第37話
10円ポーカーゲームに識別機はない。店員が持つ鍵で点数を入れる。
キーアップというものだ。100円ゲーム同様、新規サービスがある。
初回の五千円で五千円のサービスがある。
画面の左上のクレジットには1000という数字が入る。新規サービスゲームだけは2000点以上でなければアウト(現金に変えること)ができない。
この2000点は現金で二万円に換金される。客が賭けられるBETは10~50BETだ。50BETは五百円である。
50BETでやると目が出ない台だと一万円はあっという間になくなってしまう。
5000点以上になると、パンクと呼ばれゲームオーバーになる。その時に、画面が青から赤に変わるゲーム機だ。
クレジットの点数が溶けて0になると客は、「入れて」と店員に声をかける。客から声が掛かった卓に店員は駆け寄り、右側にある鍵穴にキーを差し込みカチャカチャと客が渡す現金分だけ点数を入れる。
忙しい店だとホールにいる店員達が店内を走り周り、カチャカチャと点数を入れて回っている。
識別機がある百円ゲームより客の声や店員の動きで店内はとても賑やかである。
ある時ふらりと客が来た。一日の入店客の数がゼロなんて珍しくない時だ。
茶色のスーツを着た小柄な三十代半ばくらいの男だ。五分刈りが伸びたような短髪、鼻の橫のホクロが目立つおとなしそうな客である。
「いらっしゃいませ。何点いれましょう?」
僕はオシボリと新規サービスの伝票を手に持ち、客が座ったテーブルの橫に立った。
「じゃあ、五千円で。それとオレンジジュースください」
客は五千円を出し、サービスの伝票には「サトウ」とサインをした。
店内にはサトウと僕の二人だ。
僕の座っている席にはモニターがある。
そのモニターには1~10番迄のチャンネルがある。
サトウの座っている三番台は、3と書いてあるチャンネルに合わせると、このモニターで三番台のゲームの状況が見えるのだ。初めての客だとダブルアップが好きなタイプなのか、テイクをしながら大きな役を待つタイプなのか、客のゲームのやり方を見ることができる。
僕はモニターに目をやりながらサトウの背中を見ていた。
しばらくして、彼はクスクスと肩で笑いながら「ストフラッ!」とニコニコした顔で手を上げ僕の方を振り向いた。
「おめでとうございます!」
僕はプレミア(4カード以上の役が出た場合のご祝儀)の伝票を持って彼のそばに寄り画面を見た。
サトウは20BETでゲームをしていた。この店ではプレミアのご祝儀は30BET以上からである。30BET以上のストフラは五千円、50BETのストフラであれば一万円のご祝儀が客に渡される。
「どうもすいません。ご祝儀は30BETからなんですよ」
「いえいえ、大丈夫ですよ。久々に見たなぁ。ストフラ」
彼は満面の笑みでそれをテイクした。
ストレートフラッシュは賭けているBETの150倍だ。20BETなので3000点だ。彼はダブルアップをせずにテイクボタンを押した。
ストフラの点数がクレジットにどんどん加算されていく。目を細めタバコをくゆらせながら、彼はニコニコしながら青から赤に変わった画面を眺めていた。4000点近くクレジットの数字が増えた。
アウトすることなく彼はゲームを続けている。
腕組みをしたり肩を揺らせて笑ったり、深く息をついたりと、ポーカーゲームを味わうように楽しんでいる。
僕が灰皿の交換をしに行った時だった。
――ん?——指がない!サトウの左手の小指がないのだ。
僕の人間観察のアンテナに引っ掛かっていなかった。ゲームを始めてから二時間以上経っている。僕はアウトすることなくゲームを楽しんでいるサトウを見て、客もいないし20BETでおとなしく遊んでいるなら断らなくてもいいか、サクラ替わりにもなるし、と思いそのままゲームを続けさせていた。
4000点近くあった点数を溶かし、新たに五千円を入れて彼は帰っていった。
このことは和泉さんに、サトウの特徴と指がないのだが断らなくてもいいということを伝えた。
それからほぼ毎日来るようになった。
一日に二回来ることも、多いときは三回、四回と来ることもある。
点数が増えても一度もアウトすることがない。一度の来店に使う金額は必ず一万円だ。前歯が無いのを隠すように、笑う時には手で口元を隠す愛嬌のある男だ。
店に入ってくるときも、なぜかペコリとお辞儀をする。指がないこと以外は全然問題のない良い客である。本当にポーカーゲームが好きなのだろう。
老舗の呉服屋のダンディが「三日もポーカーゲームのボタンを触ってないと手が痒くなる」と、よく笑いながら話していたことを思い出した。
僕がいつも座っている所からは透明の分厚いガラスのドア越しに、通路の先のおもての通りまでが見える。店がオープンして三ヶ月くらい経った一月の午後だ。
三人のヤクザが『ティールーム・ダッシュ』の看板の前で、なにやら立ち話をしている。
スキンヘッドに、シルバーのダブルのスーツを着た大柄な男がひときわ目をひく。
立ち話を終えたのか、ドカジャンにスエットといういでたちの一人の若いパンチパーマのヤクザがスタスタとこちらに向かって通路を歩いてきた。
僕は立ち上がり、この若いヤクザを断る準備をしていた。
若いヤクザは僕に、「客じゃない、客じゃない」という素振りで顔の前で手を振り、笑いながら店に入ってきた。
店にはサトウ一人が黙々とゲームをしている。
若いヤクザは誰かを探すような素振りでじっとサトウの背中を見ている。そして、見つけたぞ!という顔で外の通りにいる二人のヤクザを静かに手招きをしている。
「コラッーー!祖父江ッ!ふざけやがって!」
言うが早いか三人のヤクザは、サトウが座っている椅子の背もたれを思いっきり引き倒した。
ダァーンッ!と椅子ごと引っくり返されたサトウは、驚いた顔で振り返ると同時に真っ青な顔で怯えている。
「おおーっ!祖父江!コノヤロー!おおぉ!おらっ!」
ひっくり返った祖父江に二人のヤクザが怒号と共に身体中をガツガツと蹴りまくっている。慌てて背中を丸めた祖父江は、「すいません!すいません!」と身体をくの字にして両手で顔や頭を隠し、大声で許しを乞うように喚き叫んでいる。
狭い店内に、サトウの悲鳴とヤクザたちの怒鳴り声、殴り続ける音が響き渡る。
どうやら組の金をごまかしていたようだ。
一万円ずつちょこちょこと抜いては、ここでゲームをしていたのだ。
二人のヤクザに店から引きずり出されるように、通路へとサトウはぶん投げられた。
「おい!祖父江を事務所へ連れてけ!ふざけやがって!クソガキが!」
通路にいるぐったりしているサトウを睨みつけ、若い二人のヤクザに向かって三人の中で一番兄貴分っぽいヤクザが指示をするように声を張り上げた。
スキンヘッドに口と顎にはひげがある、眉の刺青が印象的な身体のデカいヤクザが、ツカツカと僕のほうへ振り返り近づいて来た。
「オイ、コラッ!この野郎!てめぇの店はヤクザモン入れてんのか!オオッーー!」
スキンヘッドの眉墨のヤクザが、声を荒げ僕を怒鳴りつけた。
「――いえ、申し訳ないです!」
僕はそのヤクザに精一杯、頭を下げた。
「オイ、この野郎!俺もヤクザだ。この店はヤクザモンでも遊ばせてくれるんだろ!
俺のゲームにも点数入れてくれよ。早く入れろ!この野郎!おおっー!」
そのヤクザはドカッと椅子に腰をおろし、「点数を入れろ!ゲームをやらせろ!」と僕の顔を見上げ睨みつけてくる。
「――いえ、勘弁してください!申し訳ないです!」
「なにを勘弁するんだよ、クソガキ!コラーッ!あいつにはゲームやらせていたんだろが!おおっー!」
「――申し訳ないです」
「オイッ!コラッ!ボウズ!てめぇはオウムか?申し訳ありません、勘弁してください以外の言葉は使えねぇのかよ?この野郎!おおぉ!」
「――――申し訳ありません……」
僕はヤクザが店に来たときには粘り強くこの言葉だけで対応していた。
男は大きく足を組み、貧乏ゆすりをしながら僕を睨みつけたままだ。
「舐めてんのか、この野郎ぅ!なんだよ、それ。まぁいいや。あいつは何回くらいここへ来てるんだよ?いくら使ってんだよ?」
「まだ、オープンして日も浅いので、二、三回位だと思います。来店されても一万円だけなんで……」
「ホントかよ?それ。もう来ないと思うけど二度と奴は店に入れんなよ、わかったか!この野郎!」
――毎日、毎日、本当にヤクザしか来ない店だ。
店は始まったばかりなのだが、どんどん気持ちが萎えていく。
引っくり返された椅子と、床に散らかったサトウのタバコの吸い殻と灰皿。
割れたグラスの破片や、テーブルからポタポタと垂れ落ちるオレンジジュース。雑巾を手にした僕は、しゃがみこんだまま舌打ちする元気さえもなく、床に向かってため息を、深くて重いため息をつくしかなかった。
客が一向に増えてこない。来るのはケンちゃん(新規ゲームしかしないコジキ客)か、ヤクザだけだ。毎日、毎日、ポン中ヤクザを断ることが、仕事になっていた。
この頃の僕は、消費者金融六社に四百万、日掛けのトイチの借金があった。
日掛けのトイチとは、十万円なら最初に九万円もらい翌日から、毎日一万円を十日間(十回)で払い終えるものだ。
自分のその支払いもあるのだが、この店の家賃が出ないのだ。
社長やママにお願いするわけにもいかない。
ボッタクリで働いていた頃によく借りていたトイチの金貸しに相談をした。
少額専門で金を貸していた人だが、三百六十五日借りっぱなしの超常連の僕の相談に、渋々百万円渡して毎日四万円の三十回で返すなら貸してやると言ってくれた。
四十日で、百万円借りて百二十万円で返すのだ。
毎月、月末には与後社長に会うことになっている。店がオープンした最初の月の月末にマイナスの報告をした。
すると社長は、「こんな捕まるかもしれない危ない橋を渡る仕事でマイナスなんかありえない。すぐにこのまま誰かに店を買って貰え」というのだ。
誰かに売った金を、そのまま俺のところに持ってこい、本当はやりたくなかったんだ、マイナスなら店から手を引きたいとまで言う始末だ。
これにはママも「始めたばっかりでそれはないでしょう、瀬野さんも寝ずに頑張っているのに!」と社長に喰ってかかった。
そこで僕は二ヶ月目から社長に会うときは「店を閉めろ、誰かに売れ」と言われたくないために自腹で三万円、五万円の金を工面して、今月もプラスで終わりましたという報告をしていた。
日報は届けられても、見てもわからないから金だけ持って来いという話だ。
客が来ない、暇だ暇だとはいっても和泉さんの給料もあれば、僕の自分の支払いや生活費もある。
僕は、毎月トイチの金貸しから百万円借りて百二十万円で返す借金。街金をしている先輩から百万円を五分の金利での借金。別の金貸しから月一割で五十万円の借金を二つ。その他に自分の消費者金融の四百万円の借金。
毎月の支払いのことで頭がいっぱいだ。毎月というより、毎日の支払いで気がおかしくなりそうだ。
二ヶ月先の何日が何曜日だと言えるくらいカレンダーとニラメッコしていた。
カレンダーには支払日と金額が赤のボールペンでぎっしり書き込まれている。
目を閉じると以前ならポーカーゲームの電子音が頭の中で鳴り響いていたのだが、今ではあっちに詰めた金を引き直してこっちに詰めてと、屋号通りの自転車操業でダッシュしていた。
ママは僕のことが心配なのか、店のことが心配なのかちょくちょく店に顔を出していた。
「ちょっと、哲也さぁ。年齢二十六だっけ?白髪がすごいよ。無理しないでよ」
本当に人間は悩みが多いとハゲたり髪が白くなるんだなぁ、と僕は鏡をしげしげと見ながら呟いた。
だけど、だけど、――絶対にこの店は潰さない、絶対にモノにしてやる。
心の底から下っ腹に力を入れた。
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