第4話 最下層

 このダンジョンは全部で十階層からなる。しかしその全てが無機質な洞窟で、道中に魔物はおらず、罠もない。ただ一本道の洞窟が続くだけ。ただしダンジョンの効果は階層を降りるごとに強化される。一階層降りるたびに分解速度が倍になる。どんなに強力な魔物であっても、五階層より下ではなんの抵抗も許されず、一瞬で分解される。


 そんな理不尽なダンジョンの最下層を一人と一匹が往く。真紅のドレスの少女は不敵な笑みを浮かべ、まるで自分の城のように堂々と歩む。その前を透き通った青いスライムがポヨポヨと先導する。


「本当にひどくつまらないところね。どうしたらこんな冗談みたいなダンジョンができるのかしら」


 ――確かに何もないけど。


 自分のダンジョンのあまりにも低い評価に落ち込むブルー。それに構うことなくローズが続ける。


「ブルー、あなた私に感謝しなさい。私が来なかったら、あなた退屈で死んでいたわよ」


(しんじゃうの!?)

 

「ええ、死ぬわね。退屈は分解なんかよりずっとこわいのよ」


 そう言ってローズは悪戯っぽく笑った。

 ブルーにはローズの言っていることの意味はあまり理解できなかったが、こうして誰かと意思を疎通できることが新鮮であり、楽しかった。何よりこのダンジョンで笑顔を見せる人間など初めてであり、ころころと笑うローズの顔を見ていると、今まで感じたことのない温かな気持ちになった。


「さて、ここが最後の部屋ね」


 ブルーが器用にスライムボディを使って扉を開ける。十階層の最奥。そこは本来であればコアを守るボスの部屋。単調なダンジョンの中で、唯一整えられた空間。


 一歩足を踏み入れたローズが一瞬硬直する。


 一辺が百メートルほどの部屋の全ての壁が透明になっており、壁の向こうはどこまでも続く、透き通った青い空間が広がっていた。天井からは水面に映る太陽のような光が、ゆらゆらと差し込み、部屋全体が暖かな光で満たされていた。それは穏やかな海の一部を切り取ったような幻想的な世界。

 息を呑むような美しい光景にローズが感嘆の声を漏らす。


「素敵な場所……」


 ――??


 自分のお気に入りの場所が褒められて嬉しい反面、ローズの横顔が少しだけ寂しそうで、ブルーにはそれがなぜか分からなかった。


 ローズは小さく首を振ると、何事もなかったように、部屋の中央まで進む。そこには珊瑚礁を思わせる白いオブジェがあり、さらにその先には小さな祭壇があった。ローズは祭壇の上で僅かに浮いている黒い球体に手を翳す。


「これがコアね」


 ――あぁ、やっと終わるんだ


 ブルーはコアを破壊されれば、自分も役目を終えることを理解していた。本当はダンジョンの防衛機構として、それは止めなければならない。

 だけど、今更である。

 ローズが来る前の悲しくて退屈な生活に、もはや未練はなかった。


 ――退屈……そっか。ボクはとっくに死んでいたのかも。


 先ほどのローズの言葉を思い出す。


 ――でも、もう少しだけローズと一緒にいたかったな。


 ローズの魔法は怖かったけれど、それでもあんな風にまともに自分のことを相手してくれたのは初めてであり、得難い経験であった。しかもその後、名前をつけてくれた。友達になってくれた。たくさんお喋りもした。それはこれまでの独りぼっちの寂しい生活の中で、初めて味わった宝物のような時間であった。


 だからもう少しだけ……。

 

 ちっぽけなスライムの小さな願い。そんなブルーをローズはその真紅の目でじっと見つめていた。


「ブルー、ちょっとここに座ってみなさい」


 ――??


「ほら早く」


 何がしたいのかわからなかったが、言われた通りブルーは白いオブジェによじ登る。それは椅子。このダンジョンを守る最後の守護者のための玉座。そこにちょこんと青い饅頭が一つのせられた。


「プっ。全然似合ってないじゃない!」


 ――ひどい。

 

「いい? あなたはこのダンジョンの唯一の魔物なの。つまりあなたは最後の守護者、ここの王様なの。だからこの部屋も、この椅子も、あなたのためのものよ。だけど今のままじゃ全然だめね。王としての威厳が全く足りないわ」


 この部屋はブルーのお気に入りではあったが、まさかここが自分のための部屋だとは思ってもみなかった。なんせブルーはスライムである。一階層をぽよぽよしている方がお似合いだと自分でも思っていた。ただ言われてみると、この部屋はなんだか落ち着く気がした。


 ――不思議、ここに居ていいって言われてるみたい……。


 感慨に耽っているブルーのボディに、ぷにっとローズの指が刺さる。


「なにぼーっとしてるの? さっさとどきなさい」


 ブルーを押し除けると、今度はローズがそのオブジェに腰掛ける。不敵な笑みを浮かべながらゆっくりと足を組み、片方の肘をつく。ブルーがよじ登った時にはただの奇妙なオブジェであったものが、途端に重厚で厳かな玉座に見えてきた。


 ――わぁ、かっこいい!

 

「当然ね!」


 ブルーの賞賛と尊敬の眼差しっぽい動きを受けて、ローズはまんざらでもない笑みを浮かべる。


「そうね、あなたがこの玉座にふさわしくなるように、しばらくはこの最強の魔王が直々に王とは何たるかを教えてあげる。それまではここは私のもの。文句は受け付けないわ」


 ――えっ!? もう少し一緒にいてくれるってこと!?


 ブルーにとってこの楽しい時間が続くのであれば、もちろん文句などなかった。嬉しくてポヨンポヨンと弾むブルー。それを見つめるローズは頬に手を当て優しく微笑む。


 無邪気に跳ねるブルーは気付かなかった、ローズの指先が微かに震えていたことを。

 

 ここは廃棄ダンジョン最下層、王の間。相変わらず分解は続く。


 その速度は一階層の約千倍。

 

 人間であれ魔物であれ、それがまともな生物であれば、一秒たりとも存在できない無の世界。


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