがいなくなったらボクはきっと死んでしまうよ!」


(大丈夫、ブルー、あなたの人生はこれからよ。きっと退屈なんてしないわ)


「おかしなこと言わないでよ。ローズと一緒じゃなきゃいやだよ! 一緒にいてよ!」


(ごめんなさいね)


 それはローズからの初めての謝罪だった。

 

「あやまらないで……せめて、せめて一緒に死なせてよ」


 それはブルーの心からの願い。

 

(ダメよ。あなたはこれから外に出るの。きっとたくさんの素敵な出会いが待っているわ)


「無理だよ、ボクは外には出られない。ローズだってわかってるはずだよ」

 

(大丈夫、心配しないで)


 ブルーはローズがコアを破壊しないのは、自分を消滅させたくないからだと思っていた。それは確かに合っていた。しかしローズは、さらにその先を見据えていた。最強と謳われた魔王は、どちらかが消えてしまうような、そんな退屈な結末は認めない。だから抗い続け、賭けに出た。


(間に合ったわね)


 そして十年かけて、全ての準備がようやく整った。

 

(さぁ始めましょう)


 その言葉を最後に、ローズの幻影は掻き消えた。すでに肉体のほとんどが消失していたローズが玉座に残したのは、心臓のみ。

 

「……ローズ?」


 呆然とするブルーが、玉座に残されたその心臓に震える指先でそっと触れる。その瞬間膨大な魔力が溢れ出す。それは最強の魔王が仕掛けた特大の奇跡。十年かけて自分の心臓に組み込んだ神域の術式が発動する。たった一匹の魔物を枷から外すための術。しかしそれは神が作ったルールを破る行為に他ならない。ゆえにローズは自分の心臓を触媒に使った。最強の魔王の心臓だからこそ届いた奇跡。


 魔力の暴風が収まると、ブルーは自分の枷が外れていることに気づいた。どうにもならなかったコアを、今なら簡単に破壊できることを理解する。ローズのやりたかったことを、今さらながらに理解し、そして絶望する。


「こんなのダメだよ。ローズがいないなら、今さらコアを破壊できても意味なんてないよ……」


 ローズは自分が犠牲になれば、きっとこの優しい魔物は、またダンジョンに囚われてしまうことを理解していた。

 だから、もう一つの仕掛けが起動する。触媒として利用した心臓から再度魔力の光が溢れ出し、複雑に重なり合う術式がダンジョンコアと心臓を包む。そしてコアにヒビが入ると、中から溢れ出た魔力の奔流がローズの心臓へと流れ込む。ローズが十年最下層を離れなかったのは、コアを解析しその力を逆用するためであった。やがて全ての魔力を吸収した心臓に、もう一つの術式が発動する。それは魔道具化の術。一際眩い光を放つと、そこには美しい紅い宝石が残されていた。


 事態を理解できず、呆然とするブルーを置いてけぼりにして、さらに術式が発動する。今まさに完成したはずの紅い宝石が粉々に割れ、一つのかけらを残して消えてしまう。


「へっ?」

 

 事態に全くついていけないブルーが、それでも慌てて残されたカケラに手を伸ばす。これはローズが残してくれた大切なモノ……のはずだ。少し自信がなくなってきたブルーは、それでもとにかく最後のカケラを掴む。そしてそれがトリガーとなり、最後の術式が発動する。

 その効果は転移。


「へっ?」


 見知らぬ草原に立ち尽くすブルー。


 どれくらいそうしていただろうか。一時間か半日か、それとも一日中だったかもしれない。何もできず立ち尽くしていたブルーの頭の中によく知る声が響く。


(……やっと繋がったわ)


「えっ?」


 それはブルーが握りしめていた紅い石のカケラから届いた思念。何かを言いかけようとしたブルーを遮って、その思念は尊大に言い放つ。

 

(さあブルー!! 魔王命令よ! 私の心臓を全部集めなさい! コアの力を使っていろんな世界に飛ばしてやったわ!!)



 草原に爽やかな風が吹き、どこか悲しげだった空気が霧散する。


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