第28話

 仕事が終わると僕はほぼ毎日、どこかのポーカーゲーム屋に入り浸っていた。歌舞伎町二丁目を中心にものすごい数の『ゲーム喫茶』があった。

今思うと、ゲーム機を使った賭博場なのに、通りに堂々と喫茶店としての看板をどの店も置いていた。もちろん違法である。

ポーカーゲームとは、卓上のテレビゲームだ。

1BET百円から金を賭けられるゲームだ。ゲーム機に備えられた識別機に一万円を投入すると、画面の左上のクレジットというところに『100』と出る。

テーブルの中の画面にカードが五枚配られてくる。そのカードの中からツーペアからロイヤルストレートフラッシュの役を作るために必要なカードをホールドボタンというものを押して残すのだ。

そして、残したカードと新たに配られてきたカードで役ができる。

役ができないときもある。役ができないときのほうが圧倒的に多い。

役ができないとそのゲームは流れて、また新たに五枚のカードが配られてくる。

役はツーペアからロイヤルストレートフラッシュまで五枚のカードの上に表示してある。そこには、その役が出た時の倍率も表示してある。

ツーペア二倍から、ロイヤルストレートフラッシュ五百倍だ。

1BET自分が賭けていたとすると、フラッシュの役ができれば七倍となり、この七点はテイクボタンを押すと自分のクレジットに加算されるのだ。

テイクボタンとは、ゲーム中に増えた点数を自分のクレジットに加算するためのボタンである。

これを仮に5BETでしていると三十五点となる。BET数かける役の倍率だ。

この三十五点をテイクしてもいいし、ダブルアップボタンを押してもいいのだ。

ダブルアップとは、また新たに配られてくる一枚のカードが『7』より上か下かをこの三十五点を賭けて予想するのだ。

伏せられて配られてくるカードが、ビック(上)かスモール(下)かを予想してボタンを押す。

7が出たら『ドロー』と呼ばれ、点数は動かない。

例えばスモールのボタンを押して、ひっくり返されたカードが2なら『WIN!』と表示され三十五点が七十点になる。要は倍になるのだ。

ビックを押していればハズレとなりこの三十五点はなくなる。

当たった七十点を賭けて、また次に配られてきたカードが上か下かを予想する。

当たれば、140点、次は280、560、と倍々になるのだ。

クレジットが5000点を超えるとゲームオーバーになる。『パンク』と呼ばれるものだ。5000点は五十万円である。

1BET百円ならと思うかもしれないが、1BETでゲームをする客はいない。

負けが込み、熱くなってくると20BETを賭ける客もいる。

20BETだと一万円で5ゲームしかできない。

その5ゲームのなかで役ができればいいが、できないと一万円はなくなる。

一万円がなくなる時間は一分もかからない。

その頃の僕は、決まった店の三軒をハシゴしていた。どの店も一日一回『新規サービス一万円』というものがあった。

まず店に入ると一万円と書かれたサービス伝票に自分のサインをする。

僕が一万円を識別機に入れると、伝票にサインを促した店員がサービスの一万円を識別機に入れてくれる。画面の左上のクレジットには『200』と表示される。

この200点からゲームは始まる。

この新規サービスを入れてもらったゲームだけは400点からしかアウトできない。アウトというのは、ゲームを終了して、この400点を店員に現金に変えてもらうのだ。400点なら四万円、450点なら四万五千円という具合だ。

僕は『ケンちゃん』としてほぼ毎日この三軒の店を回っていた。

ケンちゃんとは、サービスゲームしかやらない客のことを言うのだ。

200点から始めて400点を超えるとすぐに店員を呼んでアウトして帰っていた。一万円が四万円になる。三万円の儲けだ。

逆に一万円がなくなれは、すぐに帰ってしまう。

本来、このケンちゃんと呼ばれる客は出禁になる客だ。店側からは来てもらわなくていい客である。

店員からコジキ客とバカにされ、『ガジリ』と呼ばれ、一番嫌われる客だ。

どうして僕がグルグルこの三軒をガジリとして回遊してられるかというと、なにかのひょうしに(走ってしまう)のだ。

走るというのは、負けて熱くなり金をどんどん入れてしまうことだ。

BETも最初は3BETでやっているものを、走りだすと、10BETにしてしまう。自分ではケンちゃんに徹するつもりでいるのに、どこかで火がつくとコツコツと貯めてきた日払いの給料と、ガジって貯めてきた金を一晩で吐き出してしまうのだ。

僕の全財産は、すべて財布の中にある。部屋にも銀行にも置いてはいない。

勝つ時は、ケンちゃんで三万円。負けるときは財布の中にある四十万円あるなら四十万円、七十万円あるなら七十万円負けるのだ。

とてもおいしい客である。小さく勝って大きく負けるという不思議なことを、夜な夜な一生懸命やっていたのだ。

店側からすると、こいつはどこかでムチが入り、いきなり走り出すのだろうと、放牧されている競走馬みたいに見られていたに違いない。

だから出禁になることなく笑顔で店員から迎えられていたのだ。

電卓を叩きながら4BETのスリーカードなら何回ダブルアップすると何点、11BETのストレートなら何回ダブルアップすると何点と紙に書くことさえ楽しかった。目を閉じて寝ている時でさえ、ピッピッピッピッピッ♪ピーピーピー♪と、ポーカーゲームの電子音の耳鳴りがしていた。

八連勝、九連勝とかすると、俺はプロなんじゃないか?仕事を辞めてポーカーゲームだけで生活できるんじゃないか?と、真剣に考えていたほどだ。もはや病気である。



 そんな時、梶さんから呼ばれた。梶さんもポーカーゲームが、この街ですごく流行っていることは知っている。

いい空き物件が出たからゲーム喫茶をオープンさせるという話だった。

そこで、僕と他に四人、そのゲーム喫茶で働けと言われた。あづま通りの中にある雑居ビルの二階にある店舗だ。

この頃は『テレホンクラブ』も大ブームだった。「入会金無料!新宿の女は気が短いぞ!それ!リン!リン!リン!リン!リンリンハウス!」とコマ劇場のところで大音量の宣伝アナウンスが四六時中流れていた。

テレホンクラブ、テレクラとは、店側が街頭でティッシュを配ったり、女性雑誌やレディースコミックに広告を載せて女性から店に電話をしてもらうのだ。

店の中には、お金を払ってその電話を個室で待つ男性客がいる。

女性は暇潰しでかけてくる人や、興味本位でかけてくる人、お小遣いが欲しくて金目当てで電話をしてくる人、もちろんイタズラ電話も多い。

年齢もさまざまで男も女も嘘か本当かわからない、顔の見えない相手と想像を膨らましながら電話で会話をするのだ。男性と女性の出会いの場でもあった。

電話を取るのは早い者順だ。お互い話が合えば街で会う約束をする。

素人の女性に会えるということで大人気になり、雨後のタケノコのごとくこの街にはテレクラが急増した。

僕が新しく働くことになったゲーム喫茶は、先月までテレクラの箱であった。店内にはポーカーゲーム機が並べられてはいるが、テレクラの広告はまだ雑誌に載ったままなのだ。

二台の電話のうちの一台には女性からの電話がひっきりなしに掛かってくる。

店は二十四時間営業で、朝十時と夜十時にスタッフが入れ替わる二交代制である。

僕の勤務時間は、朝の十時~夜の十時だ。

いきなり夜型から朝型の生活に切り替わった僕は、眠い目をこすりながら出勤していた。でもこの電話のおかげで出勤するのが楽しくてしようがない。

一緒に働いていたのは、佐伯さんという三十代半ばくらいのポン引きをしていた人だ。ポン引きではなかなか稼げなくて、梶さんにお願いをしてこの店に入れてもらったみたいだ。腰の低い人で、なぜか年下の僕にも敬語で話をする人だ。

店には客など全然来なく、佐伯さんと僕は、電話が鳴るとテレクラに来ている客のふりをして電話をとって遊んでいた。



「佐伯さんはゲーム屋行くんですか?」

僕は十番台の椅子に腰掛け、タバコを吸いながら佐伯さんに尋ねた。

洗い物が終わった佐伯さんはタオルで手を拭き、アイスコーヒーを僕の分も持ってきながら八番台の椅子に腰掛けた。

「アイスコーヒーどうぞ。ありますよ。一時期ハマッてましたね。結局勝てないし、終りがないでしょ?ポーカーって。二十四時間だから寝ずにやっちゃうんですよねぇ。勝ってるときがあっても持ってる点数が全部溶けるまでやっちゃうんですよ」

この店には十二台のポーカーゲーム機が並べられていた。

ドアを開けた正面には【月間4カード!5BET~100P・10BET~300P】と書かれたポスターが貼られている。

その下に付け替え可能なように、フックが打ち付けられている。

今は2月だから『2』の4カードが出れば5BET以上で一万円、10BET以上でやっていれば三万円がご祝儀として店から客に渡されるのだ。

月間センターAや、センターKというプレミアのポスターも貼られているのだが、客がいないせいもあるがショボイ感じがする店なのだ。

店舗に金を掛けていないというか、僕がケンちゃんとして回遊している店は博打場という感じがしていた。

秀司の店などは空気がピーンと張り詰めたいい雰囲気の店なのだ。歌舞伎町一丁目じゃなく、ゲーム屋はやはり二丁目ですよね、とそんな話をしている時にテレクラの方の電話が鳴った。小躍りをしながら佐伯さんが電話機に向かっていく。

「もしもし、こんにちは。ええ、営業の外回りで。あはは、サボってる最中ですよ。誰に似てるかって?うーん、あっ」

電話が切れたみたいだ。佐伯さんは苦笑いしながら受話器を置くと、また電話が鳴った。

「もしもし、こんにちは。ええ、あっ」

また切れたみたいだ。

僕と佐伯さんは、電話を取って約束ができたら交互に相手の女性に会いに行っていた。店も暇だし、その子といいかんじになったらそのまま店に帰ってこなくてもいいという約束を二人でしていた。

相手の洋服の色や特徴を聞いて、約束した場所に行くのだ。

こちらの洋服の色や特徴も相手には伝えてある。

普通の大学生や浮気目的の人妻、お金目当ての援助交際、家出少女、少しポッチャリと聞いていたのに驚くほど太った女性がいたり、二十代後半と聞かされて会いに行ったら四十過ぎのオバサンがいたり、とバラエティに富んでいた。

もちろんそこにいないこともある。彼女らからしたら、どんな男が来るのか不安である。そこで、実際とは違う特徴を相手に伝えて、遠目に来ている男性を見て大丈夫そうなら姿を現す、という手を使う女の子もいた。

「この前会ったOLさんと週末デートなんですよ」

受話器を置いて佐伯さんは笑いながら席に戻ってきた。

「へぇー、真面目な子過ぎて手が出せなかったって言ってたOLさんですよね?」

「そうそう、あれから何回か会ってるんですよ。歌舞伎町で仕事していると癒されるんですよ、昼間の女の子の話に。真面目に働いている女の子の会社の愚痴なんて一晩中聞いてられますよ。可愛すぎて」

「作戦なんじゃないですか?」

「いやいや本当ですって。食事に連れて行って、割り勘にしましょうって言うんですよ。歌舞伎町の女が『割り勘』なんて言います?割り勘なんて言葉すら知らない女どもでしょ」

二人で笑いながら話をしている時にテレクラの方の電話が鳴った。

「瀬野ちゃん、どうぞ。連チャンでイタ電だったから」

佐伯さんは笑いながら、僕に電話をとるようすすめた。

「もしもし、こんにちは!あぁ、こんばんわになるのかな。あはは、二十四です。ええ、三十五才なんですか。僕の身長ですか?身長は百七十八くらいですよ」

三十五才と聞き返したときに、佐伯さんは顔を左右に大きく振り、「止めておけ!」という、両手を交差させてバツ!と大袈裟なゼスチャーを僕に笑いながらしていた。

「わかりました、パリジェンヌにいるんですね。僕も近くにいるので、これからそっちに向かいますね」

今、パリジェンヌにいて一人でお茶をしているという三十五才の女性からの電話だ。酒焼けしたような、かすれた低い声だ。

もう十八時を過ぎている。こんな時間に女性が一人でパリジェンヌでお茶なんかするのか?僕は首をかしげながら、受話器を降ろした。

「瀬野ちゃん、本人が三十五才っていうなら五十は過ぎているかもしれませんよ。

こんな時間にパリジェンヌって、一発三万でどう?みたいな直引きの稼げない風俗嬢かなにかじゃないんですかね?美人局かも。まぁ、瀬野ちゃん見たら相手も予定を変更しそうですけどね」

「今日も客、来そうもないし。パリジェンヌでオバサンの顔見てそのまま帰っちゃっていいですか?明日は佐伯さん早上がりで」

「大丈夫ですよ。今日の結果、明日楽しみにしていますね」

僕は着替えて、夕暮れの中パリジェンヌに向かった。



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