第27話

 「時間がきたみたい。本日はありがとうございました」

女の子が幹事の人間にトレーに載せられた伝票を手渡した。

まだ宴の余韻に浸っている連中ばかりだ。隣の女の子とキャッキャッと笑っていたり、「帰る間際にもう一杯」とグラスになみなみとつがれたビールを、一気に飲み干している者もいる。一向に帰る気配のない十三人である。

「はぁ?八万二千円?なんやこれ?」

短髪で白のワイシャツを着た三十代半ばぐらいの男が、びっくりした顔で立ち上がった。

ガヤガヤと盛り上がっていた連中の動きが止まり、一斉に立ち上がった幹事の人間に十二人の目が注ぐ。

「まぁええやないか。女の子も可愛かったし、面白かったし、結構飲んだぞ。十三で割ってくれや。ひとりいくらになるんや?」

赤ら顔の腹のつきでたパンチパーマの男が、座ったまま立ち上がった男を見上げ、満足そうな表情で口をはさんだ。

「――いや、ひとりや」

全員が全員、険しくなった顔を見合わせ幹事の人間の次の言葉を待っている。

「――一ひとり?アホか!ひとり八万?おい、兄ちゃん、なんやこれ?」

手渡された伝票を握りしめたまま、幹事の人間は振り返り僕を睨みつける。

「飲み放題、団体さん割引で四千円やないのか?さっき、ここへ連れてきた奴がそう言っとったやないか!」

「舐めとんな、舐めとったらあかんぞ!」

「アホらしいわ、帰んで!」

「八万二千円の十三人やったら、百六万!車買えんがな!ふざけとったらアカンで!」

客の怒号が飛び交い始めた。和やかな宴の余韻が一気に修羅場と化す。次第に、席についていた女の子たちへのアタリも強くなる。

ぞろぞろと立ち上がり、帰り支度を始めながら「おまえのところの店、最悪やのぅ」「こんな店でよう働いてられるわ、信じられへん」と視線を足元に落としている女の子たちへ頭の上から罵声を浴びせはじめた。

ざわついた空気の中、「こちらへどうぞ」と僕は右手を伸ばし案内するように、ガタイのいい十三人に席を立つよう促した。

パンチパーマや丸坊主、角刈りに七三分けと様々な髪型ではあるが、どいつもこいつもガタイがいい。僕の横にいる若い男は、背丈はそれほどでもないのだが、胸の厚みや肩の筋肉がハンパない。

「いやいや、お客さんね。御一人様、八万二千円ですよ」

出入口を塞ぐように立ちはだかる、上着を脱いだ作り笑いの多和田さんが早くも戦闘体勢だ。

「先に四千円づつ払ったろ?アホか!四千円以上は掛からないって話やったぞ」

話すことなんか、あるかい!というような顔で、濃紺のジャケットに袖を通しながら先頭に立つ客はドアを開けようとしている。

「どかんかい!アホンダラ!いてまうぞ!コラーッ!」

「なめてんじゃねーぞ!コラッ!誰の紹介だか知らねぇけど、文句があるならそいつに言え!うちとは関係ねぇ奴なんだよ!」

ドアの前に立つ多和田さんの怒号が唸る。出ていこうとしている客を押し返し、さらにもう一歩押し返した。サラリーマンの団体客だと元気がいいのは、せいぜい一人、二人なのだが、この十三人の客達はみんな元気がいい。

出ようとする客たちと多和田さんの間に僕が入った。二人の力が強くて、僕はあっという間にはじき出されてしまう。キャッシャーから店長も早々と飛び出してきた。

「お前ら、どこの田舎から来てんだよ。ここは、歌舞伎町だぞ。四千円で飲めるわけねぇだろ!この野郎!」

「そやったら、なんであんな呼び込み使っとんねん!」

後ろにいる客からの怒鳴り声だ。

「だから、その呼び込みってのは、うちの人間じゃないってさっきから何度も説明してんだろう!タコが!」

僕の怒鳴り声に、ずんぐりむっくりの坊主頭の男が、僕のワイシャツの胸元をグイグイと引っ張っぱり、壁に何度も後頭部を打ち付ける。

「おい、小僧、舐めとったらあかんど!こらっ!客に向かってタコとはなんだ!タコとは!おおおっ!」

ドンッドンッと壁にぶつけられ、僕の目からは火花が飛び散りワイシャツの上ふたつのボタンがはじけ飛んだ。今度は店長が、坊主頭の客と僕の間に割って入った。

「金払ってから客ヅラしろよ!この野郎!金払ったらありがとうございました!って頭さげてやるよ。四千円で済むわけねぇだろ!だいたい、ここの家賃いくらか知ってんのか?おおっ!こらっ!歌舞伎町のど真ん中だぞ!」

「アホか、飲みに来ている俺らが、なんでお前のところの店の家賃なんか気にせなあかんのや?お前の方こそ頭大丈夫か?」

ゲラゲラと笑い声まで起きる始末だ。

酒臭い息が充満している。頭に血が上った十三人の体温が、店内の温度をどんどん押し上げている。殺気だった空気と怒号が飛び交う店の中が異常に暑い。

ここにいる全員が全員、額に汗を浮かべ眉間にしわをよせている。

一番若そうな巨体の男が仲間と話をしている。

「頭にきたから、この店ぶっ壊したろかな?」

「あかん、あかん。そんなことしたら、こいつらやなくて俺らがパクられてまうがな。パクられるのは、こいつらや!ボッタクリバーのほうやで」

一向に話がまとまる気配がない。こうなるだろうな、という僕の予想は的中した。

しかし、じゃあ結構です、などとは言えない。十三人の客を入れて売上0なんて、あっという間に街中の引き屋に話が広まってしまうからだ。

「いくらだったら、払えるんだよ?お前らビール二ケースもあけておいてよ。料理もメチャクチャ出てんだろよ!おおぉー!」

肩で息をしている店長が、腕を組みながらリーダーらしき男を睨みつけ怒鳴り上げる。

「アホンダラ、一銭も払うか!食い放題やって聞いたって人間もおるんや。しかも、こんなことされて気分悪いわ!」

「この野郎!一銭も払わねぇだと!この店、誰の店だか知ってて言ってんのか?」

多和田さんが鬼のような形相で睨みつけ、リーダーの顔ギリギリまで顔を近づける。

「なんや?ヤー公の店かい?」

吐き捨てるように、十三人の中の誰かがつぶやいた。

「よぉ、『壱三矢』の柳さん、お前の知り合いやなかったか?」と一銭も払わないと怒鳴っているリーダーに、仲間の一人が助け舟でもだすかのように話しかけた。

壱三矢とは、隣街にある暴力団の『壱三矢会』のことだ。

いくら怒鳴り声を張り上げていても、僕も多和田さんも店長も頭の中は案外冷静である。知らず知らずのうちに、僕もそれができるようになっていた。

一瞬、僕たち三人の目があった。そして三人の目が笑った。リーダーは余計なことを言うな、という顔で話しかけた男の顔を見ている。壱三矢会の名前を出した客は、しまった!という顔をしている。

「そういう話なら、カタギの俺らの話じゃなくなるからな。ちょっと待ってろ」

笑みを浮かべた店長は、キャッシャーの中に入って電話をかけた。

「――もしもし、ああすいません、小湊です。なんかうちのお客さんで、壱三矢会の知り合いの方が来てるみたいで、料金払ってもらえなくて困ってるんですよ」

しっかり連中に聞こえるように、わざと大きな声で店長は電話をした。

「おいおい、知り合いとか誰も言ってないやろう!」

リーダーらしき男は少し慌てたかんじである。多和田さんと店長の口角が上がる。

ラッキーパンチみたいなものだ。余計な一言だった。ヤクザの名前なんて簡単に出すもんじゃない。

僕は形勢逆転だと思った。

「そういう筋の方でしたら、自分たちとは世界が違うのでこれから来る人と話してもらえますかね?」

口元がさらに緩む多和田さんはそう言うと、僕のほうを見てニヤッと笑った。

この店の斜向かいの雑居ビルに、ケツモチのヤクザの事務所がある。

電話を入れて五分もしないうちにヤクザ二人がドアを開けた。

一人は、黒のジャージを着た細見の若い男だ。

もう一人は、街ではよく見かけるのだが名前は知らない人だ。

淡いブール―のシワひとつないダブルのスーツ。旨い料理と高い酒で、でっぷりと膨らました腹回りを包み込む、つやのある鮮やかなレモンイエローのシャツ。太い首元から見え隠れする金のネックレス。左手には、犬の首輪のようなぶっとい金のブレスレッド。右手にはキラキラと輝く金のロレックス。

ごつごつとした岩のような顔のパンチパーマに薄いブルーのサングラス。

背丈も百八十センチくらいある、貫禄十分のTHE・ヤクザという中年の男だ。

この男も昼夜関係なくサングラスをして、通りをのし歩いている。

店長同様、松方弘樹の大ファンなのかもしれない。

「お疲れさまです」

店長と多和田さんが、ヤクザ二人に軽くお辞儀をした。

「この人らか?壱三矢の人間ってのは?」

貫禄十分のヤクザのサングラスの中の目玉が、十三人の客の顔を一人づつ確認するかのように、じっくりと追いかける。

「いやいや、違いますよ。ボクらは会社員ですよ」

リーダーの男が、顔のまえで手のひらを振りながら、違う、違うという仕草をした。

「おおぉ!うちが面倒見てる店でなにアヤつけてんだよ!(※アヤをつける 言いがかりをつけること)会社員だぁ?なに、ヤクザの名前語ってるんだよ!コラッ!おおおぉ!」

若いヤクザがリーダーの男に近づいて怒鳴りあげた。

年齢は二十才になるかならないかという感じだ。若いからそう見えるのか、雑魚キャラっぽく見えてしまう色白細身のパンチパーマだ。

貫禄十分のヤクザと店長、多和田さんが東映のヤクザなら、この若いのはVシネマのその他大勢の中にいそうな感じだ。

リーダーの顔が若いヤクザへの怒りで、じりじりとゆがんでゆく。

眉間にしわを寄せ、チカラいっぱい目を細め、今にもこの若いヤクザに飛びかからんばかりだ。

「てめぇらで飲んで遊んだ金ぐらい綺麗に払っていけよ、この野郎!

いいオッサンがよぉ!おぅ?どうなんだよ!なんとか言ってみろ、この野郎が!」

リーダーの身体が小刻みに震えている。恐怖で震えているのではない。

この若いヤクザへの怒りでブルブルと震えているのだ。 

「十三人分の総額、いくらになるんかな?」

リーダーは若いヤクザを睨みつけたまま、目線を一度も外さないまま店長に金額を改めて尋ねた。

店長は、払うのか?という驚いた顔で電卓を叩き、端数の二千円はいらないから十三人分で百四万円だ、と答えた。

リーダーは、若い男を睨みつける刃物のような視線を外し、一呼吸あけた。

怒りの眉間の深い縦じわで、眉毛が左右繋がりそうだ。

そんな顔で、顎を上げたまま頭を下げて貫禄十分のヤクザにお願いするようなそぶりでこう話しかけた。

「――お兄さん、百四万全額、今すぐここで払うからこの子と喧嘩させてくれへんかな?でな、組の話にしないでほしいんやわ。

場所はそこらのビルの隙間でええんや。時間もとらさへん。十分もかからへんから。殺しもせぇへんし。しばらくビッコひかせる程度や。どうやろ?」

若いヤクザは目を見開いたままだ。なにも言い返せない。目の前にいるリーダーを睨みつけることさえできない。

完全にこの漁師の気迫に飲み込まれてしまっているのだ。

「なんや、トクちゃん。それやったら俺にやらせてくれや、五分もかからんぜ」

「俺にやらせてくれや、トクニイ!俺なら三分や!三分でガチガチにカタワにしたるわ!」

リーダーの後ろにいる仲間から「俺にやらせろ!俺にこいつと喧嘩させろ!」と何人もの声がする。店長も多和田さんもあっけにとられた顔だ。心配そうに見ていた女の子たちも、いつもとは違う光景に戸惑った顔だ。

ヤクザだと名乗って「それがどうした?」と言われたら最後は腕力だ。人間力とでもいうのか。相手もヤクザなら話は別だがこの十三人は会社員だ。

どんな会社員だかしらないがカタギである。

水戸黄門の印籠じゃないが、ヤクザだと名乗れば「ハハッー―」と、頭を下げてもらわなければオチがない落語と同じだ。カタギにヤクザだと名乗ったら「失礼しました」と言って貰わなければ成立しないのだ。

ヤクザは怖いもの、面倒くさいもの、関わり合いたくないもの、というイメージが彼らの売りであり、それがメシの種でもある。

なにも言い返せない若いヤクザの横で貫禄十分のサングラスのヤクザはニヤニヤと笑い口を開いた。

「あんたら、関西から遊びに来たのかい?歌舞伎町にもいろんな店があるからなぁ。それでな、こいつと喧嘩させろって話は無理だよ。

あんたらと喧嘩したってこっちは一円の金にもならねぇからな。金にならねぇ喧嘩は、悪いけど俺らはしないんだよ。

よぉ、店長、この人ら一人一万円でやってあげられないか?せっかく関西から遊びにきたんだ。なぁ、あんたらもそれでいいかい?」

十三人の客に向かってサングラスのヤクザはそう話した。店長は一人一万円で大丈夫だと答えた。十三人の客達は大声で「ありがとうございます!」とサングラスのヤクザに頭を下げて帰って行った。ヤクザ二人も、「お前ら、えらい金額ふっかけてんだな。儲かってんだろ?」と、笑いながら帰って行った。



 ひと仕事終わった。強烈な十三人だった。

僕は何度も壁にぶつけられた後頭部を押さえながら、はじけ飛んだシャツのボタン二つを探し出し、やっと見つけて財布の小銭入れの中に入れた。

「ありゃ、あの若いの、これから三上さんにお説教だな」

店長がタバコをくわえ、ライターで火をつけながら僕に話かけた。

「あのサングラスのヤクザ、三上さんって言うんですか?そこらでよく見かけますよね、あの人。どうして若いのがお説教なんですか?」

「そりゃそうだろ、なにも言い返せずに固まっちまったじゃねーか。あの漁師にのまれちまってたからな。三上さんのセリフをあの若いのが言わなきゃだめだよ」

多和田さんは、缶コーヒーをすするように飲みながら、僕の顔を見た。

「三上さんのセリフですか?」

「ああ、金にならない喧嘩はしないって若いのが言わないとさ。黙っちゃったらダメだよ。なんだよ、このコーヒー『微糖』って書いてあるのに、すげぇ甘ぇなぁ。

やられたよ、またやられた。俺に合う微糖がみつからねぇよなぁ、ほんとに」

缶コーヒーの成分表示のところをしげしげと、多和田さんは見ている。

「しかし、あの十三人、場数踏んでんなぁ。あんなのに暴れられたら、本当に店ぶっ壊されちゃうよな。

ヤクザに金払うから喧嘩させてくれ、なんて言う奴初めて見たよ。おもしれぇなぁ。でも、あいつらカッコよかったなぁ」

店長が大きくタバコの煙を吐き出した。

女の子たちも固唾を飲んで見ていたのだろう、ポニーテールのリナがパタパタと僕たち三人の方に駆け寄ってきた。

「やっぱ、この街の男は偏差値より腕力だね!」

リナが自信満々な顔で僕たちに笑った。

店長と多和田さんは意味がわからず「んんっ?」という顔で小首をかしげた。

僕は「いやぁ、この街の男は気合いだよ、気合い」とリナに向かって、クスッと笑った。


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