第32話

  朝十時に出勤するとだいたい昨夜からの客が残っている。

彼らは日をまたいで夜通しゲームをしているのだ。(長ッチリ)と呼ばれるような客は風呂にも入らず、徹夜で黙々と二日くらい店に居続けゲームをしている。今日は五人残っている。

卓の配置の仕方から僕らの方からは客の背中しか見えない格好だ。

朝、僕たちは出勤して来たら客の目線方向にある【前日】【本日】と書かれたプレートを付け替える。

昨日の4カードやストフラの出た数を見て、今日来店してきた客はそれを参考にしながらこれから自分が座る卓を決めるのだ。

朝の十時に店の中の昨日と今日の日付が切り替わる。なので、朝の十時になれば昨日からいる客にもう一度「本日のサービス」として一万円を各客の卓に入れていく。

負けが込んでいる客は、そのサービスを入れてもらうために九時くらいから手を休める者もいる。

そのときに客にサインをしてもらう伝票には『新規サービス 10000円』という数字と、『私は暴力団関係者ではありません』という文言がスタンプで押してある。

僕と滝ちゃんは、そのサインを貰いながら客の顔を確認していくのだ。

たまに見かけるのだが、ボロボロの靴を履いている客がいる。金がないわけではない。ここへ来れば、毎回十万、二十万と負けていくのだ。

ポーカーゲームに、そんなにお金を使えるなら靴の一足くらい買えばいいのにと思う。ところが、ポーカーゲームには惜しみなく金は使えても、靴一足、靴下一枚買うことには躊躇してしまうのだろう。

彼らの金を使う優先順位の一番上にきているのがポーカーゲームなのだ。

僕にはなんとなく、それがわかるような気がする。

「六番台の田中って客、新規?」

滝ちゃんがリストにいる遅番の財布持ちに尋ねた。

「新規だよ。昨日の朝方の五時位に来たかな」

「勝ってるの?負けてるの?」

滝ちゃんは昨日の日報を見ながら問い掛けた。客が帰るとすぐに機械の中に入っている金は全部出すことになっている。客がゲームを始めたときは、ゲーム機の中の金庫はカラだ。

遅番は朝九時くらいから一日の締めとしてゲーム機のメーターをとる。

そのときにも一度機械の中の金を全部出すのだ。そのメーターの中にあるINと呼ばれる入金された数字と、OUTと呼ばれる客に支払った数字を書き出すのだ。

そのインとアウトの差額がその卓の勝ち負けである。

「十二万くらい負けてるね」

遅番の責任者が答えた。遅番の人間は、僕たちと引継ぎを済ませ帰って行った。

五人いた客も四人になっていた。

「もう昼かぁ。腹減ったなぁ。瀬野君、たまには鰻でも食わない?」

滝ちゃんは『うな鉄』のメニューを見ながら、昼メシの相談を僕にした。ゲーム屋の従業員の食事代とタバコ代は店の金で支払われる。食事はすべて出前だ。

ゆえに、従業員は値段など全く気にしない。自分の金なら食わないような値段の張るものでも、なんのためらいもなく注文できてしまう。

僕も大賛成で昼メシは、特上の鰻重に決めた頃だ。

六番台に座っていた新規客の田中という男が、それまで着ていた上着を脱いで両手を肩から上にあげて大きく伸びをした。ボサボサの髪で四十才前後の男だ。

僕は遅番で入っていた客なのであまり注意して見ていなかったのだが、この田中からサインを貰う時に左手はオシボリを握ったままで右手だけでゲームをしていたのには少し気にはなっていた。

上着を脱いだことで白のワイシャツから刺青が透けて見える。

突き上げた両手の左手の小指が欠けている。

――ヤクザだ。

「滝ちゃん、見てみて。不良だよ、あの田中っての」

僕は小声で滝ちゃんに知らせた。滝ちゃんの座っている位置から六番台は見ずらいので、彼は少し上半身を左に動かせた。

「なんだよぉ、不良かよ。面倒くせぇなぁ。上着を脱いで欠けてる指見せて、ヤクザだってことをアピールしてんだろうね。金が無くなったんだろうなぁ」

そんな話を、僕たちがしている時だ。

「すんませぇーん、すんませぇーん」

六番台に座っている田中が、振り向きながらニヤニヤした顔で僕たちを呼んだ。

「金、全部溶かしちゃってさ。特別サービスとかって、この店は出してくんないの?」

僕は田中の席に行き、そういうサービスはしていないことを伝えた。

田中は、そうかと納得しながらも帰る気配がない。

滝ちゃんはどこかに電話をしているみたいだ。

「――はい、宜しくお願いします」

滝ちゃんは受話器を下ろした。

田中という男は帰る気配もなくブツブツなにか呟いている。

しばらくすると、ピーンポーンとドアのセンサーが反応した。

若いヤクザ二人がカメラの画面に映っている。黒のスエットを着た屈強な男、二人だ。この店のケツモチのヤクザだ。滝ちゃんは、ケツモチに電話を入れたのだ。

この客に指があればヤクザを呼んではいない。刺青を見せていなければ呼んでいない。目がでない、いくら負けた、サービスしろなどと文句を言う客などいくらでもいる。要は、相手がヤクザかカタギかということだ。

カタギなら、僕たちが話をして帰ってもらう。

ヤクザなら即ケツモチへ連絡するのが、この店のルールになっている。

ヤクザだろうが元ヤクザだろうが、欠損した指や刺青を見せつけること事態、滝ちゃんの逆鱗に触れる。

滝ちゃんはドアを開けペコリと頭を下げた。そしてオレンジのアロワナが泳ぐ水槽の前で左手を大きく広げ、右手の人差し指を左手に添えて六番台ですと伝えた。

店内には、この田中という男と他に三人の客がいる。

この三人はともに常連さんである。若いヤクザ二人は、ゆっくりと六番台の田中のそばへ行き、肩をポンポンと叩いた。田中は、んっ?という表情で顔を上げ、二人に連れられ店の外に出て行った。

僕と滝ちゃんはモニター画面に近寄り、事の成り行きをじっと見ていた。モニターには三人でなにやら話をしている映像が映っている。

するといきなり取っ組み合いが始まったのだ。三人の叫ぶ声が店の中にまで聞こえる。オラッ!オオッ!この野郎!ドカン!ドカンッ!とドアにぶつかる鈍い音も店内に響く。

「瀬野君、ピンポンピンポンうるさいからセンサーのスイッチ切っちゃっていいよ。しばらく鳴りっぱなしになるでしょ」

こんなシーンに見飽きているのか、滝ちゃんは何事もないような口調でそう僕に言った。

店にいる三人の客にもヤクザたちの怒号やドアにぶつかっている音は聞こえている。

「なに?なに?喧嘩?」

老舗呉服屋の三代目のボンボン、常連客の音羽さんが僕たちが見入っているモニターの前まで来た。五十才過ぎたくらいの、少ない髪で薄くなった部分を無理やり隠すような、往生際の悪い八二分けで髪をセットしている太客だ。

育ちの良さそうな品のあるツヤツヤした色白、ぽっこりお腹のぽっちゃり丸顔のオジサンである。

負けると台を蹴ったり、なんだかんだとゴネる客も多いのに、いくら大負けしてもニコニコした顔で帰っていくダンディな人だ。

僕たち、従業員の間では「ダンディ」というアダナで呼ばれ、人気者であった。

ダンディはパンクの手前のダブルアップで思いっきりボタンを叩いて、人差し指を骨折し、店の中で痛くて大泣きしたことがある。

大の大人が、人前でポロポロと涙を流してワンワンと泣くのだ。

滝ちゃんの口癖、「イカレ具合がハンパねぇ」客のひとりだ。

僕はこの老舗の呉服屋は、ダンディの代で申し訳ないが必ず潰れるだろうな、といつも「いらっしゃいませ」とドアを開けた瞬間の、彼のとびっきりの笑顔を見るたびに思っていた。

もう一人の常連さんの押場さんも覗きに来た。

「昼間っからすごいね。やっぱ若い人は元気がいいねぇ。それより滝ちゃん、今ザンニィなんだよ、ザンニィ」

ダンディの興味なさげな「元気がいい」という言葉に僕たちは笑った。

ザンニィとは3200点のことだ。ダブルアップで倍、倍とさせてあと一発でパンクである。あと一回『7』より上か下かを当てれば六十四万円、ハズレれば三十二万円が一瞬でなくなる。

これには、僕も滝ちゃんも押場さんもヤクザの喧嘩など見ている場合ではない。

慌てて音羽さんが座る席をみんなで囲んだ。

「ザンニィまでどんな数字できたんですか?」 

滝ちゃんは音羽さんが書き込んだメモ帳を覗き込んだ。僕も押場さんもそのメモ帳をみていた。フルベット(20BET)のフルハウスを400、800、1600、3200とここまできたのだ。

「五十万くらいやられてるから、これキメて帰りたいんだけどなぁー。BSSSできてるんだよ、ここまで。で、S叩いたらドロー『7』でさ。またS叩いたらドロー『7』なんだよ」

座席に座るダンディは顔をあげ、どーしたもんだろうなぁ、これは?というような顔で僕たち三人の顔を見渡している。

「よく『7』のあともう一度Sいきましたね」

常連の押場さんが笑った。腕組みしながら滝ちゃんも深く頷きながら

「『7』、『7』、ですか。うーん、もう一度Sで行きたいところですね」「えーまだSでいくの?滝ちゃん強気だね。僕は叩くならBだな」と言った。押場さんも「恐くてSにはいけないよなぁ。S叩いて『7』ってことはSに嫌われちゃってるんじゃないの?」と音羽さんの台を囲んで、みんなが本気で自分のことのように、あれこれ考え唸っている。

ちょっとした盛り上がりに、もう一人いた常連の野黒さんも見物に来た。

みんな自分のことじゃないのにドキドキしている。

平日の真昼間、世間の大人たちは汗水垂らして一生懸命に働いている時間だ。

それなのに違法賭博ゲーム機をいい大人四人が囲んで、「あーでもない。こーでもない」と、頭を悩ませているのだ。

みんなポーカーゲームが大好きなのだ。手に汗を握るとはこのことだ。

腕組みをしたまま、うーん、うーんと画面の中にある伏せられたカードを見てダンディが唸っている。

時折、壁一枚の向こうから、ギャー―ッ、オラッ!ドカンドカンッ!とヤクザたちの怒号や手足をバタつかせている奇天烈な音が店内に響く。

「どうだっ!」

ダンディがダブルアップボタンを叩いた。

ピィピィピィ―――伏せられたカードは引っくり返された。その瞬間、カードを見ていた全員が息を止める。

ゲーム機の画面の中にある伏せられたカードが、十個の目玉を強引に吸い寄せる。

数字は『4』だ。スモールである。

ダンディはSのボタンを叩いたのだ。画面に大きく黄色の文字でWIN!

ダンディの肩がプルプルと震えている。

うっすらと額は汗でひかり、身体から湯気が出ているみたいだ。

顎を少し上げ、背筋を伸ばし真っ赤な顔でひとつ、ふぅーーと大きく息を吐いた。

キメてやったぞ!というダンディの誇らしげな背中が微動だにしない。

「すげぇー!すげぇーー!よくSを叩けましたね!アッパレッ!」

押場さんはその場で何度も何度も飛び跳ねて、ガッツポーズを繰り返す。

滝ちゃんもポラロイドカメラでパンクの写真をとりながら、すごい!、すごい!すごいっすね!と大はしゃぎだ。

「――まだSか。深いな」

ホットアリアリ、という声しか聞いたことがない、普段なら影の薄いおとなしい常連の野黒さんが、僕のそばで渋い声でそっと呟いた。

ホットアリアリとは、ホットコーヒーの砂糖、ミルクを入れることをいう。

感動しまくっている野黒さんが、パチ、パチ、パチと拍手を始めた。

僕も押場さんも滝ちゃんも、ダンディに向かって拍手をした。

壁の向こうから「この野郎!ナメてんじゃねーぞ!オラッーーッ!」と

まだ終わらない、ヤクザたちの激しくやりあってる叫び声が聞こえる。

派手な殴り合いをしているヤクザの横で、摘発されるかもしれない違法賭博ゲームに興奮しているイカレた男達がここにいる。

「ヨッシャーーーーッ!」と、口元を尖らせ雄叫びをあげ、アントニオ猪木ばりの右腕を天に突き上げて、僕たちにお辞儀をしているダンディがいる。

この街の漫画みたいな日常の虜になっている僕と滝ちゃんがいる。

「――ボタンをさっきハンダで修理したばっかりだから、そんなに強く叩かないでくださいね。また指を骨折しちゃいますよ」という滝ちゃんの声に、大爆笑しているみんなの声が、ヤクザたちの怒号をかき消してしまった。


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