第7話

「哲ちゃん、どうだ?できそうか?」

ヘビースモーカーの高橋さんは、タバコの箱を開けながら、やさしい顔で僕に聞いてきた。

「いやぁ、すごい緊張しましたよ。ところで、この店十年もやってるんですか?」

「やってるわけないだろう。まだ、一年くらいなんじゃないかなぁ。十年の老舗と言ったのはあの客若いだろ?十年もやってる店だったら、先にシステムを聞かなかった自分が悪かったのか?と勝手に思ってくれて交番に行かないかもしれないからね。

絶対に一万円以上払わないという客だと、女の子だけのやり取りじゃ納まらない時があるんだよ。客は頭に血が登っちゃってるしな」

高橋さんは、笑いながらタバコのフィルターをテーブルに軽く二度三度コンコンと落とした。

「まず、客の様子をよく見ること。それと客の言った言葉は絶対に聞き逃さないことだな。客は興奮してるから、余計な一言を言っちゃうことがあるんだ。料金と関係ない話でもその言葉を取り上げて絶対に謝罪させろ。

謝らせるせることで、こっちが有利になるからね。それと、本当に一万円しかない客、そこは怒鳴りつけちゃいけない。金にならないんだから。一万円のサービスはこうだと優しく説明してあげる。こっちは仕事なんだ。大声を張り上げていても頭の中は冷静でいなきゃだめだよ」

いつの間にか、リカさんも横にいて大きく頷きながら高橋さんの話を聞いていた。 

高橋さんは続けた。

「男子従業員が客から金を取るときは、客の持ってる金を全部取っちゃだめだよ。

女の子が取る場合は、客もいい気になって自分で納得して払ってるから大丈夫なんだけど、俺たちが取る場合は、客を見ながら落としどころを探るんだ。

さっき一万五千円と言ったのは、ミクから二万持ってるって聞いたからさ。

二万持ってるからって、全部取り上げちゃだめだよ。少しは残してやらないと電車にも乗れないし、帰りにメシも食えやしない。

あの客が五万あるって話なら、四万五千円になってるけどな。

あとな、外で客とやりあうときは、階段を何個か上に登ったほうがいい。目線は上から見下ろす感じのほうがいい。さっき、結構階段上がっただろ?俺チビだからさ」

「なるほどねぇ、奥が深いのねぇ~ボッタクリも」

腕を組み右手を顎に押し当てながら、芝居がかったリカさんの言い回しに、僕も高橋さんもリカさんも声を出して笑った。

――日給日払い一万円。歌舞伎町のボッタクリヘルス。

なぜか居心地が悪くない。

テレビのニュースや、『警視庁24時』なんていう番組に出てくる店の、その中に僕はいる。テレビを見ながら、メチャクチャな奴らだなとか、おっかない店だなぁと感想を漏らしていた「僕が」である。別に不良少年でもなければヤンキーでもない「僕が」である。ここから、この街のとんでもなくイカレた住人と、日々起こるありえないような出来事にどんどん引き寄せられていくのだ。

だが、このあと三十年以上もこの街で生きていくとは、想像すらしていなかった。



 働き始めて半年くらいのことだ。

仕事にも慣れリストの中で、高橋さんと僕はリカさんのダイエットの話を聞かされていた。とんかつ、天ぷらは衣をはがしてから食べるというダイエットの話だ。

高橋さんは、そんな天ぷらやとんかつなんて食いたくねぇや、と話が盛り上がっていた。そんなとき、店の電話がなった。高橋さんが電話に出た。口数も少なく、怪訝な顔つきでうなづきながら、すぐに受話器を下ろした。

「中ちゃん(夜の店長)がロッテリアにいて、俺に話があるみたいだ。ちょっと行ってくるよ。帰りに、なんか買ってこようか?」

高橋さんが上着を羽織、出かける準備をしながら僕とリカさんに尋ねた。

「僕は、アイスコーヒーお願いします」

「私ねぇ、コーラとダブルチーズバーガーとポテト」

「なんだよ、それ。さっきまでのとんかつの話はどこいったんだよ?ダイエット中じゃねぇーのかよ」

上着に袖を通しながら高橋さんが笑う。

「大丈夫!明日から頑張る!」 

腰に手を当て、胸を張るリカさんの返事に僕も高橋さんも笑った。

しばらくして高橋さんが戻ってきた。浮かない顔で上着をハンガーに掛けながら赤い丸椅子を引き寄せて座った。

高橋さんが戻ってきたのに気がついたリカさんが、よだれをふく仕草をしながらリストに入ってきた。コーラとダブルチーズバーガーとポテトの入った袋をリカさんに、僕にアイスコーヒーを手渡した。

「中ちゃんとなんの話だったの?」

ニコニコした顔でハンバーガーの包を開けながら、リカさんが高橋さんに聞いた。

「江田っちが飛んだんだってよ。で、この店、しばらく休みにするらしいんだ。その後、中ちゃんがこの店を契約し直して営業するみたいだ」

高橋さんは太ももに両手を置いて深くため息をついた。江田っちとは、この店の社長のことだ。僕は顔を見たことはないが、会話の中で江田っちのことは聞いたことがあった。池袋に出したカフェバーの失敗、上野に出したキャバクラの失敗までは高橋さんも知っていたらしい。

「はぁ?江田っちが飛んだ?この店、調子いいじゃん」

ハンバーガーを頬張りながら、瞬きの回数が一気に増えたリカさんが言った。

「ああ、月に千五百万以上は江田っちにいってるよ」

高橋さんは当たり前のように答えた。

――千五百万?

月の利益なんて考えたことなんてなかった僕だが、この店は年中無休だ。

一日五十万で月千五百万だ。

暇だと言われた、早番の僕らの時間帯でもいいときは三十万くらいになる。

夜八時~翌朝五時までが遅番だ。歌舞伎町はもちろん夜がメインである。遅番は、ほぼ毎日忙しいみたいだ。リカさんは江田っちとも付き合いがあるようで、違う商売に手を出して失敗していたのは聞いたことがあるらしかった。

「池袋、上野で失敗したあと、結構な金を使って渋谷にカフェバーを開けたらしいんだ。この街の人間は、裏で金を持つとみんな表の商売をやりたがるんだよ。

ことごく失敗するけどな。江田っちもおんなじさ。おとなしくこれだけやってればいいものを。酒も女も好きだけど、江田っちは博打が一番好きだからな。

最後は競馬のノミ屋に鉄砲でうっちゃったらしいんだよ」

「鉄砲ってなんですか?」

僕は、高橋さんに聞いた。

「ん?鉄砲?払う金がないのに、馬券をノミ屋にいれちゃうのさ。口張りだから、いくらでも入れられるしな。」

個室が三つしかなくて、こんな薄汚れた狭い店舗で、月千五百万円以上の純利益。

株価も新聞もニュースも見ていない、もちろん日本の経済状態なんて気にもしていなかった僕だが、おそらくバブルの入口だったのだろう。

人と金の竜巻が歌舞伎町の中で猛烈な風を吹かせ渦巻いていた。

「――バカだね、江田っち」

リカさんが、ポツンとつぶやいた。

「歌舞伎町のアングラ稼業で、金を持ったままいなくなった奴なんて見たことねぇもんな。みんな、表の仕事をやり出したり、間に入ってる奴に食われたり、ヤクザにいいようにされたりな。一文無しでこの街に来て、一文無しでみんなこの街を去ってくのさ。今日で、早番は解散だ。リカ、哲ちゃん、これからどうする?俺は、いい機会だし別の街で自分で商売でもしようと思う。だからこの店は辞めるよ」

――社長が飛ぶ。従業員に、なにも告げずにいきなりいなくなる。

無責任過ぎないか?ものすごい違和感を、僕は感じた。

でもこの街のアンダーグランドの世界では、それほど驚くことでもないらしい。

このアングラな世界では未来がわからないのじゃなくて、明日さえもわからないということだ。そんな世界で生きていくのには、向き不向きがあると思った。

右も左もわからない勢いだけのクソガキか、超ポジティブ思考のイカレタ大人じゃないと、この街のアンダーグランドな世界での暮らしは成立しないんじゃないかと思った。

「――私も辞める。ボッタクリにも飽きたし。お金も貯まったし。なんか、資格でも取ろうかな」

リカさんの声に、高橋さんが頷いた。

「リカが初めてだよ。一文無しでこの街に来て、しっかり金残してこの街を去る奴は。案外、金無くなるとまた、戻って来ちゃうんだけどな。哲ちゃんはどうする?歌舞伎町で働くなら仕事を紹介するよ」

僕は、アメリカンドリームじゃなく、歌舞伎町ドリームみたいなものを感じていた。

一発当てれば、ものすごいお金が稼げるんじゃないかと。

どんどんこの街に興味が湧いてきた。

アングラな世界で、一攫千金を夢見る僕がいる。

「紹介してください。お願いします」


ここから僕の、履歴書も身分証も一度も出すことがない生活が始まるのである。

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