第34話

  今日、詠美里ママから連絡が来た。夕方に与後社長と同伴で『火の国』でご飯を食べるから顔を出してくれないかという話だ。同伴とはホステスが店に出勤する前に客と会って食事などをしてから客と一緒に店に行くことをいう。

火の国は、ホストクラブ愛本店の斜め前の二階にある熊本料理の店だ。

どの料理も美味しく、僕は特に辛子蓮根、桜肉のユッケが好きだった。

僕も大好きな居酒屋のひとつだ。

エレベーターで二階に上がると入ってすぐ左側にレジがある。

レジの向こうには簡単なカウンターと厨房。

この店は通りに面してガラス張りになっている。それに合わせてテーブルが置かれ、小上がりの座敷からは外の景色が見える造りだ。目をやれば、相も変わらず早くもタクシーの渋滞が列を成している。

僕とママは少し早めに来て与後社長を待った。今日のママは胸元が大きく開いた光沢のある素材の黒のワンピース、それに合わせた黒のジャケット。シルバーのネックレスに大きなパールのイヤリング。キラキラ輝いているダイヤの指輪。

左腕にはプラチナのロレックスが光る。

男性もそうだが、特に女性は髪型や着ている衣装でガラッと雰囲気が変わる。

スエットを着て髪を縛ってショートケーキを頬張っていたママとは全然違う、という話を僕がしたら彼女は口を開けて大笑いしていた。

「哲也、社長には大体の話はしてあるからさ。話を盛ってもいいから、メチャクチャ儲かるような話をしてよ。最初に掛かる費用も多めに言いなよ。金は持ってる人なんだからさ」

彼女は時計を見ながらそう僕に話した。十九時に待ち合わせだ。場所柄、店内も同伴客らしき人たちで満席に近い。

エレベーターのドアが開き巨体を揺らして、僕たちを探すように与後社長が現れた。

白髪頭の短髪に金縁の眼鏡。整えられた口髭も白髪で真っ白だ。

首、肩、胸板、腕、太もも、すべてのパーツが太い。黒とグレーのチェック柄のジャケットに白の開襟シャツ。腕にはもちろん金無垢のロレックスが巻かれている。

一見ヤクザのように見えるのだが人間観察を何年もしている僕にはそうは見えない。アンダーグランドで生きている人間の匂いがしない。

人の良さそうなエネルギッシュな土建屋のオヤジだ。

ママが手を振る席に社長はゆっくり歩いてきた。

「おお、待たせちゃったかな?時間通りに来たんだけどな」

僕はすぐに立ち上がり、深々と頭を下げた。

「瀬野哲也と言います。宜しくお願いします」

社長は靴を脱ぎながら店員にビールを注文した。社長が来たところで、三人で乾杯をした。与後社長は青森から中学を出て、東京に就職で来たという。

裸一貫、一代でここまで会社を大きくしたという。杉並に家を建築中だということもあるが、男に生まれたからには一度は家を建てなければいけないと熱く話していた。

僕は百円ゲームの現状と10円ゲームがこれから流行り出すことを社長に話した。

「ママに連れられてフェニックスだっけ?あのゲーム喫茶に連れて行かれたよ。お客さん凄く入ってたなぁ。あんなに繁盛してて従業員は、給料いくらくらい貰ってるんだい?」

そう言いながら社長は、僕を値踏みするような目でショートホープに火を着けた。

「ゲーム屋の従業員はどこも月給三十万です。タバコと食事代がタダなところがいいだけですよ」

「月給で三十万かぁ。瀬野君よぉ、うちだと外国人でも月給六十万くらい払ってるぞ。うちで働くのも悪くないぞ」

テーブルには美味しそうな料理がどんどん運ばれて来る。

ママが腰を上げ、あいずちをうちながら取り皿に料理を載せ、社長と僕の前に並べてくれる。

「その10円ゲーム喫茶って店を開けるのにいくらくらいかかるんだい?」

社長は大好物の馬刺しを口いっぱいに入れながら僕を見て尋ねた。

「そうですね、店の規模にも寄りますが、二千万くらいみてもらえれば」

僕は社長の反応を見ながら数字に関しては丁寧に答えていた。

「瀬野さんさ、二千万掛けても三ヶ月くらいで回収できちゃうんでしょ?」

金の話がしたくてウズウズしていたママがレモンサワーを飲みながら話に入ってきた。瀬野さんなんてママから一度も呼ばれたことはない。

何度も僕のことを「瀬野さん」と呼ぶママに僕は笑ってしまった。しかも三ヶ月で回収できると自信満々な顔で社長に言い切るママの言葉に、僕は笑いを押し殺していた。オープンして客が来るのかさえどうかわからないのに。

「たった二千万でいいの?三ヶ月で回収かぁ。

もちろん、なにかあっても俺の名前は絶対に出ないんだよな。

そこは約束できるかい?」

箸を休めた社長の顔から笑みは消え、目を細めて真剣な眼差しで僕の顔を覗き込んだ。

「もちろん、約束できます!社長に迷惑かけることは絶対ありません」

僕も社長の目を見て、しっかりとした声で返事をした。

うまくいくかどうかなんて、どれだけのデーターを集めたところでやってみなければわかるはずもない。とりあえず店を開けることだ。この話をまとめることだ。

僕は、この街で動いているアングラマネーの桁違いさや、社長の思いつく質問にもすべて答えた。今まで店で起きた事件や、周りから聞いたエピソードを面白可笑しく話をした。

客として遊びにしかこの街に来ていない社長からすれば、この街の裏話は新鮮であるし、とても面白かったのだろう。

僕の話に目を丸くしたり、膝を叩いて大笑いしている。「二千万なんてたいした金額じゃない」という与後社長が、とてつもなく大きく見えた。漠然とカッコいいなと思った。こんな男に自分もなりたいと思った。

「それなら安心だ。これからママの財布は瀬野君、頼むよ。ママの金ヅルから俺は卒業させてもらうよ。この人は金の掛かる女なんだよ、困ったもんだぁ」

社長はママに目をやり、自分で言ったセリフに大笑いしながら一気にビールを飲み干した。

店内は客であふれかえり、赤と青の格子柄のはっぴを着たウエイトレスが声を上げ、忙しそうにテーブルを駆け回っている。

騒がしく賑やに振る舞うホステスたちは、ここからアイドリングの状態を保ち一気に盛り上がったまま自分が勤める店へと流れ込む。

横に座る僕にはママの顔は見えない。けれど僕の横っ腹を肘でつつき、テーブルの下でよくやった!よくやった!と喜びいっぱいの顔がしっかり伝わる握り方で、僕の手を強く握りしめた。

ヨッシ!キマッタッー!と言わんばかりに。

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