第22話

 裁判の判決がでた。懲役十ヶ月、執行猶予三年である。刑期評論家の年輩のヤクザの予想がピッタリ当たったのだ。「ナハナハッ!」と、せんだみつおのモノマネをしている年輩ヤクザの顔が浮かぶ。

裁判が終わり、父親を東京駅まで見送った。駅のホームで、謝る僕に「こんなことで東京に呼ぶのは今回を最後にしてくれよ。盆や正月には顔でもだせや、お母さんも喜ぶから」と、久しぶりの握手をして別れた。

最後に父親の手のひらに触れたのは、いくつのときなのだろう?

そんなことを思いながら。

「どんな生き方でもええわぁ、元気にやれとればな」と、半ばあきらめるように笑う後ろ姿。「普通」に生きて欲しいという父親の願いと、それがどうしてもできない、僕の生き方がまた始まるのである。



 さくら通りにある『ラーメン王』という町中華で出勤前の僕は、五目炒飯を食べていた。

オレンジ色のカウンターとテーブルが三つしかない、こじんまりとした店だ。

ごま油とにんにくを焦がした香ばしい匂いで、腹をすかせた僕たちをいつも迎え入れてくれる。

テーブル席からは通りの景色が見える。夏は日が暮れるのが遅い。

十九時近くになるというのにまだ外は明るい。夏祭りが始まるわけでもないのに人、人、人だ。川の流れのように人が流れている。

街の喧騒が、店の中まで聞こえてくるほどだ。この店の周りにだけでも多いときは三十人くらいの引き屋が立つ。

「今日も稼ぐぞ!」という勢いを感じる笑い声やどよめきが、真夏の夜空に上がる花火を、まだか、まだか?と待ち焦がれる河川敷の観客のように見える。

これから始まる祭りの主役は俺たちだと言わんばかりに、身をかがめ大きくジャンプする機会をうかがっている連中ばかりだ。

当然、この店の客もこの街の良からぬ住人だらけだ。

「おお、瀬野。これから仕事かい?おまえ今、梶さんのところだろ?めちゃくちゃ入ってんだろ?客が」

ずるずると具だくさんの味噌ラーメンとビールを交互に口に流し込んでいる、赤ら顔のポン引きのノムさんがいた。

『ポン引き』とは本番ありの風俗のキャッチのことだ。『引き屋』は、飲み屋やストリップ劇場、本番なしの風俗に客を入れるキャッチだ。なにが違うといえば、街角に立ち、客となる通行人に声をかける際に払うカスリ(みかじめ料)が違う。

「梶さん」とは、今僕が働いているボッタクリバーの社長である梶原さんのことだ。

「おはよっす。毎日、すごい客ですよ。なんなんですかね?他所も結構入ってるって聞きますけどね。歌舞伎(交番)も毎日、ごったがえしてますよ」

二度と来るか、こんな店!クソボッタクリバーが!悔しいな、騙されたよ!と、

そんな気持ちで100%の客が、怒りまくって帰る店だ。二度と来るか!と看板の一つでも、蹴り倒したくなるような店だ。なのに、十九時も過ぎれば夜中の二時、三時まで連日、超満員なのだ。狭い店だからというわけではない。満席になれば四十人くらいの客が入れられる広さだ。そこに二十人近くのホステスも毎日出勤してくる。

お祭り騒ぎの歌舞伎町に、繰り出して来ている人間が毎日違うのだ。

この街は毎晩、昨日とは違う人達で溢れ返っている。そうでないと話のツジツマが合わないことになる。絶対に二度と来ない、来ることはない、という客だけで、連日超満員になるということが。

昨日と同じように見える沢山の人の流れも、昨日と同じように聞こえる街の賑わいも、昨日とは全く違う顔の人達なのだ。



 梶さんの店はコマ劇場から少し歩いたところにあった。とあるビルの二階だ。厨房専門で働いているヤマちゃんが一番早く出勤してくる。彼が仕入れやオープン前の掃除はしていてくれている。元々料理人で梶さんの知り合いで入った人だ。

僕が出勤してしばらくすると店長の小湊さんやトラブル処理の強面、多和田さんが出勤してくる。

エレベーターで二階にあがる。入口のドアを開けると、左側に木目調のパーテーションで仕切られた四畳くらいの部屋がある。小窓のついたキャッシャーと呼ばれる部屋だ。

四畳くらいのスペースを空けてもう一つドアがある。このドアは防音のために結構な厚みがある。この四畳くらいのスペースで会計をするからだ。まだ会計をする前の飲んでいる客に怒鳴り声や、料金でもめている声を聞かせないためのものだ。

そこを開けると縦に長いホールに続く。店の両端から縦に、光沢のある銀色のソファが埋め込まれ、大理石模様のテーブル。

床もしっかり磨きあげられた、ピカピカの大理石の模様だ。壁は細い黒と白の縦縞のストライプ。その壁には大きな絵画が掛けられている。

キラキラと光るゴールドの額縁の中で、毒々しい真っ赤な薔薇の絵が映える。天井二ヶ所には、大粒のガラス玉で連なるシャンデリアが吊るされている。そのシャンデリアを様々な色のピンライトが照らし、その光はさまざまな色で天井に反射している。高級クラブのような内装だ。

僕が出勤してムースで髪をセットしている時だ。ピンクの電話が鳴った。この電話は新宿警察、歌舞伎町交番からしか鳴らない電話だ。

「おぅ、この野郎ぅ。誰だよ、おまえ。小湊か?瀬野か?」

この頃の歌舞伎町交番はヤクザみたいな警察官が多かった。なかでもこんな電話を寄越すのは「クラ」と呼ばれる若い警察官くらいだ。

こんな電話のかけ方で、もし電話番号を間違えていたら、こいつはどうやって相手に詫びるのだろう?と、いつも僕は思っていた。なぜこの男が「クラ」とみんなから呼ばれているのかは知らないが、歌舞伎町の住人達はそう呼んでいた。

ガタイのいい、はちきれんばかりの制服。色白のエラの張った頑丈そうな男だ。

眉間で繋がりそうな太い眉、眼光鋭い細い一重瞼に分厚い唇。柔道であろう、潰れた餃子のような耳。帽子を斜めに被って、生意気に肩で風を切るように街中をのし歩いている。この頃は耳の潰れた警察官が多かった。

通りで「ん?」と思う雰囲気の人間を見ると無意識に小指と耳と履物をみる癖がついてしまった。

このくらいの荒っぽさがないと歌舞伎町交番は務まらなかったのかもしれないが。

僕もクラだと分かっているのだが、わざととぼけて聞き返す。

「――もしもし、瀬野ですが?どちらさまでしょうか?」

「歌舞伎(歌舞伎町交番)だよ、歌舞伎ぃ。おぅ瀬野かぁ、このやろうぅ。今日は営業すんのかよぉ?」

「はい、これから営業します」

「ほぉー営業すんのか?今日は、何枚始末書を書きに来るつもりなんだよぉ?」

「いやぁ……――それはなんとも」

「なんともじゃねぇだろう!このやろうぅ!始末書一枚までだな。二枚目を書きに来たら今日の営業オシマイな。わかったか?」

「――いやぁ、自分の判断では、ちょっと…」

「小湊に言っておけ、このやろうぅ!お前らの判断じゃねぇんだよ、歌舞伎(歌舞伎町交番)の判断なんだよ!」

僕は、顔をしかめて受話器を降ろした。

    


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