第25話
雨降りが続く肌寒くなってきた十月のことだ。雨の日が続こうが、肌寒くなろうが、人の多さは相変わらずだ。
店長と二人キャッシャーにいた。風邪気味なのか、咳きをしていた店長が、鞄から小児用ジキニンとユンケルを出した。
「風邪ですか?それ一番高いユンケルじゃないですか?小児用ジキニン?効くんですか?それ」
「この組み合わせ知らねぇの?これ一発で治っちゃうよ。風邪にはこれが最強だよ」
店長は自慢げに二本一気に飲み干し、キャップを締めた。
「ところで、今日店に来るときに職質受けちゃって『おまえ、どこかにゲソつけてねぇのか?ゲソつけたら教えろよ』って言われたんですよ。ヤクザなんかやるわけないじゃないですかね」 ※ゲソをつけるとは、ヤクザ組織に足を踏み入れること。
僕は笑いながら、そう言ってタバコに火をつけた。
「そりゃそうだ。ヤクザはやるもんじゃねぇよ。見るもんだからな」
店長は、一気に飲んだユンケルと小児用ジキニンの二本の瓶をゴミ箱にいれながら、椅子をくるりと回転させて僕の顔を見た。
「見るもの?ですか?」
「だっておもしれぇじゃん。見てたり、連中の話聞いてたりするの。俺の友達や後輩でヤクザやってる奴、結構いるんだよ。あいつらの話、ムチャクチャすぎてホント面白いんだよ。
この前なんかよぉ、後輩が、金がなくなるとゲーム屋専門のタタキやってんだよ。
そもそも金がなくなったら強盗でもするか?って発想が、もう笑えるんだけどな。
まあ、被害届けが出せない相手だからやるんだけどよ。グループの中の一人が、シャブを身体に入れて強盗に行くときには、なぜか上半身、裸になっちゃう奴がいるらしいんだよ。
脱ぎたくなっちゃうんだろうな、興奮して。
店の入口にはカメラがあって、顔の確認をしてからドアが開く仕組みになってんだよ。で、開けたら裸の刺青男が、出刃包丁持って叫びながら突入するんだけど、中にいた店員が『もう、三回目ですよ。勘弁してくださいよ』って言ったらしいんだよ。
行くほうも行くほうだけど、ドアを開けるほうも開けるほうだろ。
一緒に行った後輩は、その店にいくのは初めてなんだけど、『三回目』と言われた刺青男を見て、おかしくってしょうがなかったらしいんだよ。いい加減、自分が強盗に入った店くらい覚えろよって。
三回もドアを開けて刺青男を中に入れてる店員にも、カメラがあんだろう、なに見てんだよ、顔くらい覚えとけよって。
裸の刺青男なんてインパアクトありすぎて、一度見たら忘れられないだろう、って後輩は大笑いしてんだよ。漫画だよ。漫画。メチャクチャだろう。
ホント、おもしれぇんだよ。だけど俺はできねぇもん、組のためだ、組長のためだって五年も十年も懲役行くことなんて。おまえできるか?」
「いやぁ、僕は小菅に十日程度いただけで泣きべそかいてましたからね。五年とか十年というより一ヶ月で失神しちゃいますよ」
「だろう?それが普通だよ。だからすげぇんだよなぁ。誰かのために、自分の人生の五年、十年を差し出すんだぜ。しかもすべての自由を奪われる地獄のようなところにいくんだ。
その無償の絆みたいのに痺れたり、憧れたりな。ホントはそんなキレイな話でもないんだけど、それでも俺には考えられないもんな。
そいで、連中は立派な無職なんだよ。無職でベンツ乗って飲み回ってな。自分の言葉と度胸とセンスだけで金を稼ぐんだ。だけど、カタギになる奴も多いんだぜ。金を稼ぐのがうまくないと、しょせんはやっぱり無職だからな。
ヘタ打ったりして俺の友達もカタギになった奴が多いよ。けどよぉ、松方弘樹はカッコいいよなぁ。松方弘樹になりたい!」
松方いい、松方いい、と深くうなづいている店長がいる。
雨が強くなってきた。窓を叩く雨音がバチバチと店の中まで響く。
濡れた傘の水滴を払いながら多和田さんが入ってきた。百八十センチはゆうにあるパンチパーマの人だ。名門の高校野球部のレギュラーで、野球推薦で大学に行ったのだが、野球部の上下関係に嫌気がさして、退部と同時に大学も辞めた人だ。
学生時代に鍛え抜かれた筋肉に脂肪が乗った感じで見るからにゴツイ。プロレスラーみたいだ。同期でプロ野球に行った人間もいるという。
目力のあるギョロ目。細く剃り揃えた口ひげが似合う、おっかない顔をした三十才くらいの人だ。店長も多和田さんも、東映のヤクザ映画に出てきても、引けを取らないようなおっかない風貌だ。
「おはよう!なになに?何の話してたんですか?」
多和田さんは、傘を丸めて傘立てに入れながらキャッシャーに入ってきた。
「店長が、どうしても松方弘樹になりたいらしいんです、松方いい、松方いいって」
僕は腕を組み目を閉じて、うん!うん!うん!と激しく首を縦に振る店長を見ながら、多和田さんに伝えた。
「店長、無理ですって。川谷拓三になら、なれるかもしれませんよ」
「拓ちゃん、殺されてばっかだからなぁ」
店長も笑っていた。ドアの向こうから微かに浜田省吾の歌をカラオケで歌っている客の歌声が聞こえる。
「浜田省吾の『MONEY』じゃないですか?ハマショーいいですね。この客、歌うまいなぁ。店長、知ってます?ハマショー」
僕は、口ずさみながら店長に聞いてみた。
「知ってるよ。今付き合ってる女、おまえより二つか三つ年下なんだよ。いい歌、唄うよなぁ、ハマショー。けど、俺は前川清の方が好きだけどな」
「そんな若い彼女なんですか?親子じゃないですか!親子プレイじゃないですか!」
「瀬野!おまえ、失礼な奴だな。プレイってなんだよ!プレイって!プレイって言うなよ!俺たちの純愛を!」
店長と僕はプレイ、プレイと連呼しながら大笑いしていた。
「このマネーって歌でさ、ずっと勘違いしてたことあったんだよなぁ」
多和田さんの視線は店長の頭上のはるか上で、なにかを思い出しているかのように、親指で顎の肉をつまみながら、ニヤニヤしている。
「へー、どんな勘違いしてたんですか?」
僕は多和田さんの勘違いってなんなんだろう?と彼の話の続きを待つように、おっかない顔をじっとみていた。
「この歌でさ、『ベットでドンペリニィオーン』ってあるじゃん。『ドンペリニィオン』って大人のおもちゃだと俺、ずっと思ってたんだよ」
おっかない顔で、なぜか乙女のように頬をピンクに染め、はにかんでいる身体のバカでかい男が僕の横にいる。
「多和田ぁ!なんで武道館でハマショーが、ベットで大人のおもちゃを使う歌を唄うんだよ!なんなんだよ、おまえは!」
店長は、あごがはずれるくらい口をあけて大笑いしている。
「多和田さん!どこから大人のおもちゃが出てくるんですか!」
僕も笑いが止まらなく、うまく話しが出きないないまま多和田さんの横顔をみていた。
「カラオケでこの歌唄う時、『ドンペリニィーオン』のところだけ照れくさくてなぁ、歌うのが……節回しがエロくね?まぁ、学生時代の勘違いしてる時の話なんだけどね」
――節回しがエロくね?……この男は、『一杯のかけそば』のようないい話を懐かしむようなテイで、なにを言ってるんだと、僕の心の中のツッコミが止まらない。
全身の毛穴から汗が噴き出るほど笑える。
「そんな顔して照れくさいって!大体、唄うのが恥ずかしくなるような歌、ハマショーが作る訳ないでしょ!」
「瀬野、そんな顔してって、なんだよ、そんな顔って。でも勘違いしてる奴いると思うんだよなぁ。野球部にいた友達には結構いたぜ、大人のおもちゃだと思ってた奴」
「どんな友達なんだよ。多和田よぉ、お前、頭にデッドボールもらいすぎなんだよ!ハマショーに謝ったほうがいいぞ!ハマショーに謝れ!」
サングラスを外し、おでこの汗を丸まったままのオシボリを上下に動かし、拭き取りながら店長はのけぞって笑っている。
その仕草も松方だ!と僕は、多和田さんの話で笑っている声のうえに、さらに笑い声をかぶせる。
「マジで俺らだけなのかなぁ?じゃあさぁ、成人病は?」
僕も店長も笑いすぎて、ぜえぜえと肩で息をして腹筋をピクピクさせながら「成人病?」とキョトンとした顔で聞き返した。
「うーーん、なんかさぁ、ものすごく、いやらしい病気だと思ってた時期があったんだよなぁ」
多和田さんは、もったいぶった間をあけたわりに、またとんでもないことを言い放った。
「……ものすごくってなんだよ!ものすごくいやらしい病気ってなんなんだよ!多和田ぁなんで?なんでなんだよ!なんなんだよ!おまえは!」
腹筋崩壊した店長はサングラスを外し目頭をおさえ、笑いすぎてこぼれた涙をティシュで拭きながら聞き返している。僕もうまく呼吸ができないまま、痙攣するかのように床の上でのたうち回り、大笑いしていた。
「『成人映画』あるじゃないですか?日活のポルノ映画。で、成人映画の『成人』だから成人病って、いやらしいんだろうなって。成人病予防には、コンドームをつけるとか、成人病対策なんて聞くと、手当り次第オマンコばっかりしてたらダメなんだなぁって、気をつけなきゃって本気で思ってる時期があったんですよ。これは野球部あるあるでしたよ」
なにもおかしなことは言ってない、みんなもそう思っていたでしょ、というような顔で話す多和田さんが、面白すぎる。
「多和田ぁ!なにが野球部あるあるだよ!どんな野球部なんだよ!なんでそんなことを本気で思ってる時期があるんだよ!何でもかんでも、シモネタにもってくんじゃねぇよ!助けてくれーー」
「多和田さん!どんな学生時代送ってたんですか!そんな友達ばっかりだったんですか!」
外は嵐のような土砂降りになってきたみたいだ。ツブの大きな雨が、窓ガラスにあたっては弾け、あたっては砕け、まるでシャワーだ。
窓ガラスにワイパーが欲しいくらいの大粒の雨がバツバツバツッと外壁を叩きつけ、うるさいくらいに激しく音をたてる。
まるで、多和田さんが学生時代に受けていた千本ノックみたいだ。
その雨音は、エロいことで頭がいっぱいなのに、泥だらけで白球を追いかけていた多和田少年と、その愉快な仲間たちの青春時代に溢れんばかりの拍手しているように聞こえた。
笑い疲れて汗びっしょり、フラフラになった僕と店長は、完全に多和田さんにノックアウトされてしまった夜になった。
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