第31話
僕と滝ちゃんは朝十時~夜十時の時間帯(早番)で働いていた。
店は区役所通り沿いのバッティングセンターから少し脇に入ったビルの地下二階だ。ドアを開けるとブラックライトに照らされた、オレンジ色のアロワナが悠々と泳いでいる大きな水槽がある。
その横には全面ガラスで出来た縦長のヤクルトの冷蔵庫がぼんやり青白く光っている。そこを過ぎると段差のある右側には立派な焦げ茶色の分厚い板で作られたバーカウンターがある。
バーカウンターの天井からランプが三つ吊り下げられていてカウンターだけをほどよく照らしている。濃紺の絨毯に黒い皮のソファー。壁のあちこちにはアンティークなランプが掛けられている。
薄暗い店内は間接照明で明るさを保っている程度だ。落ち着いたおしゃれな内装だ。
ゲーム機は余裕をもった置き方で十四台。
薄暗い店の中でボナンザ(ゲーム機)の画面が光っている。
滝ちゃんがこの時間帯の財布持ち(責任者)だ。僕の上司になる。
滝ちゃんの話だとゲーム喫茶の人気に陰りが見えるという。客が入っている店と入っていない店の両極端で中間の店が少なくなっているらしい。
瀬野君もボッタクリに行く前にこっちに来てればよかったのにと話していた。五、六年前ならどんな店でも繁盛していたみたいだ。
ただ、ニューオープンだから少しは期待できるかも、とは話していた。
しかし、このニューオープンの時期には必ず『ガジリ』と呼ばれるヤクザ連中も紛れ込んでくるのだ。
客がいなく僕はカウンターでスポーツ新聞を読んでいた。滝ちゃんはタバコを吸いながら、四番台でハンダゴテを持ってダブルアップボタンの修理をしていた。
客が力一杯ボタンを叩くのでついつい配線が切れてしまう。
「思いっきり叩けば当たるってもんでもないのになぁ。もう少し優しく叩けないものかなぁ」
そんなことを言いながら、ゲーム機の天板を開け深緑色のコードを引っ張り出していた時だ。
この店は入口に防犯カメラがある。
ドアの前に立つと僕らにしか聞こえないくらいの音でピーンポーンとセンサーが鳴るのだ。モニターには立っている人間の姿が映っている。僕たちは客の顔を確認してからドアを開けることになっている。
「滝ちゃん、この顔見たことある?」
僕は読んでいたスポーツ新聞を閉じ、作業中の滝ちゃんを呼んでモニターを見てもらった。
「なんだよ、こいつ。顔近づけ過ぎだよ。鼻と目しか映ってねぇじゃん」
カメラを覗き込むように、正面から映っている男が見える。
「壁に張り付いている奴いるね」
僕はモニター画面の隅で、壁にへばりついている男が少し気になった。
アップで顔が映っている男が少し引き気味になったとき、もう一人がカメラに映り込んだ。ハゲ散らかした無精髭のまん丸した顔の中年男と、胸から下しか映っていない二人組だ。
「瀬野君、入れちゃっていいよ」
僕はカウンター席から降りてドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
店の一番奥の壁に磁石が着けられる大きな長方形のホワイトボードが二枚掛けられている。前日と本日と書かれたプレートが貼られ、卓の番号で縦に仕切られている。
4カードは赤い磁石、ストレートフラッシュは青の磁石、ロイヤルは黄色の磁石で貼られている。
月間4カードやセンターA、ストフラ、ロイヤルなど特別な役はポラロイドカメラで撮った写真を添えて上から磁石で貼り付けるのだ。
来店した客はそのボードの前に立ち、昨日や今日の結果を見ながら自分が座る卓を決める。
だが、この二人はそのボードを見ることなく席に座った。
胸から下しか映っていない男は帽子を深々と被り、うつむき加減に急ぎ足で三番台に座った。僕と滝ちゃんはおしぼりと新規サービスの一万円と客からサインを貰うための伝票を持って客が座る卓へ向かう。
僕たちが出勤する朝の十時には遅番の従業員といつも引継ぎをしてから仕事に入ることになっている。「遅番でいくら抜けた(儲かった)」とか、「○○さんが大勝ちした。○○さんが大負けしたから、早番でもし来たら最初からサービス多く入れて上げて」「ガジリに変な奴が来たよ」とその夜にあった出来事を事細かく早番の僕たちに伝言してから帰るのだ。
「今日、さっそく北部が来たよ、ガジリに。面倒くせぇんだよ。なかなか帰らなくて」遅番の従業員が着替えながら教えてくれた。
北部とはニューオープンの店に必ずガジリに来るヤクザだ。
この類の連中がニューオープン時には頻繁に来る。
どうして無数にあるゲーム屋のニューオープンが彼らにはわかるのか?
ニューオープンの店は印刷屋で作ったポスターを歌舞伎町二丁目の電柱という電柱に貼りまくるからだ。
電柱の数よりゲーム屋の数ほうが断然多い。ポスターを貼る場所がないと、他店のポスターの上から自分の店のポスターを貼ることになる。歌舞伎町二丁目のすべての電柱には、常時二店舗くらいのポスターが貼られていたのだ。
連中もそのポスターを見ながらやって来るのだ。
大体、クスリ(覚醒剤)を身体に入れているので自分がどの店に行ったのか覚えていない人間も多い。
基本的に暴力団関係者はお断りだ。他の一般客も嫌がるし、ひとり入れると仲間がどんどん集まってくるからだ。負けが込むと金を返せと揉めることも多い。
「北部さんじゃないですか?勘弁してくださいよ、夜に来てるじゃないですか」
遅番で来た北部が早番の僕たちの時間にも登場した。滝ちゃんは以前勤めていたゲーム屋でも北部に会ったことがあり顔を覚えていたのだ。
北部は滝ちゃんの言葉を無視して一万円札を無理矢理、識別機に入れようとしている。
点数さえゲーム機に入ってしまえば彼らは「ナニッ、コラッ!点数が入ってるじゃねぇか!点数が入っているのに帰れ、というなら車代くらい出してくれるんだろな!」という話になる。
しかし、北部は一万円札をしっかりと握り締めてここへ来たのか、札がクシャクシャなのだ。滝ちゃんが識別機の入口を手で塞いでも、その手を振り払って入れようしてくる。
だが、入れたはずの一万円札が戻ってきてしまう。何度やっても一万円札が識別されずに戻ってきてしまうのだ。
「この野郎!俺が夜に来ただとぉ?間違いなくそいつが俺だって言い切れるのか?おうぅ!コラッーッ!お前、夜にいないだろう!」
北部はゲーム機に金を入れるのを諦めたのか、立ち上がって滝ちゃんを大声で怒鳴り、凄むように睨みつけた。
「いやぁ、本当にすいません、勘弁してもらえますか」
滝ちゃんは頭を下げた。
「おい、この野郎!その夜に来たという奴が俺の双子の弟のほうだったら、お前どうすんだよ?今、言った言葉に、責任取れるのか?おぅ!コラーッ!俺が双子だって事、お前知らねぇだろ!」
こんなことを笑わずに真顔で怒鳴りつけることができるのがヤクザだ。
だいたい、他人の家族構成をどこで知るんだという話だ。
「せっかく来てやったんだ。缶ビールくらい寄こせせよ、この野郎!」
双子の兄のほうだと言い張る北部にはゲームはさせなかった。
渡した缶ビールを開け、ブツブツ文句を言いながら奴は帰って行った。
四国の有名進学校の優等生だった滝ちゃんも、十八才から六年もこの街のイカレた大人たちに鍛えられれば、十分この街の住人と化す。
落ち着いたものだ。
「北部の野郎、前も同じ事言ってたよ。向こうは覚えてないと思うけどね。
瀬野君、不良が来たら、連中とは根気よく『申し訳ありません』と、『勘弁してください』の二つだけで会話しなきゃだめだよ。余計な話をするとあいつら言葉尻捕まえて余計に面倒臭くなるからさ。
それと客が帰るときは、『ありがとうございました』じゃなく『すいません』って言って帰すんだよ。ゲームで負けて、店からありがとうございましたって言われたら客もムカツクだろうからね。
けど、あいつら、恥ずかしくもなく笑わずに、よくあんなことばっかり言えるよなぁっていつも感心するよ。なにが双子の弟なんだよ。誰がおまえの家族構成なんて知ってんだよ。ふざけやがって。マジでイカレてんなぁ」
こんなことは日常茶飯事だとタバコに火を着けながら、滝ちゃんは笑った。
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