第3話 無しの少女②

 食卓の準備が整ってから、恋花れんか玉蘭ぎょくらんを呼びに寝所へと足を運ぶ。育ての親でもある玉蘭は、暇があれば寝ていることが多い。


 家の事をしないわけではないが、本人曰く、趣味らしい。大昔は宮廷で宮仕えをしていたようだが、満足に眠ることができなかったともよくぼやく。


 しかし、恋花の能力を知ると、八つ時には必ず起きるようにしてくれている。美味い麺麭パンを食べるためであれば、きちんと起きるからだと。



奶奶ナイナイ、おやつ出来たよー?」

「……んー?」



 恋花が声を掛ければ、すぐに起き上がってくれた。くたびれた銀髪は長いが、年々量が減っている。年のせいだと玉蘭は前にぼやいていたが。



「今日はあんぱんだよ」

「……いただこうかね? さっき、なんか騒がしい声がしたけど」

「……近所の子どもたち。麺麭の匂いに釣られたみたい。私が出たらすぐに帰ったけど」

「まあ、仕方ないさね。あたしらは、『無し』だから」



 人間であれば、誰もが寄り添うとされている……不可思議な存在の九十九つくも。それが『無い』のは、ここいらだと恋花と玉蘭だけ。亡くなった恋花の両親、玉蘭には娘夫婦だったが彼らもまたいなかった。そう言う家系かもしれないが、恋花は昔よくいじめられていた時から諦めていた。己は、そのような存在なのだと。


 だが、代わりに得た異能力により、少しだけ寂しさは和らいでいた。先見で視る夢の中には、九十九などが存在しない。


 ただただ、己の手で麺麭などを生み出す光景が見えるのだ。その努力などに、幼い頃から憧れを抱いて、地道に麺麭作りをしてきたことで再現が可能となった。その今の生活は、九十九が居なくても誇りに思っている。



「こっちに持ってこようか?」

「いいさ。あっちで食べるよ。寝過ぎて少し体がゴキゴキ言うねえ?」

「わかった」



 移動するとなれば、茶くらい用意しよう。


 湯を沸かしに行こうと、煮炊き場に向かう途中……廊下にある窓の方に珍しい人影が見えたのだ。


 役人らしき、仕立ての良い衣服に冠。


 供人がいなくて一人ではあったが、片目に眼帯を覆っていた。その横顔にどこか見覚えがあったが、うちには関係がないと恋花は煮炊き場の方に行った。


 だが、湯を沸かそうとした時に。先程子どもらが騒いでいた方の扉から、軽くだが来訪を告げるような叩く音が聞こえてきた。



「すまない。ここは、玉蘭殿のお住まいか?」



 耳通りの良い、低い男の声。


 窓向こうから、ちらりと見えた役人だろうか。しかし、相手は恋花ではなく玉蘭を訪ねてきたと言う。祖母は起き上がって、食卓の方に行ったかもしれないだろうが……扉向こうの訪問者を無視するわけにはいかない。


 恋花は軽く息を整えてから、扉の方に行ってゆっくりと開けた。



「……どちらさまで」



 しょうか、と言おうとしたのだが。


 恋花は相手の顔を見上げた時、窓から見えた役人ということもだが、眼帯があれどなんて美しい男性だと……感心して息を飲んでしまったのだ。眼帯がなければさぞかし美丈夫だっただろうに、と思ったが、町中の九十九にも類似するような美しさを感じた。



「ん? 君は孫か?」



 相手は恋花のことを少し知っているのか問いかけてきたので、恋花は慌てて頷く。役人など、九十九のいない恋花にはある意味雲の上のような存在。そのような人間が、祖母に用とは言え何をしに来たのだろうか。



「祖母、ですね。呼んできます」

「ああ、頼む」



 九十九は人間に寄り添うが、普段は身体の内側に宿っているとされているので、初対面だけなら役人でもわからないだろう。恋花らの噂を知らなければだが。


 食卓に行くと、先にあんぱんを食べようとしていた玉蘭が足音に気づいて、手を引っ込めようとしていたところだった。



「奶奶。お役人様が来てる」

「こんなおいぼれにかい? 昔の仲間かねぇ」

「ううん。もっと若い方だった」

「ふぅん? まあ、行こうじゃないか」



 廊下を歩きながら、玉蘭は衣服の乱れを軽く整えてから裏口に向かった。恋花もその後に続き、再びあの役人の前に立ったが、何度見ても美しいと思うのをやめられない。普段、町中じゃ他人の顔などをじっくり見ないようにしていたので、つい見つめてしまうのだ。



「待たせたね、何の用だい?」



 玉蘭は彼の美しさを気にせず声を掛けたのだが、扉にもたれかかっていた役人は怪訝そうな目付きになって、玉蘭を見たのだ。



「……お前、玉蘭殿じゃないな?」



 などと言い出したので、恋花がびっくりしていると……玉蘭がこちらを少し振り返り、溶けるように玉蘭の外見が変わっていったのだった。

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