第2話 ぼっちの魔物
スライムが生まれてからしばらくの間は、挑戦者達がやってきた。冒険者、探索者、名前は違えど、彼らは共通して未知を探索し、力を求める者達であった。誰も帰らない未知のダンジョン。そこへ足を踏み入れた彼らの顔には、警戒と期待、そして自信が浮かんでいた。
そんな侵入者を倒し、ダンジョンを守ること。それが自分の仕事だと本能で理解していたその頃のスライムは張り切っていた。なぜか他に仲間が見当たらないのだから、余計に自分がしっかりしなければと。
スライムが侵入者の前に姿を見せると、彼らはすぐに警戒し、それが特別な力を持たないスライムだとわかると安心した。なんだ、ただのスライムじゃないか、他のダンジョンと変わらないじゃないか。そして片手間にそのスライムを処理しようと武器を抜き、その武器が半ばから消えていることに驚愕する。直ちに警戒レベルを引き上げ、ならばと放った魔法は、スライムに届く前に分解され霧散する。もちろんスライムは何もしていない。ただの、というにはあまりにも悪辣であったが、これはダンジョンの効果にすぎない。混乱する挑戦者達は、スライムとの戦闘を避け先に進む。幸いスライムはぽよぽよと跳ねるだけで、スピードもなく簡単に通り抜けることができた。
挑戦者達はスライムを置き去りにして進み、そして理解する、なぜ誰もこのダンジョンから帰れないのかを。分解が止まらない。武器も魔法も、そして肉体も分解される。足が消え、それ以上進めなくなり、後悔に塗り潰される。
ある者は入り口に引き返し、出してくれと叫び、それが叶わないことを悟り絶望した。ある者はこの効果は一階層のみと信じて、二階層に到達し、そしてやはり絶望した。このダンジョンでは、階層を降る毎に分解の速度が倍になる。入ったものを決して逃さない理不尽な罠に、怒り、嘆き、そして最後にはみな入ったことを後悔しながら消えていった。
そして誰もスライムの相手をすることはなかった。理不尽な罠の前にみなスライムどころではなかった。スライムにはそれが悲しかった。張り切って侵入者に対峙したが、誰も自分の相手をせずにやがて勝手に消えてしまう。それを繰り返すうちに、スライムは自分が何のために存在するのか分からなくなった。そんな日々が何百年と続き、やがて自分の意思でダンジョンに入る者はいなくなった。
代わりに戦う意志のない者達がやってきた。ある者は手足を縛られ、ある者はすでに死にかけていた。大きな荷物を運ばされた集団もやってきた。何かわからない生きた肉の塊もやってきた。疲れ、怒り、悲しみ、諦めた彼らはみな負の感情を抱えていた。
スライムはもう以前のように、侵入者の前に姿を見せることはなかった。放っておいてもみな分解され、消えていく。ならば自分が行く必要はないし、何よりも侵入者の怨嗟の声をこれ以上聞きたくなかった。
***
ある時、ボロボロの服を着た少女がダンジョンにやってきた。体の至る所に傷があり、目は両方とも潰れていた。美しかったであろう髪は黒く煤けて、元の色がわからなかった。ダンジョンに分解されるより先にその命は消えようとしていた。
——あぁ、またこれか
ダンジョンに死体は入れない。逆に言えば生きてさえいれば入ることができる。だから死ぬギリギリまで痛めつけて、そして最後にこのダンジョンに放り込む。そこまでして消したい何かと一緒に。
そんな死にかけの侵入者は、たいてい全てを諦めていて、スライムにはそれが悲しくてつらかった。だから今回もすぐにその場を立ち去ろうとした。
「……死にたくない」
しかし、掠れるようにつぶやかれたその言葉を聞いて、スライムは動きをとめた。
「……死にたく、ない」
二度目のその悲痛な叫びを聞いて、スライムは少女の前に姿を見せた。そして気づけば回復魔法をかけていた、本来であれば排除しなければならないその少女に対して。
結果的にそれはうまくいかなかった。自身に対しては無限の回復力を持つスライムであったが、それを他者に、正確には侵入者に対して使うことができなかった。それはダンジョンというシステムが定めたルールであり、枷であった。それでもスライムは、何かに効果を打ち消されながらも必死に魔法をかけ続けた。
「……誰かいるの?」
暖かい光に包まれた少女が消えそうな声で訊ねる。そしてほんの一瞬、微かに少女の目が開き、ぼやけた視界が青く透き通る丸い塊を捉えた。イレギュラーたるスライムの全力の回復魔法が起こしたほんの少しの奇跡。
「キレイ……」
だけどそれだけ。
一瞬開いた目はまたすぐに光を失う。それでも少女は、少しだけ明るい声でお礼の言葉を述べる。
「ありがとう、優しい魔物さん」
「ねぇ、あなたにお願いがあるの。私はこのまま死にたくない。あいつらにやられた傷で死ぬのも、このダンジョンに消されてしまうのもイヤ」
「私は最後まで抗いたい」
それは自らの誇りと尊厳を守るための彼女の最後の抵抗。
「だけど、もう自分で死ぬこともできないみたい」
見れば元から動きそうになかった彼女の手足は、追い打ちをかけるように分解され消えつつあった。
「だから、優しい魔物さん……」
「私を殺してくれない?」
残酷で悲しい願い。だけど彼女を助けられないスライムには、その願いを叶えてあげることでしか、彼女を救うことができなかった。
だから、殺した。
なるべく苦しまないように、震える触手を一生懸命コントロールして、心臓を一突きにした。
(ありがとう)
それはスライムにとって、初めて侵入者を自分の手にかけた瞬間であった。少しだけ安心した顔をして彼女は逝き、その死体はやがてダンジョンに分解された、最後に紅く輝く小さな石を遺して。しかしそれすらも時間が経てば分解され消えてしまうだろう。それが無性に悲しくて、スライムはその石を自身に取り込み、隔離し、回復魔法をかけ続けることでダンジョンの分解効果から守ろうとした。
それはいわゆるドロップアイテム。スライムはこの時初めて知った。自分の手で殺した時のみ、遺された何かを取り込むことができることに。
それからスライムは死を待つだけの者達、死を望む者達を殺し続けた。それがせめてもの救いになると信じて。そして遺された何かを自身に取り込み、分解から守り続けた。
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