第15話

 夕刊紙を見ながらビデオ屋かぁ……と興味が湧いてきた。小柴さんは少し得意げに、「原版落ちのコピーの仕入れルートも紹介できるよ。西新宿にあるんだよ」と、教えてくれた。いい話だなと思ったのだが金がない。

ボッタクリヘルスで貰う日払いの給料は、ほぼ毎日ポーカーゲームと居酒屋の『ルパン亭』、『つぼ八』、『むらさき』、『養老の滝』『北の家族』で飲んで無くなっていた。月末になればトイチで十万借りて家賃と止まった電話代をサブナード(新宿駅の地下にあるショッピングモール)の一番奥にあったNTTの料金未納センターに払いに行っていたぐらいだ。

「ビデオ屋を始めるとしたら、いくらくらい掛かるものなんですかね?」

小柴さんのコメカミにくっきりと跡が残るくらいの、痛々しく思いっきり食い込んだ銀色の眼鏡のフレームを見ながら、僕は聞いてみた。

「百万もあれば余裕だよ。マンションでやるから借りるのに四十万くらいだろ?

電話ひいて七万くらい。広告で最初はフジとゲンダイで十万円。試写用のテレビも中古でいいだろう。原版のテープは二千五百円くらいで入れられるから、人気作品だけ置けばいい。

もし、失敗しても百万だしな」            

――失敗しても百万だしな、の百万円がないのだ。

百万がないというより、いつも全財産の何千円かを財布にいれているだけだ。

田舎の友人に相談でもしてみるか?と僕は思った。一緒に小田原に行った彼である。安住保彦である。彼はシンガーを目指して東京に来たのに結局、猥褻図画販売所持目的と常習賭博で捕まり田舎に帰っていたのだった。まぁ、裏ビデオとポーカーゲームで捕まったのである。裏ビデオの事情にも詳しい。保彦に電話を入れて小柴さんから聞いた話をそのまま伝えた。

今、歌舞伎町の裏ビデオ屋がこれほどの大盛況であること。

僕に裏ビデオ屋の開業資金として百万円を貸して欲しいということを。



 あと10年!1999年7月に地球が滅亡するというノストラダムスの大予言がチラホラ話題になったりしていた1989年。西武新宿駅北口を出ると、『新宿グリーンプラザ』というカプセルホテル&サウナがあった。

その建物から風林会館と区役所通りが交差するところまで続く道が花道通りだ。

その頃は、グリーンプラザから風林会館へ向かって歩くと、右側に歌舞伎町交番、タテハナビルを通過すると当時の三豊興産ビル。今は游玄亭が入っているビルだ。

そこを通り過ぎると、ホストの看板が大きく貼り出してあり、左に曲がるとなだらかな坂がある。

興和ビルやリービルを通り過ぎると『ホストクラブ愛本店』がある。その近くには『野郎寿司』や『火の国』という居酒屋、『ニーハオ』『利しり』『ザボン』という人気ラーメン店や、たくさんの飲食店があった。

花道通りから職安通りまでのエリアが歌舞伎町二丁目である。同じ歌舞伎町なのだが、一丁目と二丁目では景色も街の顔も歩いている人も全然違うのだ。

一丁目(コマ劇場の周り)は、学生や若いサラリーマン、OL、地方から遊びに来た人達でごったがえしているのだが、区役所通りと二丁目は高級クラブ街になり、ラブホテルも多い。

高そうな着物を着たお姉さんや、しょっちゅうこの街で飲み遊んでいる社長さん。

職業不詳の胡散臭さ全開!『金は持ってるぞ!』オーラ全開の怪しげな大人達であふれかえっていた。

花屋も二丁目に多く十坪くらいの店で、一日百万円くらい売る店もあった。開店祝いやホステスの誕生日、周年記念、他にもいろいろなイベント等がこの狭い町内で毎夜、至るところで行われているからだ。二段スタンド二万円~ 花輪三万円~ 胡蝶蘭が五万円~ でも飛ぶように売れていたのである。一丁目にいるようなタチンボや客引きもいない。ギラギラした看板や、店の宣伝アナウンスもない。

品のある落ち着いた静かなざわめきだけである。

街に灯るネオンや渋滞しているタクシーのヘッドライトでさえ上品に感じたものだ。

今みたいに沢山のホストクラブはなかった。

そんな中に黒地に白抜きの筆文字で『喫茶 シャレード』と書かれた看板の店があった。

そこに僕の中学からの幼馴染の南秀司が働いていたのだ。ボスと呼ばれる人と三つ、四つ年上の先輩達とで作ったパチンコのゴト師グループの中に彼はいた。ウィークリーマンションを根城にして日本中を遠征していたのだ。

歌舞伎町のポーカーゲームの大流行にボスが目をつけ、グループのみんなが歌舞伎町に留まり、その店で働いていたのだ。

僕はこの店によく遊びに行っていた。

地下一階にこの店はある。幅の広い店へと続く階段は、淡いグリーンの下地に赤や黄色の花柄の模様をあしらった絨毯が敷き詰められている。

階段の踊り場の天井には大きくて立派なシャンデリアが掛けられている。

そのシャンデリアにはいろいろな角度からライトが当てられキラキラ輝いているのが通りからも見える。その踊り場には大きな鏡が張り付けてあった。僕はこの店に顔を出すとき階段を二、三歩降りてしゃがみこみ、その鏡を必ず覗くのである。

この店は軍隊みたいでボスが店にいるときは、スタッフは客がゼロでも直立不動でいなければならない。店内には、いつも七人くらいのスタッフがいる。踊り場の鏡に映り込むスタッフが立っていると、僕は日を改める。ボスがいるからだ。

その日はスタッフが座っていたのでボスはいない。

自動ドアを開け中に入ると、右側に六人がけくらいのL字の淡いグリーンのソファーがある。ゲーム機は二十台近くある。店の中にも三つ大きなシャンデリアが掛けられていた。壁には一面鏡が貼られその上から木でできた茶色の縦格子を全面にはめ込んだおしゃれな感じの店だ。ゲーム喫茶の中でも大箱店である。

僕はしょっちゅうこの店に遊びに行っていたので、中で働くスタッフとも顔見知りというか友達みたいなものであった。入口の六人がけのソファアがリストである。責任者が座る席だ。店長と秀司が座っていた。

「おつかれー哲。なんか飲むかい?」

白のワイシャツに紺のネクタイ、黒のスラックスに黒のスリッパ。この店の制服である。店長に声を掛けられ、僕もそこに座った。

「おつかれです。アイスコーヒーお願いします」

僕の注文を店長はホールのスタッフに伝えた。

「今日は休み?保ちゃんのビデオの話、進んどるの?」

秀司は興味津々で身を乗り出しながら僕に聞いてきた。

保彦と秀司も幼馴染である。以前に「保彦から金を借りられたらビデオ屋をやる」、という話を秀司にしたことがあった。保彦は「歌舞伎町はやっぱ、すげぇな。そんなに儲かるんなら金は用意するよ。哲也、頑張ってくれよ。二人で金儲けしようや」と気持ちよくお金を出してくれたのだ。

だが、そのビデオ屋の開業資金として借りた百万円の八十万円を、僕は一晩でポーカーゲームで負けてしまったのである。

小柴さんから紹介された西新宿のビデオの卸元の社長に開業資金として用意したお金を使ってしまったと相談をした。それならと大久保駅の南口から少し歩いた所にある二階建ての木造アパートがあるという。築五十年以上、四畳半一間、共同トイレ。幽霊が出そうな、傾きかけた古ぼけたアパートを敷金礼金なしで八万円なら貸せると言われた。

――八万……

本来なら三万もしないであろうし、そもそも人が住めるのか?というくらいの建物である。

しっかり足元を見られた金額だが背に腹は変えられない。保彦には、裏ビデオ屋の開業資金として借りた金である。ビデオ屋は絶対やらなければいけない。

震度二の地震でスチールラックの本棚は倒れ、並べてあるビデオがバタバタとズレ落ちてくる建物である。最初にビデオの話を秀司にした時に、秀司から自分も入れて欲しいと言われた。僕は取り分が二分の一から三分の一になるのは、おいしくないと秀司のお願いを断った経緯がある。しかし、この状況だ。保彦からお金は借りられたが、一晩でゲームに溶かし開業できない現状の説明を秀司にした。

「秀司……この前は断ったんやけどさぁ、ビデオの話に乗ってくれんかな? 」

僕の話にウケまくっていた店長が、秀司より先に口を開いた。

「哲、おまえ、ハチャメチャで面白い奴やって秀から聞いとるけど、やっちまったんやな!面白れぇ!秀に話を持って来るなら中途半端に二十万なんか残さずに全部いっちゃえばよかったやろ、その二十万で逆転できたかも知れないぜ。八十万も百万も変わらんやろ」

今までのビデオ屋開業の話の流れを知っている店長は手を叩いて大笑いしている。

この店長というのは、地元の先輩であり、ゴト師グループのリーダーでもある人だ。

地元では、極悪兄弟で有名な人物で兄弟の『兄』のほうだから、仲間からは『アニ』と呼ばれていた。

「ええよ。ビデオ屋はええ話やと思うしな。やけど、哲らしいな。手を付けたらあかん金やろ。まぁ、おまえらしいといえば、おまえらしいけどな。アニの言う通り全部いったったら良かったのに。だけど、保ちゃんはええんか?二人でやるって話なんやろ?」

この店長と秀司の博打の打ち方はえぐい。百万全部いけ!いくときは、全部いけ!と言われるとは思わなかった。

「――保ちゃんには、時期を見て俺から話すわ」

一度僕の方から蹴った話を、こんなムシのいい話を秀司は笑顔で一緒にやろうといってくれた。僕は気恥しさでいっぱいになり、目の前のテーブルに置いてあるアイスコーヒーのストローを抜いて、グラスごと一気に飲み干した。

僕の身体は自己嫌悪の塊になって苦笑いひとつ、することさえできなかった。

二つ返事で、笑顔で話に乗ってくれた秀司、二つ返事で、笑顔で金を出してくれた保彦。

自己嫌悪の塊が、とぼとぼと秀司の店を後にする。

自己嫌悪の塊が、アスファルトを見つめたまま、深いため息をひとつ。

自己嫌悪の塊が、二人の笑顔に手を合わせる。申し訳ないっ!と。

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