第33話
「昨日、10円ポーカーで八万勝ったよ。瀬野君、10円ゲーム行ったことある?」
滝ちゃんは、カウンター越しにキッチンで週刊誌を読んでいた僕に声をかけた。
彼はギャンブルと酒をこよなく愛する男である。
小柄なのにどこに入るのか、日本酒なら一人で一升は空ける。
ギャンブルも競輪、競馬、競艇、野球賭博、もちろんポーカーゲームも、なんでも来いの人だ。
僕たちの早番の時間帯は遅番の居残り客が帰ると、ガラーンとした状態になることが多い。最近はその居残り客さえもいない時の方が多くなってきている。
たまに「ケンちゃん」と呼ばれるサービスゲームしかしないコジキ客がチラホラ来る程度だ。
百円ポーカーゲームは下火になっている。暇になってきている。
だから、どの店も出目率を落とすので余計に客が寄り付かない。
出目率とは2ペア以上の役ができる確率である。俗に言う「目が出ない」というものだ。百円ポーカーが廃れてきた変わりに、10円ポーカーというものが街に溢れ出していた。1BETが十円である。すべてが十分の一の設定なのでパンクは五万円だ。5000点を超えるとゲームオーバーになる。
いつだかのダンディが勝負した三十二万円が三万二千円を賭けての勝負になる。
額が小さすぎてつまんないだろうと思い、僕は10円ゲームには行ったことがなかった。
「10円ゲーム、まだ行ったことないよ。なんか金額的につまんなくない?
五万が天井(上限)なら、五万以上負けると取り返すのが難しいでしょ?」
僕はキッチンにある丸椅子に読んでいた週刊誌を置き、立ち上がった。
「いやいや、あれはあれで面白いと思うよ。店的にもおいしいと思うし。
客は百円ポーカーから流れてきてるから、パンクまで必ず叩くだろうしね。
パンクさせた達成感もあるしさ。隣でやってたオッサンなんか三台連続でパンクさせてたよ」
「最近、すごく10円ポーカーゲーム屋が増えてきてるもんね。
この街はさ、流行り出すとすぐに街中一気に増えるね。ボッタクリバー、百円ゲーム、ビデオ屋、テレクラ、で、今度は10円ゲームか」
「資格やたいした経験がなくても出来ちゃう商売だからね。でもって、稼ぎはエゲツナイからさ。商売っていってもパクられるものばっかりだからね。瀬野君のテレクラの箱でゲーム屋じゃないけどさ、みんな同じ箱で業種だけ変えて生き延びているんだろうね」
と、滝ちゃんが笑った。
やはりというか、近頃は僕の(ケンちゃんコース)の三軒も目が出ないのである。
走ろうにもそんな気にさせないくらい目が出ない。勝負ができないのだ。
ただただ、識別機に一万円札を通すだけだ。そんな時に十万くらい走ってしまった。
こんなに目が出ないんじゃしょうがない。店を変えよう。
――フェニックスにでも行くか?と、僕は思った。
フェニックスという店は僕のケンちゃんコースの三軒には入れてない店だ。
なぜなら「新規サービスの一万円」がないからだ。
月間4カードやセンターAというプレミアもない。
他店で多いイベントやプレミアでのご祝儀などなにもない。余分なものはすべてとっぱらい、ただただ出目率とダブルアップだけで純粋にポーカーゲームで勝負して欲しい、というコンセプトの店だ。
店も狭く内装にはなにも手をかけていない。シンプルなベージュの壁紙にただの蛍光灯。無理やり十台のゲーム機を置いているような狭さだ。
しかし、目は出るし叩けるということで人気の店だ。本気の太客が多い。夜には百円ゲームが暇になってきた、と言われるこんな時期でも満卓になることが多いという。
フェニックスはチェックメイトビルの裏にある雑居ビルの四階だ。
この店は外に看板も出していない。この店に来たことのある客からの紹介がなければ入れない店である。ある意味、ポーカーゲームの王道のような店だ。
ガジリ専門のケンちゃんには全く魅力のない店にはなるのだが。
古びたエレベーターに乗る。
入口の黒いドアには【会員制クラブ・フェニックス】とステッカーが貼られている。ドアを開け、店員から「いらっしゃいませ」と声がかかる。
ホールに出るまでの細長い廊下の両脇にはハンガーが掛けられ、来ている客の上着などが雑に掛けられている。
そこを抜けるとホールに出る。本日と前日の4カード以上の役が出た卓番に磁石が貼り付けられた、タバコのヤニで茶色がかったホワイトボードが正面に掛けられている。
換気が悪いのか、ヘビースモーカーの客が多すぎるのか、店の中はタバコの煙がすごい。霧が立ち込めているような中で、ピッピッツ、ピィピィピィ、ピィーピィーッとゲーム機から出る電子音と、ピシッ!ピシッ!と客がダブルアップボタンを叩く音しかしない。
八人の客が背中を向けて黙々とゲームをしている。店の中を見渡していると、一番前の席に松葉杖が立てかけられていた。うちの店の常連、太客の曽根さんだ。
あるゲーム屋のガサ入れのときに曽根さんもその店にいたらしく、慌てて二階から飛び降り、足をくじいたのだという。
くじいたあと曽根さんは汗びっしょりになりながら、松葉杖をつき片足をギプスで固めてピョンピョンと飛んでうちの店にやってきたのだ。
そのときに身振り手振りを交え、その時の状況を僕たちに語っていた。「有名な証券会社のおエライさんだから逃げるのに必死だったんだろうね。イカレてんなぁ」と滝ちゃんは大笑いしていた。
ガサ入れがあっても初めての客なら、最悪始末書で済むのに。
その始末書を書く事さえ絶対に嫌だったのだろう。
家族や会社、世間体。守るものがある者とない者の差は大きい。だから失うものが何ひとつない人間(ヤクザ)は最強なのだろう。
警察に捕まることに全然抵抗がなく、むしろそれを良しとして受け入れることができる人間は無敵だ。法律を確信的に無視できる人間は最強である。
それが幸せかどうかというと、また別の話になるのだが。
五十代半ばの白髪混じりの髪はいつもきちんと七三にセットされ、アイロンをしっかりとかけたスーツ。会社にいけば、何十人も部下がいる。ピカピカに磨いた革靴を履いている物静かな曽根さんの二階からのダイブには、僕も本当にイカレたオヤジだなと、腹を抱えて笑った。
――曽根さん、こっちにも来てたのか。
ポーカーゲームにどっぷりハマると松葉杖をついてでも、この街に来てしまいたくなるのだ。狭い店の中はタバコの煙とゲーム機から出る電子音、ゲーム機を叩く音しか聞こえないのにすごい熱気と活気だ。
「はい、三番台、パックンロー(8960点)パンクです」「えー、二番さん、ゴーイチ二―(5120点)パンクです!」
店員たちは、忙しそうに万札を数えながらパンクさせた客達に現金を付けている。
8960点は八十九万六千円だ。5120点は五十一万二千円である。
パンクさせたから客が勝っているとは限らない。二百万使って8960点のパンクなのかもしれないからだ。
ふと手前の席を見た。栗色の長い髪、ピンクの縁どりがあるグレーのパーカー。
肩から袖までピンクの三本線。下もグレーのスエットに腰から裾までピンクの三本線のジャージを着た女性がゲームをしていた。
――詠美里ママだ。
僕は、夢中で配られてくるカードを見入っているママの肩をトントンと叩いた。
「あっ!テレクラのポーカー屋の!」
驚いた顔でママは僕を見上げた。どうやら僕の名前が出てこないようだ。
「あの、ふたりにしか会えないテレクラのゲーム屋の瀬野哲也です。横に座っていいですか?」
「どうぞ、どうぞ。哲也だったよね」
「ママもポーカーゲームやるんですね」
「いや、あんたと会ったあとウチの客ともポーカーゲームの話で盛り上がっちゃってね。客にアフターでここに連れてきてもらったらハマっちゃってね。面白いね、ポーカーって」
長い髪をピンクのゴムで縛り、さして大きくはないソファの上で器用にあぐらをかいているママが顔を向ける。
「今日、なんでジャージなんですか?仕事休みなんですか?」
「こんなタバコの煙モウモウなところにスーツなんかで来れないよ。家に帰って、わざわざ着替えてタクシーで来たわよ」
彼女は配られてきたスリーカードを抑えてエイッ!と残り二枚のカードを引っくり返した。ピーッピーィピッ。スリーカードの役ができて、それをダブルアップせずにテイクボタンを押した。
「ダブルアップしないんですか?二、三回は叩かないと点数が溶けるだけですよ」
画面を真剣に見ている彼女の横顔に、僕は話し掛けた。
「いいのよ、4カードが見たいだけだから。この前、三連チャンで4カード出てね。夢にまで出てきたわよ。初めてよ!あんなの」
僕の方を見ることなく画面から目を離さずに話をしていても、よほど嬉しかったんだろうなと伝わる彼女のにやけた横顔。
次の目はストレートだ。彼女は5BETでやっていた。二十五点である。テイクしようとする彼女の手を止めて、僕はダブルアップボタンを押した。
ピーィーピィーピィーー50、100、200、400点とダブルアップに成功した。
「すごい!すごい!すごい!ちょっとテイクしてよ、テイク!」
彼女は笑いながら両手で僕の手を押さえ、慌ててテイクボタンを押した。
「哲也、あれ見てよ」
ママは僕の耳元で囁きながら、斜め前の客のテーブルに視線を送った。
ゲーム機の上には帯付きの百万円が無造作に置かれている。
その客は夢中でボタンを叩いている最中だ。
「哲也さぁ、スイーツ奢ってよ、スイーツ。夜中に食べる甘いものってサイコーに旨いんだよ、知ってる?」
イイこと思いついた!とういう子供のような笑顔で彼女は席を立った。
コマ劇場の裏に『アマンド』があった。歌舞伎町には似つかわしくないピンクと白の可愛いストライプ柄のポップな軒先テントが目を引く、ケーキ・焼き菓子の店だ。
コマ劇場に出演中の役者や歌手を見かけることもある。
自動ドアを開けると右側には大きな曇ひとつないピカピカのガラスのショーケースがある。中には色取り取りのフルーツがのったホールケーキ、チーズケーキ、モンブラン、箱詰めのおしゃれにラッピングされた焼き菓子。
幾多のケーキやお菓子でショーケースの中はいっぱいだ。
強めの照明に照らされたカラフルな色のフルーツとお菓子たちが賑やかに輝やいている。
夜中の二時過ぎだというのに店内は満席に近い。
詠美ママと僕は空いている席に座った。九月の深夜なのになんでこんなに暑いの?と笑ってパーカーの袖をママはまくった。
「うんとねー。まずは、イチゴのショートケーキ。で、チーズケーキも。二つ頼んでもいい?」
子供みたいなニコニコした顔で、ママはメニューを見ながら僕に尋ねた。
「いいですよ。四個でも五個でも好きなだけどうぞ」
「ゲーム屋ってさぁ、メチャクチャ儲かるでしょ?」
運ばれてきたイチゴのショートケーキの大きなイチゴを頬張りながら、ママは僕をじっと見た。僕は、今いる店の話や杉ちゃんや滝ちゃんから聞いた話をママに伝えた。
「哲也、あんたさぁゲーム屋やってみない?私の客で金出してくれそうなのがいるのよ。でね、うまくいったら月に百万くらい私に小遣いくれない?与後さんっていって土建屋の社長なんだけどね。今度、杉並に四億の家を建てるくらい調子がいいのよ。ちらっとゲームの話をしたらね、あのオヤジ結構乗り気でさぁ」
大事な話をしている割には、気持ちはスイーツに集中しているママがいる。
「やっぱ、アマンドだよねぇ、美味しい、美味しい」とフォークを動かす手を一向に休めないママが目の前にいる。
チャンスだ!ビッグチャンスだ!
まだ会ったことのない、金を出してもいいという与後社長の本気具合はわからないのだが、ママは本気のようだ。けれども、ママは百円ゲームの店を出したいというのだ。フェニックスのような店を。
僕は現状の百円ゲームの説明をした。どこの店も閑古鳥が鳴いているということ。
フェニックスのような店は稀であるということ。
これからは10円ゲームが流行り出すということを。
「10円ゲーム?儲かるの?たった十円で」
ママは二つ目のチーズケーキにナイフを入れながら、僕に問いかけた。
僕が働いている店の遅番の連中が十円ゲームに行って二十万位負けると、ラチがあかないので百円ゲームに繰り出す話をした。
五万円の天井(上限)がミソだということも。
負けが込んでくると逆転するのが難しいゲームだと説明した。
最初に掛かる費用も百円と十円じゃケタ違いだ。衰退していく百円ゲームは、お薦めではない。10円ゲームでも当たればデカイという話をした。
「そっか、そっか。ならいいじゃん、10円ゲーム。哲也、今の話を与後社長にしてくれないかな?今度会わせるからさ」
もう十円ゲームの店を開けて大繁盛している気でいるのか、詠美ママは大ハシャギだ。
美味しい、美味しいと三個目のチョコレートケーキとコーヒーを注文した。
「そうそう、タバコ持ってる?フェニックスに忘れてきちゃった」
なんとかこの話を決めたい。僕とママの利害関係は一致している。
僕はポケットからラークマイルドを取り出しママに渡した。
「哲也もラークマイルドなの?私と同じじゃん!気が合うね、私達!」
チャンスが来るときには予告や前触れなどはない。
――僕の人生の流れが今、水しぶきをあげ大きくうねり出す瞬間であった。
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