第17話

 ちょうどパリジェヌで藤間さんから注意された時期くらいに、秀司から一緒にやろうという返事が貰えた。僕は、藤間さんに店を辞めることを連絡した。ボロアパートで本気で裏ビデオ屋を始めるために。

【三本 一万円 J企画】と、夕刊紙にこの暗号のような広告を載せた。

この頃の三行広告は、他の求人や趣味の仲間を集める告知でも暗号のようなものばかりだった。文字数が決まっているため必要最小限の広告である。その文字数もとても少ない。インターネットや携帯電話の無い時代、こんな暗号みたいなものに皆反応していた。

駅の改札の前の黒板に、『待っていたけど、帰ります。明美』と、伝言板でやりとりしていたような時代だ。それでもなに不自由なく過ごしていたのだ。

この広告はセンセーショナル過ぎて電話が鳴り止まなくなってしまった。

歌舞伎町では一本一万五千円。他の三行広告も【一本八千円】とか【セット有り一万五千円】などが多い。これだけ見れば知らない人は「セット一万五千円?なんのセット?」みたいなものである。

【二本一万円】と、広告を出していたときも電話は鳴ってはいたのだが、引き屋から注文があると、僕は電話線を抜いて歌舞伎町まで自転車でビデオを引き屋に届けにいく。

引き屋は僕のビデオを受け取り客に売った後、いつも缶ビールを用意してくれていた。「ありがとう」の意味もあるのだろう。そこから飲みながらダラダラ歌舞伎町の噂話で盛り上がってしまうのだ。

二本届けに行くだけで二時間くらい時間を費やし、まともにボロアパートで営業などしていなかった。ボッタクリヘルスも辞めたし、本気でやろうとボロアパートで秀司とミーティングをした。

「哲さぁ、なんでダビングをせんの?西新宿から二千五百円で買ったビデオを五千円で右から左に売ってもおいしくねぇんやね?

買ったビデオはうちの原版にしてそれをコピーして売る。買ったビデオは必ず原版としてうちに残す。

そうすれば抱えるタイトル数もどんどん増えていくやろ?」

座布団もない薄汚れた畳の上であぐらをかき缶ビールを飲みながら、ふたり顔を突き合わせた。ノートに数字を書き連ね電卓を叩く。西新宿から買ったものを、右から左じゃなくて、コピーをして売れば利益は、ぐんと跳ね上がる。

コピーをすれば一本三百円で買ってきた生テープが五千円に化ける。右から左に流すだけなら、二千五百円で買ったものを五千円で売るだけである。それには、ダビングをする場所がいる。

「秀!おめぇすげぇな!よく思いつくなぁそんなこと。ただどこでコピーしよか?」

「アホやなぁ。誰でも思いつくやろ、そんなこと。そうやなぁ、俺のアパートを工場にしよか。これから俺は工場長やるわ!明日から工場長って呼んでくれよ」

やる気満々の秀司は、二本目の缶ビールを勢いよくあけた。

「秀、それなら三本一万円でいくか?バンバンコピーしてくれよ。俺は売りまくるでさ」

こんなボロアパートからでも、夢が面白いくらいにどんどんと広がっていく。

来年はベンツやな!再来年は港区に引っ越しやな!面白くなりそうやなぁ、と二人で目を細めながらニヤッと笑った。

若さは無敵だと誰かに聞いたことがある。痛めつけられた引き出しのない若者は怖いもの知らずだということも。付け加えれば、とても無防備だということも。

そして、三本目の缶ビールで僕たちは乾杯をした。



 秀司のアパートは新宿六丁目にあった。僕のボロアパートよりはマシだが木造アパートの形の悪い六畳くらいの部屋だ。

ボスが借りてくれているらしいのだが、腐るほど金をもっているのだから、マンションくらい借りてくれよ、とよく秀司はボヤいていた。

そこにビデオデッキ十台を並べた。当時のダビングは二倍速というものがあったのだが、それでコピーをすると画質がかなり荒くなってしまう。だから、一台は再生専用にして四台で録画する。すると同時に二種類のビデオが四本づつコピーされることになる。

倍速させていないので、ダビングも作品時間分の録画時間である。

日本の作品は五十分とか六十分が多いのだが、洋物になると九十分以上の作品がほとんどだ。録画中にエアコンなどの電化製品を使おうものならブレーカーが落ち、最初からやり直しになる。今では信じられないような録画時間である。

僕と秀司は、しょっちゅう東口の『カメラのさくらや』に行っていた。あの、安さ爆発!カメラのさくらやである。たまに韓国製のVHSテープが一本百二十円位で店頭のワゴンに山積みにされて販売されることがあった。

見つけ次第、二人の自転車の前と後ろに乗りきらないくらいの量のビデオテープを買い込むのだった。

秀司のアパートのビデオデッキは二十四時間回り始めた。ゲーム喫茶の勤務中に自宅に戻ってビデオを差し替えて、また店に戻るという工場長の生活を彼は始めた。センセーショナルな【三本 一万円】という広告に変更したら、客からの電話がすごい数になった。狭いボロアパートの中では試写用テレビで画質や音声の確認をしている客が二人。

その後ろで、試写を見ながら、順番を待つ客が二人。

僕が座るソファには、二人の客が雑誌を見ながら順番を待っている。足の踏み場がない。

僕を含め、大人七人が四畳半にいるのだ。藤間さんが遊びに来たときに、客だらけで部屋の中に入れず、その盛況ぶりに驚きながら、「不良(ヤクザ)となんかあったら俺のところに連絡してこいよ」と笑いながら帰っていったほどだ。

客はサラリーマンばかりだ。

ゴルフコンペのブービー賞でとか、ビンゴカードの景品、同僚の送別会のプレゼントにとか、自分で鑑賞する密かな楽しみ以外の需要の多さに驚いたりもした。道案内を電話でしても大久保駅からボロアパートまで辿りつけない客もいる。部屋で映像の確認をしている常連客に、「迷子になっているお客さんがいるので駅まで迎えにいってきますね」と声を掛け部屋に戻ると棚一段が見事に盗まれていることもあった。



 このボロアパートのドアは木製の引き戸だ。しかも鍵は南京錠だ。鍵を掛けていても両端を持って上に揺するように持ち上げると、カパッと戸が外れて部屋の中に入れてしまう造りである。

ある時、僕はソファーベットで寝ていた。カチャカチャとビデオデッキの音がした。なんの気なしに寝返りをうった。薄っすら目を開けると、木製のドアが壁に斜めに立て掛けられているではないか。

若い男がヘッドホンをしながら、立ち膝状態で裏ビデオを見ている背中が見えた。

「おぉぉ!なに?なに?なにしてんだよ!なんだよ!なにしてるんだよ!誰だよ!お前は!」

一気に目が覚めた僕は、飛んでくる火の玉をよけるように、ソファーベットから跳ね起きた。僕の絶叫に若いサラリーマン風の男も驚き、ヘッドホンを外し飛び上がるようにして立ち上がった。バラエティ番組の寝起きドッキリみたいなものだ。

「わぁぁぁぁ!起こしちゃいました?ごめんなさい!うわぁぁ!すぐ作品決めますので!もう少し時間ください!」

「時間くださいじゃねぇだろ!この野郎! ――なんなんだ?お前は。怖いなぁ」

「……前に一度来たんですが、人が多くて入れなくて。なかなかここに来れる時間がなかったもので ――よかったら、これどうぞ」

若い男は申し訳なさそうに、ごそごそとコンビニの袋から僕にサンドイッチとジュースを差し出した。

朝の六時くらいの出来事だ。僕は寝起きで、この若い男が買うビデオが決まるまで貰ったサンドイッチを頬張っていた。

僕とたいして年齢の違わない若いサラリーマンだ。この男はこれから何事もなかったかのように出社するのだろう。ここで見せている顔とは別の顔で、職場の同僚達とあたりまえのように接するのだろう。ちゃんとした身なりなのに、この男の常識のなさに僕は首をかしげた。

無理やり人の家の扉を外して、自分の願望のためならこんなことが普通にできる。

こんな男でも、一般市民として社会の中に溶け込んでいるのかと思うと気味が悪い。

怒りとかではなく、なぜかモヤモヤした気持ちだけが残った。

とにもかくにも、このボロアパートにどんどん人が集まってきている。毎日が大盛況だ。

夕刊紙のビデオの広告も僕らの登場で一気に価格破壊が始まったのだ。


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