エモーション

ナナシリア

エモーション

 これまでの人生で、僕の感情を正確に読み取ることが出来るような人とは出会ったことがなかった。


 そりゃあ当然、すべての感情を正確に読み取るような人と出会う方が難しいが、僕の場合は無表情だと言われる。


 口角が全然上がらないとか、目を細めたり見開いたりしないとか、そういう地味な要素が積み重なって、僕の感情を隠蔽した。


 それまでの日々から、僕はもはや人と関わっても疲れるだけだという持論を形成していた。


「志穏くん、泣いてるの?」


 ——君に出会うまでは。




「君、泣いてるの?」


 僕がまた人付き合いに失敗して悲しみに暮れて海を見に行ったその日が、僕の君との初対面だった。


 だが僕は泣いてはいなかったし、はたから見れば無表情だったように思われる。


 少なくとも自分の顔が歪んでいるというように意識したりはしなかった。


「涙は流れていないんだけど」

「なんだ、悲しそうな目をしていたから泣いてるのかと思ったよ」


 悲しそうな目。彼女は僕の感情をずばり言い当てた。


「君は誰なの?」


 なぜ僕の感情を読み取ることが出来るのか、そう問いかけたつもりだったが、彼女とは初対面なのでそれはわからなかったようだった。


「私は目黒桃。えっと、これで十分かな?」

「僕は堺志穏。よく感情が分かりづらいって言われるんだけど、わかったの?」


 その言葉に対する彼女の返答はなかったが、


「嬉しそうだね」


 実際に今の僕の感情を言い当てることで返答の代わりとされた。


「なんでわかるんだ?」

「目は口程に物を言う、っていう諺もあるくらいだし、目を見てればわかるよ」

「でも、他の人は」

「たぶん人生経験がうっすいんだよ」


 結構ひどい悪口だと思った。


 でも人生経験の豊富な目黒さんが言っているんだからそのくらい言うのが普通なのかもしれない。


「せっかくだし、連絡先も交換しようよ」

「え」


 あまり人と関わってこなかった僕にとって、ここまで露骨に距離を詰める人は初めてだった。


 だから、嬉しくはあったものの、戸惑いの感情が強かった。


「うーん、ちょっと一気に詰めすぎちゃったかも。ごめんね?」

「いや、嬉しい」


 いくら僕でも、言葉にすればその感情は伝わった。


 目黒さんが僕の目を見て感情を判断するよりも正確で、そして勇気が必要な分強い感情が伝わった。


「だったら、スマホ出して!」

「志穏……」


 僕は彼女が僕を呼ぶ呼び方が気になったものの、彼女の連絡先が早く欲しくてスマホを取り出した。


「で、なんで僕を名前で?」

「もう友達になったんだから、名前で呼んでもいいでしょ? 志穏くんも私のこと名前で呼んでほしいなあ」


 僕に似た人が現れたら、その人の感情を絶対に読み取ろう。


 そう思って鍛えた他人の感情を敏感に読み取る感覚が、名前で呼んでほしいなあという気持ちを明確にとらえた。


「桃、僕と同じ高校だったんだ」


 交換した連絡先を見ると、いわゆるステータスメッセージの文章に、僕と同じ高校の略称が書いてあった。


「え、志穏くんも県立一高?」

「そうだよ」

「何年何組?」

「まさか僕のクラスに来たりはしないよね?」


 桃は大げさにのけ反った。


 図星だということを表現しているということなのだろうか、と思って、じゃあこれからは僕も少し大げさに感情を表現してみようかと思い立つ。


「何か突っ込んでよ!?」

「一年、七組だよ……」

「遠いねえ。私は一年一組だよ!」

「行かないからね?」


 僕は念を押した。




 止め処なく流れる大粒の涙。


 桃と初めて出会ったときは泣いてはいなかったが、三年の時を経て僕は感情表現が豊かになっていた。


 桃といる時はよく笑い、桃が欠席したら寂しげな表情に。


 あくまで感情の中心は桃にあったけど、桃のおかげで僕は間違いなくいい方向へと変わっていった。そのことが喜ばしかった。


 桃と過ごした日々。そして、桃と関わり始めたことで他の人たちとも過ごすことが出来た三年間。


 僕の転機となったそんな高校の日々も終わりを告げる。


「志穏くんってどこの大学だっけ?」

「まさか、僕の大学に来てくれるってこと?」


 桃は涙を零しながらうなずいた。

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エモーション ナナシリア @nanasi20090127

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