第29話

  二月は陽が暮れるのが早い。区役所通りと花道が交差する風林会館の辺りは、昼間はガラガラなのだが、陽が落ちる頃になるといつも渋滞している。

タクシーとハイヤー、高級外車と高級国産車だけで渋滞している。

そこには大衆車などはない。たまに地方から迷い込んだ暴走族仕様の車が恥ずかしそうに、そっとアクセルを踏んで気を遣いながら爆音を鳴らす程度だ。

『大番寿司』と『野郎寿司』の通りに向けた大きな看板が煌々と人の流れを照らし出す。

ビルの窓から漏れる光や外壁に埋め込まれた電飾看板。袖看板、置き看板に街灯、車のヘッドライト、テールランプ、さまざまな灯りが街を輝かせている。

蝶ネクタイのどこかのボーイが店先で声を張り上げている。香水の香りを振りまき、急ぎ足でお店に向うお姉さん。お辞儀をしながら、満面の笑みで割り引券を配っている女の子。

街のざわめきと共に縦横無尽に人が流れて行く。二月の乾いた風が街の喧騒を弾ませているみたいだ。



 僕は吸っているタバコを靴のつま先で踏み消し、両脇にある大きな観葉植物の間を通り抜けパリジェンヌに入った。入口付近にいるという。

黒皮のライダースジャケットに黒皮のパンツ、栗色の長い髪だという。

入った瞬間に目が合った女性がいた。

右手を耳に持っていき、親指と小指を立てて電話のポーズを笑いながらとっている女性がいた。左手には金無垢ロレックスのダイヤ巻きが光っている。

僕の特徴も伝えてあるのですぐにわかったのだろう、ここへ座れと手を振っている。

「はじめまして。電話の瀬野哲也です」

「あんた、仕事なにしてる人?カタギ?」

彼女は少し怪訝そうな顔で僕に話し掛けた。

「あたりまえじゃないですか、カタギですよ、カタギ」

彼女は十九時に客と同伴の約束をしていたのだが、二十時に変更になり中途半端な時間が空き、暇つぶしでテレクラに電話をしたのだという。

パリジェンヌの前には公衆電話が五台、隣のアラオビルの入口にも四台の公衆電話がある。

緑色の公衆電話の脇にはデートクラブの小冊子が山のように積まれている。

座って早々に、彼女は僕に名刺を渡した。

『クラブ詠美里・水澤詠美里』と書かれている。

意思の強そうな太い眉、黒目の多い大きな瞳、真っ赤な口紅。

妖艶な雰囲気のある女性だ。百戦錬磨の水商売の女性という感じだ。

同じクラブ勤めでも桃子とは格が違うと思った。この近くでクラブを経営しているというオーナーママだ。詠美ママと呼ばれているらしい。

「ゲーム喫茶って知ってますか?」

「ポーカーゲームでしょ?やったことはないけど、聞いたことはあるわ。今、流行ってるみたいね」

僕はざっくりとゲーム屋の説明をした。元テレクラの箱がゲーム屋になったことや、そこで待ち合わせをして出会った女性達の話を面白おかしく彼女に話した。

なにしろ大声でよく笑う女性だ。

「じゃあさ、今、私が電話したテレクラはあんたと佐伯さんっていう人にしか会えないんじゃない?」

「そうですよ。僕と佐伯さんしかいないので」

「そうですよって!そんなテレクラおかしいでしょ!でも、そんなにポーカーゲームにお金を使う客がいるんだね。ゲーム屋っておいしそうだね」

口元と目頭とおでこの汗を、忙しそうに交互にハンカチで押さえながら、僕の話にママは大爆笑していた。

そんな話で大いに盛り上がり、「今度はお店に飲みに来てね、安くしとくから」と、そこで彼女とは別れた。

この彼女との出会いが僕の人生の中の大きなターニングポイントになる。

このとき、僕はまだそれを知らない。



 僕は詠美ママと別れパリジェンヌを出た。

夜の八時前だ。

そのまま帰ってもいいよ、という佐伯さんの話だったし、このまま帰ろうか、と歩きだした時だ。後ろから僕を呼ぶ声がする。

「瀬野君、瀬野君!」

以前、引き屋をしていた杉戸さんだ。

僕より二つ年上の杉ちゃんである。

人気絶頂だった光GENJIの中にいても不思議ではないジャニーズ顔のイケメンだ。

物腰の柔らかい話し方で、とにかく話が面白い。

この街では珍しく酒も博打も一切やらない人だ。ただ異常な女好きではある。

酒が飲めないくせに、ウーロン茶でキャバクラ三軒ハシゴができる強者だ。

しかも一緒に飲んでいる酔っ払った相手のテンションに、シラフで何時間も合わせられるという特技も持っている。

客を捕まえる仕事で街角に立っているのに、可愛い女の子を見つけると仕事はそっちのけで、ナンパに夢中になってしまうような人だ。

僕と年齢も近いこともありよく遊んでいた。二人連れの女の子をナンパしては、そこに僕を呼んでくれたりもした。

彼はそんなナンパ好きが生じて巨乳で一世を風靡したAV女優のスカウトに成功するのだ。そのあとにもAV女優を世にどんどん送り出した。

スカウトマンのハシリみたいなものだ。趣味のナンパで一財産残した人だ。

僕たちは、さくら通りの突き当たりにある『割烹網元』の橫にある『いけす』という居酒屋に入った。

店の真ん中に店名通りの生け簀がある店だ。靴を脱ぎ小上がりの座敷に案内され座った。彼はもちろんウーロン茶だ。

「最近、コマ付近で顔見ないですよね?今、なにやってるんですか?」

僕はこの頃から、小指と耳と履物プラス腕時計を見る癖がついていた。

「おおー!杉ちゃん、白の無垢(ホワイトゴールドのロレックス)じゃないですか?前はコンビでしたよね。いいなぁ、見せてくださいよ」

「瀬野君、見つけるの早いなぁ。金無垢は誰でもしてるし、なんか派手じゃない?金無垢って。前から白が欲しかったんだよ」

杉ちゃんは誇らしげに腕から時計を外し、僕の手のひらに載せて渡した。

ずっしりとした重さがなんともいえない。

「どこで買ったんですか?いくらしたんですか?なんで、そんなに金持ってるんですか?」

彼がウーロン茶に口をつけるタイミングを奪う僕の矢継ぎ早の質問に、杉ちゃんは手にしたグラスを一度テーブルに戻した。

両手を背中の後ろに置き、胸を張り白い歯を見せて笑った。

「カワノだよ、紀伊国屋の方のね。二百三十万だったかなぁ。今度、中古のポルシェ買おうかなって思ってるんだけどさ。ポルシェが手に入ればナンパ成功率100%に近づくんじゃないかなぁ。なんちゃって!」

「ポルシェ?今なにやってるんですか?仕事って」

僕はビールを飲み、イカの活き作りをつつきながら杉ちゃんに尋ねた。

味覚音痴のクソガキの僕でも、魚はやっぱり鮮度だなぁと毎回この店に来るとしみじみと思う。

「ゲーム屋だよ、ゲーム屋」

照りのある甘辛いタレで焼かれた大きなつくねを、溶き卵に転がせて口いっぱい頬張る杉ちゃんは、今の状況の話をはじめた。

どこのゲーム屋の従業員も、みんな売上の金を抜いているのだというのだ。

杉ちゃんの店では、四、五千万円くらい店のあがりが毎月あるらしい。

金主は郊外で中古車センターを経営している素人だという。

店へは一切顔を出さない。なぜなら、なにかあったときにはヤバイからだ。

違法賭博店に関わりがあることがバレれば、本業である表の仕事に支障をきたすからだ。

その金主に毎月詳しくは知らないが二千万円くらいは名義(摘発された時に身代わりで逮捕される人)の人間が渡しているんじゃないかという。

名義人というのは、店にもよるが本当にパクラレ要員だけというポジションの人と、全責任を金主から任されるプロ野球のGMみたいな人がいる。

箱探しから店のカラー、従業員の管理まで行う人だ。店運営のNO1の責任者になる人だ。

逆に、パクラレ要員として毎月百万円を名義料としてしっかり貰っているのに、いざ摘発されると連絡が取れなくなる輩もいるという。

杉ちゃんのところはGMなのだろう。金主に渡したその残った二、三千万円を名義の人がみんなに割り振るのだという。

割り振るとは言ってもまとめてではなく、日々抜いた金額からみんなに配るのだという。

月給三十万円はオマケだと笑った。

それで僕は合点がいった。僕は今まで客の立場でしかゲーム屋には行ったことがなかった。

年齢の近い従業員が多く、話す機会もよくあった。

十二時間勤務で月四回の休み。月給三十万円だとよく彼らから聞いていた。

僕はボッタクリバーに勤めていて八時間勤務くらいで一日二万円の日払いだ。

秀司に関してもそうだが十二時間勤務、月三十万円でよくやれるもんだなぁ、と漠然と思っていた。

客が入っている店の従業員だとベンツやポルシェ、BMWで通勤している者も少なくないという。

ただ客に見られたら「俺たちの負けた金で、こんな高級車買いやがって!」と間違いなくボコボコにされるので、わざわざ百人町や新宿駅の南口の方に駐車場を借り、そこから歩いて店まで来るのだという。

金を抜いているという話も、絶対にどんなに仲が良くても店で働いている人間以外には言わない。なんなら、同じ店で働いてる中にもグループがあり、そこでさえも言わないという。

この街では、誰と誰が繋がっているかわからないからだ。

杉ちゃんで多い月だと給料以外で三百万円くらいになるという。

「瀬野君、キャバクラなんか行ってみなよ。ゲーム屋の従業員か不動産屋の連中で溢れ返ってるよ。キャツ、モダンタイムス、蘭○、スペーシア、クラブノア、キャバクラVIP、ランジェリーパブのシルキーとその辺りによく行くんだけどね」

「すごいっすね!そんなに回ってるんですか?相変わらず、ウーロン茶だけでハシゴしてるんですよね?」

「そりゃそうだよ、酒飲めねぇもん。そうそう、今は池袋が熱いんだよ。コーラスライン、TARO、舞踏会なんて可愛い女の子でいっぱいだよ」

杉ちゃんは出てきたホッケの大きさに驚きながら、顔をくしゃくしゃにして笑っている。

いつもこの人を見て思うのだが、ウーロン茶しか飲んでないのに、どんどん顔が赤くなり、だんだんと声も大きくなる。

なにやら、ウーロン茶が褐色の水割りに見えてくるから不思議だ。

本当に酔っぱらっているように見える。

「シャレードなんて、歌舞伎町で一番客が入ってる店なんじゃないかなぁ。月に億は超えてんじゃん。あんな店の従業員になりたいよ。したら、ポルシェも中古じゃなくて新車で買えるのになぁ」

杉ちゃんはメニューを見ながらボソッと呟いた。

秀司の勤めている店だ。

この街は本当に誰と誰が繋がっているのかわからないのだ。当然、僕も秀司が友人だということを杉ちゃんには言わない。

一丁目のボッタクリとは桁が違う。杉ちゃんの話にただただ圧倒されるばかりだ。

「瀬野君さぁ、今度うちで二軒目を出すみたいなんだ。

名義は木村さんといって今の店で営業(クラブやキャバクラに客として飲みに行って女の子に客を紹介してもらう仕事)してる人なんだよ。

いい人だよ。それで財布持ち(責任者)が滝内ちゃんって子でね。瀬野君と多分同い年なんじゃないかな?

今、準備してる所だから紹介しようか?勤務時間は長いけどマジでおいしいよ」

僕はここから歌舞伎町一丁目を卒業して、活動場所を歌舞伎町二丁目に移動していくのだ。

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