第3話 ローズとの出会い

 その侵入者は真紅のドレスを纏ってやってきた。少しウェーブのかかったなめらかでツヤのある金色の髪は胸のあたりで揃えられ、ルビーのような紅い瞳には強い意思が宿っていた。僅かなあどけなさを残す美しく整った顔には、どこが不満気な表情が浮かんでいた。しかしそこに恐怖や怯えといった感情は一切見えなかった。

 このダンジョンの唯一の魔物である青いスライムは、これまでにもたくさんの侵入者を見てきたが、そのほとんどが怒りや悲しみ、それに後悔や諦めと言った負の感情を抱いていた。だからこそスライムは、そんな負の感情を持たないこの少女に少しだけ興味を覚えた。


――新しい侵入者。綺麗な目。それに珍しい服。分解は始まっているはずだけど、あんまり驚いていないみたい


 スライムは迷う。

 何もかも消えてしまうこのダンジョンで、わざわざ侵入者を殺す必要はない。だが終わりを求める者、全てを諦めた者には、自らの手で出来る限り苦しまないように終わらせてきた。

 しかし、この少女はどうだ?

 終わりを求めるわけでもなく、全てを諦めているようにも見えない。一階層の入り口付近で隠れていたスライムは困ってしまう。自分が手を下すべきか、否か。ポヨポヨと迷っている間に事態が動き出す。


「魔物?」


 少女の美しく、それでいてどこか少し戸惑った声が聞こえる。

 どうやら見つかっているようだ。しかしこの後に及んでスライムは、まだどうしていいか分からずにいた。そして同時に嫌な予感もしていた。自分がとんでもない勘違いをしているような、そんな不安。


 次の瞬間、強烈な殺気がスライムの体を突き抜け体が硬直する。


「ねぇ、あなた何者? どうしてここで生きていられるの?」


 どこか楽しげで妖艶な声と共に、ヒールの音がカツカツと近づいてくる。


「あなたのことを教えて」

 

 殺される。ここに至って漸くスライムは理解する。敵。それも信じられないほどの強敵。この少女に対して、苦しませないように終わらせるだなんて冗談にも程がある。

 だから意を決して前に出る。体の一部を鋭い針に変えて、少女に突貫する。狙いは少女の心臓。それは数えきれない侵入者を終わらせてきたスライムの唯一の攻撃手段であり、なるべく苦しませずに殺すために磨いてきた技であった。しかし高速の触手は少女の手前で停止する。見えない壁のようなものに阻まれてそれ以上進まない。


――うそっ!?


「なかなかいい攻撃だったけれど、最後に少しブレたわね…………ねぇ、もしかして私、手加減されているの?」


 その不機嫌そうな雰囲気にビビりまくったスライムは、思わずフルフルと体を震わせる。それを見た少女は目を丸くする。


「驚いたわ。まさか言葉がわかるの? いえ思念かしら? どちらにしてもあなた感情があるのね?」


――感情ってなに? これは頷くべき? そしたら戦わなくてすむ?


 どうしたらいいか分からないという感じで、それでもジリジリと距離を取ろうとするスライムに、少女は何かを確信したかのようにニヤリと笑う。


「まさか廃棄ダンジョンに、あなたみたいな存在がいたなんて……とっても興奮してきちゃった」


 そう言いながら、少女が楽し気に指を鳴らす。すると辺り一面に色とりどりの玉が出現する。それはたった一発で都市を破壊できるほどの威力を持った魔力弾。あらゆる属性を揃えた色鮮やかな魔力の塊が、百個以上は浮かんでいる。

 少しだけ対話できそうな雰囲気だったのに、なぜそんなものを浮かべているのか。スライムには少女の思考は全く理解できない。ただ自分が危機的状況であることだけは分かった。


「さすがにここだと全力が出せないわ。ちょっと地味ね」


――ど、どこが!? というかなんで分解されながらこんなに魔法が使えるの!?


 スライムがこれまでに見てきた人間の中には当然、魔法が使える者もいた。しかし彼ら彼女らの魔法は、構築する前に分解されるか、構築できても着弾するまでにはほとんど分解されていた。

 だがこの少女は既に、なんの苦労もなく、高密度の魔法をとんでもない数構築し、待機させている。ならばこれらは間違いなく自分に着弾する。スライムは数秒後の悲惨な未来を幻視して恐怖する。

 そんなスライムの絶望などお構いなしに、少女は魔法を打ち出す。スライムが先ほど繰り出した必殺の触手よりもさらに速く。

 一発目が掠る。なんとかかわそうとして直撃は免れたが、その余波で二発目をまともにくらう。そこからは面白いように当たった。火で燃やされ、水に貫かれ、土で固められ、風に飛ばされ、闇に呑まれ、聖なる光で浄化される。

 これが普通のダンジョンに生息する普通の魔物であったのなら、それが例え最下層に住む主級の魔物だったとしても、最初の一発目が掠った時点で絶命しかねない。少女の魔法はそういう次元であった。

 しかしこのダンジョンで生き続けるスライムもまた異常な存在である。国をいくつも滅ぼせるほどの集中放火を浴びてなお、致命傷には至らない。それどころか傷一つ残らなかった。とはいえ傷がないのは体だけである。スライムにとってほぼ初めてのまともな戦闘で、これだけの攻撃に晒されれば、その胸中はもはや恐慌状態であった。

 

「すごいわ。これを浴びてダメージがないの? じゃあこんなのはどう?」


 一方の少女はますます楽しそうであった。さらに興奮した様子で再度指を鳴らすと、今度は魔法でできた無数の矢が現れる。最も手応えがあった聖属性でてきた黄金の矢、それが空間を埋め尽くしている。さっきの攻撃よりも明らかに圧力が増している。もともと青いスライムボディがさらに青ざめる。


――やばいやばいやばいやばい、はやく謝らないと!


 全方位から飛来する黄金の矢を前に、スライムは必死に触手を振り降参をアピールした。


 黄金の矢はスライムに触れる寸前のところで停止する。

 

「あら。もうおしまい? まだ余裕がありそうに見えたのだけれど」


 攻撃が止まった事でため息を吐くように、スライムボディから力が抜ける。


「やっぱりなんか悔しいから、もう少し続けてもいいかしら?」


 力が抜けてどろっとしていたスライムの体がカチンと音が鳴りそうなほど固まる。


「ふふ、冗談よ。あなたとっても感情豊かね」


 そう言うと、スライムを取り囲んでいた魔法が今度こそ霧散する。

 

「それで、あなた……もしかして名前もあるのかしら?」


 ふるふる。もちろん名前などない。


「そう、なら『ブルー』って呼ぶわね。あなたのその青い体、とてもキレイだもの」


――ブルー……ボクの名前?


「さてブルー、戦いが終われば仲直りが基本……でもないわね。気に入らなければ滅ぼすまでやるべきね。でもあなたのことは気に入ったの。だから友達になりましょう」


――と、友達?


 ブルーが戸惑っている間にも、少女は勝手に話を進める。

 

「まずは自己紹介ね。私の名前はローズ。向こうでは最強の魔王なんて呼ばれていたけれど、ここにはあなたしかいないみたいだし、特別にローズって呼んでいいわよ」


――ま、まおう?


 その後もローズは楽しそうにブルーに話しかけた。ブルーは相変わらずふるふるするだけであったが、ブルーの意思はローズにきちんと伝わっているようであった。


「なるほど、ここは本当にダンジョンなのね。そしてあなたはここの唯一の魔物であると」


 コクコク。ブルーは肯定する。

 

「コア……このダンジョンの心臓みたいなものね。それの場所はわかる?」


 ダンジョンの心臓。ブルーが守るべきもの。それならばわかる。お気に入りの場所にあるアレだ。だけど侵入者たるこの少女に教えてもいいのだろうか?

 ブルーはしばし逡巡するが、あの場所をこの少女、ローズにも見てほしいという気持ちが勝る。だからコクりと頷く。


「……そう。やっぱりあなたが守護者なのね」


――??


 少しだけ悲しそうな声に、ブルーは体をぷにっと傾けて疑問を示す。


「なんでもないわ。そうね、まずはコアを確認しに行きましょうか。案内してくれる?」


 その言葉に、ブルーはどこか嬉しそうに、ポヨポヨと先導する。

 

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