第3話 無しの少女②
食卓の準備が整ってから、
家の事をしないわけではないが、本人曰く、趣味らしい。大昔は宮廷で宮仕えをしていたようだが、満足に眠ることができなかったともよくぼやく。
しかし、恋花の能力を知ると、八つ時には必ず起きるようにしてくれている。美味い
「
「……んー?」
恋花が声を掛ければ、すぐに起き上がってくれた。くたびれた銀髪は長いが、年々量が減っている。年のせいだと玉蘭は前にぼやいていたが。
「今日はあんぱんだよ」
「……いただこうかね? さっき、なんか騒がしい声がしたけど」
「……近所の子どもたち。麺麭の匂いに釣られたみたい。私が出たらすぐに帰ったけど」
「まあ、仕方ないさね。あたしらは、『無し』だから」
人間であれば、誰もが寄り添うとされている……不可思議な存在の
だが、代わりに得た異能力により、少しだけ寂しさは和らいでいた。先見で視る夢の中には、九十九などが存在しない。
ただただ、己の手で麺麭などを生み出す光景が見えるのだ。その努力などに、幼い頃から憧れを抱いて、地道に麺麭作りをしてきたことで再現が可能となった。その今の生活は、九十九が居なくても誇りに思っている。
「こっちに持ってこようか?」
「いいさ。あっちで食べるよ。寝過ぎて少し体がゴキゴキ言うねえ?」
「わかった」
移動するとなれば、茶くらい用意しよう。
湯を沸かしに行こうと、煮炊き場に向かう途中……廊下にある窓の方に珍しい人影が見えたのだ。
役人らしき、仕立ての良い衣服に冠。
供人がいなくて一人ではあったが、片目に眼帯を覆っていた。その横顔にどこか見覚えがあったが、うちには関係がないと恋花は煮炊き場の方に行った。
だが、湯を沸かそうとした時に。先程子どもらが騒いでいた方の扉から、軽くだが来訪を告げるような叩く音が聞こえてきた。
「すまない。ここは、玉蘭殿のお住まいか?」
耳通りの良い、低い男の声。
窓向こうから、ちらりと見えた役人だろうか。しかし、相手は恋花ではなく玉蘭を訪ねてきたと言う。祖母は起き上がって、食卓の方に行ったかもしれないだろうが……扉向こうの訪問者を無視するわけにはいかない。
恋花は軽く息を整えてから、扉の方に行ってゆっくりと開けた。
「……どちらさまで」
しょうか、と言おうとしたのだが。
恋花は相手の顔を見上げた時、窓から見えた役人ということもだが、眼帯があれどなんて美しい男性だと……感心して息を飲んでしまったのだ。眼帯がなければさぞかし美丈夫だっただろうに、と思ったが、町中の九十九にも類似するような美しさを感じた。
「ん? 君は孫か?」
相手は恋花のことを少し知っているのか問いかけてきたので、恋花は慌てて頷く。役人など、九十九のいない恋花にはある意味雲の上のような存在。そのような人間が、祖母に用とは言え何をしに来たのだろうか。
「祖母、ですね。呼んできます」
「ああ、頼む」
九十九は人間に寄り添うが、普段は身体の内側に宿っているとされているので、初対面だけなら役人でもわからないだろう。恋花らの噂を知らなければだが。
食卓に行くと、先にあんぱんを食べようとしていた玉蘭が足音に気づいて、手を引っ込めようとしていたところだった。
「奶奶。お役人様が来てる」
「こんなおいぼれにかい? 昔の仲間かねぇ」
「ううん。もっと若い方だった」
「ふぅん? まあ、行こうじゃないか」
廊下を歩きながら、玉蘭は衣服の乱れを軽く整えてから裏口に向かった。恋花もその後に続き、再びあの役人の前に立ったが、何度見ても美しいと思うのをやめられない。普段、町中じゃ他人の顔などをじっくり見ないようにしていたので、つい見つめてしまうのだ。
「待たせたね、何の用だい?」
玉蘭は彼の美しさを気にせず声を掛けたのだが、扉にもたれかかっていた役人は怪訝そうな目付きになって、玉蘭を見たのだ。
「……お前、玉蘭殿じゃないな?」
などと言い出したので、恋花がびっくりしていると……玉蘭がこちらを少し振り返り、溶けるように玉蘭の外見が変わっていったのだった。
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