第2話

 初めてのアルバイト先が決まった。新宿駅東口から新宿通り、靖国通りを渡ると左側に毎日のようにコロナ関連のニュースのトップ画面に映る『歌舞伎町一番街』という赤いアーチがある。

そこを通り抜けてしばらく歩くと、右にコマ劇場(今の東宝シネマ)、左の角にタバコ屋があった。その横には、当時何軒もディスコが入っていた東亜会館がある。

歌舞伎町のど真ん中である。

その近くに二十四時間営業の喫茶店『珈琲倶楽部』があった。地下にレンタルルームがあり見た目は至って普通のコーヒーショップだ。

その店の二十三時~翌朝七時の深夜帯(遅番)が僕の勤務時間であった。

深夜勤務のアルバイトのメンバーは歌手志望や役者志望、芸人志望、バンドマン、竹の子族にはまっている大学生。全員、地方出身者である。

田舎なんかにいちゃいけない!東京で一旗上げるんだ!東京が夢を叶えてくれる!

そんな熱い思いの若者達が集っていたバイト先でもあった。

一番街通りで二十四時間営業の喫茶店といえば、オレンジがかった黄色に青い文字で書かれた『マイアミ』、黒い文字で書かれた『上高地』という店があった。

平日の深夜でも満席状態だ。深夜料金というものを払って一杯千円くらいのコーヒーで寝ながら始発を待つ人、深夜に友だちと待ち合わせをしている人、風営法前なので、深夜からディスコに行こうと気合を入れてお化粧に励んでいる女の子たち。

二つの店のお客さんはこんな感じなのだが、僕の深夜のバイト先のお客さんと言えば、地下にレンタルルームがあるからなのか、ヤクザ、引き屋(キャッチ)、街角に立っていて酔っぱらいを捕まえ、あわよくば金を抜き取るオカマちゃん。

夏休み冬休みになれば、明け方五時くらいに新宿警察の少年課が家出少年少女に声掛けにやって来る。

かなりキャラの濃い常連さんで深夜は満席状態だった。

オカマちゃんに至っては、私物を椅子に置きっぱなしにして座席を予約したまま外に出掛けたり、戻ってきたりしていた。

いわば、オカマちゃんたちの戦闘基地みたいな店である。

明け方になれば、うっすら頬や口の周りが髭で青々となる、そんなオカマちゃん達の溜まり場みたいな喫茶店であった。

彼女?彼らは、酔っ払いのオジサンを捕まえてはレンタルルームや、この店の他のお客さんから見えない死角になる一番奥の座席に連れ込んでいく。

ウニャウニャしている酔っ払いに「大丈夫ぅ?お水もらう?」と優しい口調で寄り添いながら、酔っ払いの身体を触りまくり財布から金を抜いてしまうのだ。

そして、金を抜かれた酔っ払いが深い眠りについている間に、この店の一番早いモーニングサービスの朝食を笑顔で済ませ、オカマちゃん達の一日が終る。

毎日誰かしらのオカマちゃんが、ここで働く僕ら全員にチップを置いていってくれる。「翌朝、あの客が起きたらヨロシクね」という意味あいもある。

灰色のシワだらけのスーツ、突き出した醜い腹、壁にもたれかかって寝ていたので寝癖で後の髪が少し潰れた、だらしない格好の中年のサラリーマンが目を覚ました。

だいたいが目を覚ますと、血相を変え朝の仕込みをしている僕達に怒鳴るように話し掛けてくるのが常だ。

「昨日一緒に来た女知らないか?財布から金が抜かれているんだよ!」

そもそも女じゃないし、僕らにしたら大切な常連さんだし、この客の財布の中身がいくらあったのかも知らないし。

「ご一緒の方、知らないですね」

「すいません、ちょっと僕はその場にいなかったもので」いつもの決まり文句だ。

歌舞伎町の朝はゴミだらけだ。

ゴミ箱の上でカラスとネズミが陽気にコラボでダンスをするダンスィングタイムだ。

酔いから冷め金を抜かれたオジサンは、反省しながら背中を丸めてトボトボ駅に向かうのである。

当時は歌舞伎町一番街通りに限らず、タチンボのオカマちゃん達がいっぱい通りに立っていた。今みたいな綺麗なニューハーフじゃなくて、ごつい女装したおっさんという感じの人ばかりだ。今じゃ職務質問されそうな怪しげな風体なのだが、当時は街の景色に溶け込むような違和感のないものであった。

「お兄さん、もう帰るの?」「いいことしない?安くしとくわ」

フラフラした酔っぱらいに声を掛けるのだ、テレビのコント番組に出てくるような鼻にかかった声で。

「男じゃねぇーか!」「気持ちわりぃんだよ!オカマ!」

と、言い返す酔っ払いもいる。

すると、そのオカマちゃんは女装のおっさんから、ただのおっさんに豹変するのだ。

「なんだ!この野郎!遊ばねぇんだったら早く帰れ!こらっ!」

カツラを被ってフリフリのワンピースを着た不思議な格好をしたおっさんの野太い怒鳴り声が響く。言い返さなきゃいいものを、酔っ払いのオジサンも

「なんだぁ!変な格好しやがって!やるのか?おらっ!」

この頃の一番街通りには、七、八人くらいのオカマちゃんが立っていた。

一番街入口あたり、とんかつ屋の前あたり、上高地という喫茶店の前あたり、と場所も決まっていた。客とオカマちゃんの誰かが揉めている、通行人と誰かが揉めているとわかるとすぐにどこからともなく三、四人のオカマちゃんが集まってくる。

揉め事を止めに来る感じではなく、間違いなく加勢しに集まってくるのだ。

三、四人のオカマちゃんに囲まれ逃げ出す奴、ボコボコされる奴。

馬乗りになってハイヒールで頭を殴られているサラリーマンを見たこともある。

日に一度、週末の深夜だと二、三度見ることもある。

この街で働いていると、たいして珍しい光景ではない。

こんな一番街通りのオカマちゃんたちが、僕が働く深夜喫茶の常連さんでもあった。当時そんなに酒を飲まなかった僕は、酒を飲んで泥酔すると、こんな雑な女装をしているおっさんが本当に女性に見えてくるのか、女性と見間違えるのか?

毎度、オカマちゃんと楽しそうに腕を組んでフラフラ歩いているオジサンを見ると不思議でしょうがなかった。

僕自身がオジサンになった今、酒を毎晩欠かさずに飲むようになった今、いくら泥酔してしまった時でも、あのオカマちゃん達は絶対女性には見えないと思う。

あれがどうして女性に見えるのか。この謎は未だ解けていない。

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