第5話
翌日、初めての出勤である。
『眠らない街』といわれるこの街のビルの隙間から見える真っ青な空と、輪郭のしっかりとついた、もくもくとした真っ白な入道雲は健康的過ぎて、なんだかこの街には不釣り合いな気がする。
お昼の十一時半、薄汚れたシャッターが降りた店の前に僕は立っていた。
店の向かいにはロッテリアがある。僕が立っていると、そこから高橋さんが出てきた。ド派手な青や白や緑で夏の海を柄にしたアロハシャツに白のスラックス、白のエナメルの靴といういでたちで。
「哲ちゃん、おはよう。マジメだね。時間ピッタリじゃん。はい、これ」
高橋さんはロッテリア夏のキャンペーン中の百円バニラシェイクを僕に手渡した。
そして、ポケットから鍵を出してシャッターを開けた。
「はい、これ店のシャッターの鍵ね。明日から哲ちゃんに店開けてもらうからさ」
幅七十センチくらいの狭い急な階段を降りて地下にある店のドアを開けた。
一歩足を踏み入れると、ホコリのにおいとタバコのにおいが鼻につく。
地下にある店ならではな感じだ。
電気のスイッチの場所や簡単な掃除の仕方を教えてもらい、僕は黒のズボンに白のワイシャツに着替えた。女の子達も出勤してきた。
昨日、顔を見た女の子二人だ。
僕は、高橋さんの橫で仕事を覚えるよう言われた。
料金のプレートが貼ってある小窓の裏側には、リストとよばれる小さな部屋がある。大人二人が肩を並べて座れるくらいの小さな部屋だ。
テーブルの上には日報が置いてあり棚の上には有線のチューナーがある。そこに高橋さんが座っている黒い背もたれのある椅子があり、その横に赤い丸椅子を置かせてもらい僕も座った。
基本、その小窓から階段を覗いているのがまずは仕事みたいだ。
この急な階段を降りてくると途中からお客さんの足が見える。足が見えてきたら「いらっしゃいませ」とその小窓越しに入場料の一万円を戴くというものだ。
女の子二人は、リカさんとミクさんという名前で働いていた。
色白で肉付きのいい色気のある、黒髪をピンクのリボンでまとめた、よく笑うリアクションの大きなリカさん。
ヤンキー風な茶髪に、すらっと背の高い華奢な目鼻がくっきりと整った気が強そうな美人なミクさん。二人とも二十二、三歳くらいだ。
高橋さんと二人で、その小窓があるリストと呼ばれる部屋にいた。
ボールペンをクルクル回しながら高橋さんが僕に言った。
「いいかい、哲ちゃん。歌舞伎町じゃあ時間と金にキッチリしてる奴は必ず出世するから。一般社会じゃあたりまえの事なんだけど、この街じゃ少ないんだよ、そんな奴。時間や金にいい加減な奴ばっかりが多くてね。女だってそうさ。時間や金にだらしない奴が多いんだ」
このリストのドアを開けて、ミクさんとリカさんも店長の話を聞いていた。
「店長!私達は時間にキッチリしてるよね。哲ちゃんもちゃんと来たね。来ないかも?って、リカと昨日、話してたんだよ」
ミクさんが話に入ってきた。
「わかんないよぉ~ 明日、飛んじゃうかもしれないし。金に詰まったら社長だって簡単に飛んじゃうんだからさ。哲ちゃん!お願い!飛ばないでね!」
僕に両手を合わせ、拝むようなポーズでリカさんが笑った。
高橋さんもミクさんも笑っていた。
「あのぉ、飛ぶってなんですか?」
僕は聞いた。昨日から気になっていた言葉だ。
「飛ぶ、の意味?まぁ、ばっくれるとか、無断で来なくなるとかって意味だよ。日払いだから嫌なことがあると、みんなすぐに来なくなるんだよ。まぁ、こんなお店だからしょうがないっていえばしょうがないけどね」
ミクさんが意味深な笑みを浮かべ、教えてくれた。すると、トントントンと階段を降りてくる音がした。
「客だ!」
高橋さんは、それまで組んでいた足をほどき、立ち上がり棚にある有線のボリュームをマックスにした。壁にもたれかかるように座っている僕の頭上には、店内の照明の調光のツマミがある。それに手を伸ばし照明の明るさもサッと落とした。
そして、リカさんとミクさんが立っている方を振り返り、
「リカから行くぞ。三号室だ」
「はぁーい!行ってくるぜ!」
リカさんは、こぶしを頬に押し当て大袈裟なポーズを作って、笑いながら小走りで三号室に向かった。外にいるお客さんからは小窓しか見えず、僕や高橋さんの姿は見えない。お客さんからは、小窓から見える高橋さんの手と声が聞こえるだけである。
「いらっしゃいませ。一万円になります」
高橋さんは中腰状態で小窓に向かって話しかけている。
こちらからもお客さんの姿は見えない。
高橋さんは、お客さんから一万円を貰うと準備のできているリカさんに、ドアを開けて案内しろ、という指で作ったOKサインをドア越しに出した。
小窓の下に小さなテーブルがある。
そこにはバインダーがあり、A4サイズの日報が挟んである。日付、曜日、出勤した女の子の名前、客の来店時間、接客した女の子の名前、使用した部屋の番号、客から受け取った金額等を書き込む。
高橋さんがそれらを書き込んでいると、
「いらっしゃいませぇ~お部屋にご案内しますねぇ」
リカさんの鼻にかかった甘えるような声がした。さっきまでの話している声とは全然違うじゃん、と僕は少し笑った。
「哲ちゃん、まず客が来たらボリュームはマックスね。明かりも暗くする。で、このあたりに立ってて。リカが金を個室の天井から投げるから、拾ってリストに持ってきて」
――お金を投げてくる?リカさんが?
よくわからないまま、部屋まで続く廊下の死角部分に僕は立った。
この一号室、二号室、三号室、大小はあるが、だいたいシングルベットのマットレスが敷いてあるだけだ。天井部分は空いている。
リカさんの笑い声や色っぽい声が聞こえてくる。
「まだ、だめぇ~いやぁ~ん。まだまだ、だめだってばぁ」
そんな声が聞こえながら、三千円とか五千円とかをリカさんが天井部分から投げてくるのだ。僕は腰をかがめ、そのお金を拾っては、リストにいる高橋さんに届けた。
三千円だったり、五千円だったり、二万円だったり……。
合わせると六万円にもなっていた。
――げっ!なんだよ、この店。ボッタクリじゃん!……マジかよぉ
テレビのニュースなんかで見たことがある、「タケノコはぎ」である。
お客さんは、最初に一万円を払って部屋に入る。入ってから女の子の方から、キャミソールの上から触るのは五千円、ブラジャーを取るのは一万円、全部脱いじゃうなら三万円など、なんでも料金に加算していくのだ。
当然、お金のある人、ない人もいる。接客している女の子のセンスやトーク力がものすごく大きい。
お客さんの懐具合や性格を見ながら料金を付けていくので、金額はその時々でマチマチである。みんながみんな、個室の天井からお金を投げてくる訳ではない。
リストまでお金を届けに来る子もいる。
リカさん曰く、入店時から必ず客のどこかに触れておく、お金をリストまで届けに行く際、客を一人にして考えさせないように、と部屋から一歩も出ないで一人の客との接客を完結させる。最初の店でこのやり方を教わったという。
彼女は十六歳からこの仕事をしているという。若いのにベテランさんでもある。
この頃の歌舞伎町には、十六歳、十七歳でボッタクリバーやボッタクリヘルスによく未成年の子が働いていた。
僕が面接を受けたように、年齢も住所も名前もなにも聞かれない、未成年であってもその日から仕事ができてしまう街であった。
通名(本名ではなく偽名)で働いている人も多かった。
あの狭い部屋でなにが起きているのかわからないが、一人で三十万くらい使っていく客もいる。逆に、一万円しか持っていない客もいる。
ただ、三十万使っても三万円使っても最後は手でヌクだけである。
それ以上のことは、彼女たちはしない。リカさん曰く、三万円以下は少し触らせておしゃべりだけして帰すという。
そんな営業なのでお客さんとは揉めてばかりだ。あたりまえの話だ。
客が入ると店内に流れる有線の音量が爆音になる理由もやっとわかった。
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