第14話

 1998年、僕はボッタクリヘルスに勤めながら裏ビデオ屋も始めていた。

この頃、歌舞伎町の中では裏ビデオ屋も大量発生していた。VHSテープ一本一万五千円。二本セットで二万円である。もちろんモザイクのないアダルトビデオだ。

この当時の歌舞伎町の中では、値段が均一にされていて高く売っても安く売ってもいけないというルールがあった。ある力のある組織が決めたルールである。

客はどの店に入っても値段は同じであることを知る。

そうすると画質にこだわる店や、パッケージのコピーまでしっかり製造して常連さんを増やそうと努力している店もあった。今ではネットで簡単に見られるものだが、当時は飛ぶように売れたのだ。信じられないような話だが、十坪もないような狭い店で一日三十万、五十万円と売る店もザラにあった。

僕の働いていたボッタクリヘルスは、向かいもビデオ屋、斜め前もビデオ屋。

隣のやきとり屋を挟んでまたビデオ屋。そんな環境の中で僕は働いていた。

仕事にも十分慣れてきた僕は、狭いボッタクリのヘルスの店内にいることは少なく、ほとんど店の前あたりでビデオ屋の店員と雑談をするようになっていた。

「腹立つわぁ。瀬野君さぁ、今、うちの店から出た客見た?あいつ、二時間くらい店にいてさ。パッケージだけずーっと見てるんだよ。はぁはぁ言いながらさ。

客一人でもいたら外に出られないしさ。

『商品お決まりですか?』って聞いても、はぁはぁ言いながらニヤニヤしててよぉ。

で、帰っちゃうんだぜ。ムカツクわぁ。買う気ねぇなら来るなよな」

当時のビデオ屋の店内には『オレンジ通信』とか『ビデオ・ザ・ワールド』というエロビデオ雑誌がカタログ替わりに置かれていた。

人気作品はパッケージも添えて箱だけ並べられていた。

話し掛けてきたのは、僕の働いている店の向かいにあるビデオ屋の店長の小柴さんだ。四十代半ばくらいで、少し髪が禿げ上がった頭と、はちきれんばかりのお腹。

二重顎のまんまるの顔に、掛けている眼鏡の銀色のフレームが痛いくらいコメカミに食い込んでいるのが特徴的な人だ。

サイズの合っていない、ピチピチの白のワイシャツから乳首が透けていることを僕が教えても「わざと見せてるんだよ、見せつけてるんだよ!」と、ゲラゲラ笑っている面白い人だ。

「見ました、見ました。二時間もいたんですか?パッケージの中の写真が動くわけでもあるまいし。飽きないものなんですかね。しかも、買わずに帰るなんてたまんないですね」

他のビデオの店の従業員達も、「うん、うん」と小柴さんの話にうなづきながら笑っている。

「マニアなんだよ、マニア。ムカツクけどマニアをうまく捕まえるとおいしいんだよ。収集癖もあるんだろうけど、すげぇ買ってくれるんだよ」

「――マニアですかぁ。どんくらい買って行くんですか?」

「個人はともかく昨日なんかさ、八十万だよ、八十万、一日の売上が。売上のいい日、悪い日はあっても月に二千万以下はないよ。だから昨日は大入り五千円貰ったよ。売上が五十万超えたからね。百万円超えると一万円貰えるんだけどね」

こんな十五坪ちょっとの広さで内装もなにもしていない倉庫みたいなところで、店内で働く店員二人と注文が入ったら店にビデオを届けにくる店員二人、店が摘発された時にオーナーの代わりに逮捕される名義人の五人で二千万円だ。

ボッタクリみたいに、客ともめることもない。

ただボッタクリの店は警察が来ても注意や始末書で済むのだが(民事なので警察官は立ち会うが、お店とお客さんで解決してください、というスタンス)、裏ビデオは一発で逮捕である。

この一発で逮捕される業種が当時は派手な看板を出して、至るところで昼間から堂々と営業していたのである。

「瀬野君さ、裏ビデオ屋すげぇ儲かるよ。やればいいじゃん。歌舞伎町じゃできないけどさ。これ見てみな」

小柴さんから渡されたのは夕刊フジや夕刊ゲンダイである。三行広告に『ビデオ一本八千円』だけの広告である。僕は、東スポは見ても、夕刊フジやゲンダイは見ることがなかった。

「なんですか?これ」

たぶん、なにも知らない人の感想はこれだ。

「裏ビデオだよ。一本、歌舞伎町の半値だぜ。品物は見たことがないからわかんないけどさ。一本八千円ならボロ儲けだよ。こんなビデオ、生テープ代しかかかんないんだから」

「へぇーこれ裏ビデオのことなんですか?」

僕は、夕刊紙をしげしげと見ていた。この当時の夕刊紙やスポーツ新聞の三行広告はとても面白かった。求人欄にも、すごい量の三行広告があった。

そんな三行広告のちょっとした話がある。

僕が十七歳の時の夏の話だ。



 「おい、哲也。この『海 九千円上』とか、『桃 七千円上』とかって、なんやろなぁ?」

喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、スポーツ新聞を保彦は見ていた。

保彦というのは、幼馴染の安住保彦である。彼は、シンガーになるのが夢で同じ田舎から上京してきていた。練馬の江古田マーキーというライブハウスや新宿、渋谷のライブハウスで活動していた。

僕は自分が目にしている雑誌を椅子に置き、彼の見ている新聞を手にした。

「なんやろなぁ?海って書いてあるぐらいだから海辺なんやろうな。海水浴の監視員とかやないか?監視員で九千円ならええなぁ。水着の女の子もウジャウジャいそうやしな。夏の海のバイトかーええなぁー」

「海の監視員か!ええバイトやな。可愛い女の子に出会えるチャンス!それで一日、九千円ももらえるんか?海パン一丁になるなら筋トレせなあかんな、せめて上半身だけでも。夏のバカンス!夏のバイトはやっぱり海やな!早くいきてぇなー!」

無職の十七歳、上京したての僕たちは、この求人広告に、大いに盛り上がっていた。『海 九千円上』という求人広告を海の監視員だ、とばかり僕達は思い込んでいたのだ。

さっそく期待に胸を膨らませ、新聞に書いてある電話番号に連絡をした。面接の申し込みの電話をしたら、小田原まで来てくれとのことだった。僕たちは、東京から小田原に向かった。小田原駅からの道案内をされて辿り着いた場所は、セミの鳴き声しか聞こえてこない、畑に囲まれた中にポツンと建つ赤錆の目立つトタン屋根、ボロボロの木造プレハブ小屋だった。

古びた木製の玄関の引き戸は開けると、ギギッギと音がするほどだ。

もちろんエアコンなんて気の利いたものなどなく、雑巾の生乾きのような臭いのする生ぬるい空気がどんよりと立ち込めている。

玄関から一歩足を踏み入れると、薄汚れたプラスチック製の簡単な下駄箱がある。

その上には代紋がしっかりと入ったカレンダーが、これ見よがしに貼ってある。

僕たちの正面には驚くほど大きな熊手が掛けてあった。

このあたりから、『水着の似合う可愛い女の子と出会える、僕らが胸ふくらませてやってきた海のアルバイト』ではないのだろうなぁ、と、なんとなく理解はしてきていた。玄関から小上がりの引き戸は無防備に開いており、中は丸見えだ。

シミだらけの畳敷、鰻の寝床のような橫に長い二十畳くらいの部屋だ。右隅にはあまり綺麗ではない布団が乱雑に山積みにされている。

時間の経過で変色したベニヤ板の壁には、毛筆で書かれた『喧嘩厳禁』『私語禁止』『整理整頓』『時間厳守』『寝たばこ禁止』といういろいろな注意書きが、至る所に貼られていた。

天井部分のむき出したままの金属と、左淵にはキッチンが見える。

シマシマのトランクスにヨレヨレのランニングシャツを着た、手首から足首まで全身刺青を入れたスキンヘッドのヒグマのような大男がベコベコにへこんだ寸胴鍋でカレーを作っている最中だった。カレーのいい匂いがしてきた。

僕は、形のいびつなベコべコにへこんだ寸胴鍋に目が行ってしょうがなかった。

あんな頑丈そうな寸胴鍋をどうすると、あそこまでベコベコにできるのだろう?

あんなに形の変わった鍋でも料理をするぶんには問題ないんだなぁ、と寸胴鍋のことが、気になってしょうがなかった。

なんとなく、この状況には察しがついてはいたのだが、来てしまったのでしょうがない。

「 ――すいません、先ほど面接の件で電話した者ですが」

僕達は玄関から、そのヒグマのような全身刺青の大男に声を掛けた。大男はカレー作りに夢中なのか、こちらを振り返ることもない。聞こえてないのか?と思い、もう一度声をかけた。

今度は気が付いてくれたのだが、振り返ることもなく、「おお、電話の人かい?親分は今、浅草に出掛けているんだよ。夕方には戻られるから出直してくれねぇか」

独り言みたいに呟くだけである。

わざわざ東京から来たのに、ぶっきら棒にもほどがある。

――親分……浅草……

背中で話す刺青男を僕たちは、ただただ見ていた。

僕は保彦と、カレーのいい匂いが漂う地面が土のままの小汚い玄関で、無言のまましばらく顔を見合わせていた。

保彦は、あきれ果てた先に笑いがこみあげてくるようなニヤついた顔で、僕を見ている。視線を玄関の引き戸に向けてここから出るぞ、という合図もあわせて。

「頼むわぁ!なんなんやぁ!あぶねぇなぁ!出直すわけねぇやろ!テキヤのタコ部屋じゃねぇか。可愛い女の子に出会えるんじゃなくて、ツルッパゲの全身刺青男に出会うバイトじゃねーか!」

保彦は大笑いしながら、逃げるように走り出した。 

「あの貼り紙を見ると、ベコべコにへこんだ寸胴鍋を振り回して、夜な夜な殴り合いの喧嘩でもしとるんやろうな。こんなところで働いたら、夏のバカンスは塀の向こうで過ごさなあかんようになるわな!」

素敵な女の子との出会いから、一転、ヒグマのような全身刺青男との出会い。

大笑いしながら、真夏の太陽が照りつける海岸通りを二人歩いた。

勝手に『海の監視のアルバイト』と思い込んでいた僕たちも悪いが、テキヤのタコ部屋はないだろう。

あれだけ海のバイトへ期待に胸を膨らませ電車に乗って、わざわざ東京から来たのに「騙された!」と怒ることもなく、僕たちは笑いながら小田原の駅へ向かった。

今ではネットで検索をすれば東京にいてもわかる情報も、当時は電車で小田原まで行かなければわからなかったのだ。

僕らだけではなくこの手の求人はいっぱいあった。いろいろな人が新聞や求人誌を見て応募していたと思う。今なら騙されたとか詐欺だ!と、この求人を掲載している新聞社も問題になるだろう。ネットも炎上するしクレームも凄いと思う。

でも、この時代の人達は、僕達も含めて笑って済ませてしまうのだ。

よく思うことがある。時代が違うと言われればそれまでだが、この頃の世間のおおらかさはどこからきているのだろうか。

今では夏休みの子供のラジオ体操がうるさいというクレームや、除夜の鐘の音がうるさい、とクレームの嵐だというのに。

あの頃の日本人と今の日本人のなにが違うのだろうか。


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