とある冒険者の杞憂悶着

朽木 堕葉

 朝焼けに染まりつつある森林の道すがら、奇妙なものを見つけた。木々を切り拓いた街道の真ん中で。

 頭一つぶんほどの、丸々とした物体が、もぞもぞと揺れ動くさまに──駆け出し・・・・の若き冒険者クルスは、呆気に取られていた。

 乾いた音を伴い一片が崩れ落ちるのを目にして、ようやくそれが魔物の類いの卵であると思い至り、背負っていた長剣を引き抜いた。

 両手で振り下ろした途端、卵の上半分が弾け、クルスの肩がびくっとすくんだ。勢いを失った長剣は、飛び出した小さな顔の頭上で、切っ先を彷徨 さまよわせた。

 生まれ出た魔物が必死に呼吸を繰り返す様子を、クルスは呆然と見下ろす。生まれながらに少量の体毛があり、手足が鉤爪となっていることに着目していた。警戒心からというのではなく、興味を抱いて。無意識的に。

 やがてまぶたを開いた人によく似た魔物が、好奇心を溶かし込んだ光を目に溜めて、自分を見つめ返してくるのに、わけもなくクルスはぎくりとなった。

 魔物は高く澄んだ声で、鳴いた。喜々とした響きは、まさしく産声という感じがする。

「……どうしてお前は、こんなところで生まれ落ちたんだ?」

 長いこと逡巡 しゅんじゅん した果てに、困惑顔でクルスは魔物に呼びかけた。

 答えがあるはずもなく、ちっちゃな魔物が長剣を鉤爪で弄り回しておもちゃにしている合間に、辺りを見回した。

 我が子の窮地に血相を変えた魔物が猛進してくる気配は、どこにもない。秋風に木々が葉をざわめかせるばかりだ。

「孤児、というわけか」

 コイツも……と胸の内で継ぎ足したクルスの総身を、木枯らしが冷たく吹き抜けていった。



「えらく古い夢を見たもんだ……」

 まぶたを開くなり、熟練・・の冒険者クルスがぼやくように言った。

 身じろぐと、安っぽいベッドが悲鳴じみた軋みを上げ、促されるように起床する。

 テーブルを挟み込んでいる木椅子がふたつ。片隅にクローゼットがひとつ。隣り合わせになったベッド。揃いも揃って色褪せた家具が並ぶ、見慣れた安宿の一室の光景を横目に、クルスは廊下に出た。

 一角にある洗面台で顔を洗おうとしたとき、備え付けられた鏡に自分の姿が見えた。

 寝起きの悪さと妙な夢から覚めたのが相まって、コボルト程度なら一瞥するだけで、尻尾を巻いて逃げ出しかねない凶悪な形相が映し出されている。蛇口をひねり、大雑把にバシャバシャと洗い流すと、多少はマシになった気がする。

 どことなく、だらけたような目つきが常なのは致し方ないとしても――引き締まった目鼻立ちは厳めしく、十分に精悍な青年と呼べるだろう。

 口をすすぎ、最後に黒髪を無造作に掻きあげて荒っぽく立たせると、クルスは仮住まいとなって久しい、二階の角部屋へ戻った。

 シャツを簡素な革鎧で覆うと、厚手の革手袋を腕に通してゆく。長剣を背負い、クローゼットから外套を取り出したとき、風が綺麗な歌声を耳に運んできた。部屋に戻り際、ついでに開けていた窓から、クルスは宿の裏手へ目を向けた。

 物置小屋の周囲で、小鳥たちがさえずっているのに混ざり合う後ろ姿があった。

 朝陽を受けて一段と煌めく緋色の長髪が、風に揺れている。おおきな翼と尾羽は、髪より幾分か色濃い朱色だ。

 歌い語らいが終わったのか、小鳥の一団が一斉に飛んでいった。半人半鳥の魔物であるハーピーが、顔を上げて小鳥たちを笑顔で見送る。そこで、別の視線に見下ろされているのに気づいたらしく、

「おはよー! クルスッ」

 小鳥たちにしてみせたものよりも、朗らかな笑みをクルスに差し向けていた。愛嬌のある丸っこい緋色の目を輝かせ、大きく開けた口から八重歯を覗かせて。

 クルスは微かに笑み、片手をひらつかせた。

 そうしながら、思い出していた。十五年だ、と。このハーピーに、フロウと名付けてからの歳月が、それだった。



「どうしたんだい? いつにも増して、物騒なつら して」

 髪も眉毛も口髭も真っ白な宿屋の店主が、クルスの小難しげな表情をちらと見た。クルスが食べ終えて空になった食器を回収し、トレイに積み上げながら。

 酒場を兼ねた宿屋である【睥睨へいげいするサイクロプス】の一階は、朝食時の今、宿泊客以外にも常連客が席を埋めてなかなかに盛況でいる。

「いいのかい? フロウちゃんを放っておいて」

「そのうち飛んでくるだろ。もう、子供じゃないんだ」

 腕を組んで、クルスは応じた。

「といっても、大人でもないんじゃないかねえ。あの娘はまだ」

「俺が旅に出たのは十四のときだ。ひとりで物事を決めていい年頃にはなっているはずだ」

「あの娘に、責任云々のお説教をしようって話かい?」

 店主はトレイのなかからひとつ小皿を摘まみ、へし折る真似をした。これまでにフロウに割られた食器は、数知れない。

「どちらかというと俺の、だ」

 言って、クルスは、一枚の紙切れを懐から取り出して放った。

 店主が慌てて宙で受け取るなり、目を丸くする。

「おい、アンタ。これって……」

「頼む……。預かっておいてくれ。アイツにも話しておく」

「やれやれ。いつもより顔を見せるのが遅いと思えば……」

 紙切れを丸め込んで上着の内側に差し込み、店主は呆れた視線をクルスに投げかけると、客の呼び声に応じて小走りに向かっていった。

 その店主の顔が、はっとなった。騒々しい羽音を聞き取ったらしい。次の瞬間には、開けっ放しの宿の扉をくぐり抜け、

「お腹すいたー!」

 フロウが飛び込んできた。

 翼を折り畳み、ふわりと軽やかに着地する。その拍子に、幾つかの椅子が転倒し、カウンターに置かれていたグラスが転がり落ちたが、今回の被害は微々たるものと言えた。

「コラ! “飛ぶな”って何度言えば……」

 店主が頭を抱えて、ちょっとした災害を毎度巻き起こすハーピーを叱りつける。客たちもざわついていたが、非難の声と面白がる声が、半々といった具合だった。

「“歩くな”って言われたら、マスターだって困るでしょー? それと一緒だよー」

 フロウに反省の素振りはなく、クルスの隣の椅子に座り込む。

 クルスはそれとなく眼で店主に詫び、肩をすくめた。食事代に弁償金を上乗せする、という恒例の合図だ。

「そんなことより――お肉ちょうだいっ!」

 苦笑交じりに、それでいて愛想よく「あいよ」と店主が厨房へ引っ込んでゆくのを見送ると、クルスは隣のフロウに視線を移した。

 袖のないタイトなチュニックを着て、下にはスパッツを穿いている。チュニックは最近になって新調したものだった。胸が窮屈で苦しい、と訴えられて。胸元の林檎並みの一対の膨らみからクルスが感じ取ったのは、子供ではないという確信だ。

 そこから少し上には、首輪が括り付けてあった。その魔物が無害な使い魔であると一目で証明でするものであり――それを注視していると、あらかじめ準備しておいたのか、早くも店主が厨房から出てきた。

 でかでかとした肉を焼いて皿に盛ったものをフロウの前に置くと、より混雑してきた客の対応に回っていった。

 香しい匂いを発散するそれに、フロウが喜色満面でさっそくかぶりつくのを眺めやりつつ、クルスは客のなかにいる冒険者とおぼしき者を探した。

 若いがなかなか良い面構えをしている、と思った男をぐいと親指で示した。

「なあ、アイツ、どう思う?」

「顔は少しイイけど、へなちょこそう」

 フロウが横目で一度だけ見てつまらなそうに答えると、すぐさま興味は目の前のごちそうに絞られていた。

 今度は、屈強そうな髭面の男のほうを見るように、クルスが目線で誘導した。

「あれは?」

「いかつい髭もじゃ。キライ」

 辛辣な即答に、クルスは髭面の男に申し訳ない気持ちが湧きかけた。

 フロウは肉を平らげると、不審を顔に表してきた。

「どうしたの? 今日のクルス……なんか変だよ?」

「いや、なんて言うかだな。お前ももう、大人だ……と俺は思うわけだ」

 クルスは渋りつつ、懐からまた一枚の紙切れを取り出し、テーブル上に広げていった。

 びっしりと文字が書き連ねられたそれにフロウは視線を泳がせ、

「アタシに読めるわけないじゃん」

 頭痛がしてくる前に目を離したようだった。

「読めなくてもいい。お前はこれを持っておけばいいんだ。ここに、空欄があるだろう?」

「うん」

「もし、俺が死んだら、お前が気に入った奴に名前を書いてもらうように頼め。なるだけ愛想良くな。それで、お前は新たにソイツの使い魔となれる」

 しばしフロウは呆然となった。クルスの言葉の意味を、どう受け取っていいのか、わかりかねた顔でいる。

「どういうこと……?」フロウの声は、心なしか震えていた。

「好きに決めていいってことだ。お前の意思で自由に。なんだったら、今すぐにだって、そうし――」

 フロウの翼と一体になった腕が、鋭く空を切り、そこにあった紙切れごとガリッとテーブルの表面を削った。かたわらにあった空の皿が跳ね、どこかで砕ける音が響く。

「……こんなの、いらない」立ち上がり、フロウが高い声を精一杯に低めた。

 テーブルの上を三本に走る鉤爪の痕と、宙を舞う千切れた紙くずを視界に捉えながら、クルスはさらに告げる。

「同じものをマスターに預かってもらった。いざというときは、それ以外でも、相談に乗ってもらえ」

「どうして? アタシ、なにか悪いことした? なら、もうしないようにするから……」

 みるみる悲痛に染まりゆくフロウの顔に、クルスは一抹の罪悪感を抱いた。それで、少しだけ本当のところを、吐露してしまった。

「俺だって、命はひとつしかないんだ。どんな奴だって、死ぬときは死ぬ。……この間みたいにな」

「この間って……あの――」

 以前、ふたりはギルドの依頼である盗賊団と戦っていた。

 盗賊団の頭目はかなりの手練れで、ほとんど相打ちに近いかたちで決着がついた。クルスは半死半生の状態で三日三晩も床にせることになったが、傷は癒え、持ち前のしぶとさでこうして生き長らえている。

「あのとき、俺が死んでいれば……お前は路頭に迷っていたんだ。 あるじがいない魔物がどういう目に遭うのか、お前だってよく知っているだろう? だからお前にはひつ――」

「もういいっ‼」

 フロウが目尻に溜め込んだ涙を振り零して叫んだ。

 それ以上、クルスの言葉を聞くのがたまらない様子で、ハヤブサじみた敏捷性を発揮して酒場から飛び去った。

 ややあって、見世物が幕を下ろしたのを察した客たちの間から、小言や野次が飛び交いはじめた。

「女心がわかっちゃいねえな」

 客たちの総評みたいなことを、訳知り顔で店主が口にした。箒を手早く動かしながら。

「親心は汲み取ってもらえないのか」

 返す言葉が思いつかず、適当にそんなことをクルスは口走った。

「へえ。アンタがそんなにも、おセンチだとはね。意外な一面もあったもんだ」

「……たしかに、らしくないな」

 自嘲が深いシワとなって、クルスの頬に浮かんだ。

「親子がどういうものかすらわからないってのに……。親面してやがる」



 暗く沈んだフロウの顔が、水面に揺らめいている。

 優美な天使像を頂く噴水の前に、フロウはいた。勢いよく飛び出したものの、行く当てがあるわけでもない。疲れてきたところに、たまたま目についた街の広場に降りていたのだった。

 太陽は中天に位置し、昼下がりを迎えている。広場の出店で揚げ芋を買っては食べ歩く親子の姿を、フロウは恨めしげに見つめ、空腹に喚くお腹を鉤爪で押さえた。

 ねだれば買ってもらえたはず……という思いから、そこにいないクルスの顔が脳裏に浮かびかけ、頭を振って追い払った。

「……馬鹿クルス」

 ぼそりと悪態をつくと、かえってその顔が、いくつもちらついた。

 ――俺が死んでいれば……お前は路頭に迷っていたんだ。

 言葉通りの体験をしている我が身を理解し、フロウは急に心細くなって、自らの肩を抱いて丸くなった。けれども、心細さの由縁は、そこじゃなかった。

「死ぬわけないじゃん……クルスが」

 湿っぽい声音でそう発し、フロウがきつく唇を噛んだときだった。

 幾重もの影が、フロウの目の前で交差して、差し掛かってきた。

「なに? なんか用?」

 フロウが顔を上げて、剣吞な気配を隠そうともしない男たちを睨みつけた。

 一様に黒ずくめで、手には短剣が握られている。そのなかから、ひとりが言った。

フロウ・クロウ 流れ歌う鉤爪に間違いないな」

 質問ではなく、断定の語調だった。それでフロウは、連中の黒装束に見覚えのある感じがした。ふと合点し、

「その格好アレでしょ。この間の……。いいよ、鬱憤晴らしに――」

 フロウの表情が猛々しい笑みに変ずる。かと思えば、面食らい、気の抜けたようになった。

 目だけ動かし、突き刺さった鋭利な物体に血を流す自らの肩口の様子を捉えた。その先で、筒状のものを手にした男が木陰に潜んでいるのがわかったところで、意識が濃霧に呑まれていった。



「いったい、なにが気に入らないっていうんだ……」

 目以外も完全にだらけさせた状態で、クルスは酒を呷った。赤く染まった顔は、だいぶ酒気が色濃い。黄金色に移り変わりつつある空といい勝負だ。

「わからないのかい?」

 カウンターの向こう側から、店主が呆れ顔を寄こした。

「ああ、わかるってんならお教え願いたいもんだ……」

 吐き捨て、クルスがドカッとカウンターに突っ伏した。店主はグラスを磨く手を止め、

「あの娘はただ……アンタと一緒にいたかっただけなのさ」

 汚れひとつないそれを、柔らかく目を細めて透かし見ている。突っ伏したまま、ふてくされ気味にクルスが返す。

「……もしもの話だったんだ。あくまでも。備えあればなんとやら、だ」

「その“もしも”が嫌だったのさ。あの娘には。アンタがそういう考えを――死を予期していることが、悲しかったんだろうさ。それとも、悔しかったのかね。勝手に死んで、置いていこうだなんて……そう、思ったのかもしれないよ」

 やんわりと、店主は受け答えをした。懺悔を告白した者に対する神父さながらの慈愛を湛えて。

 クルスは押し黙った。眠りこけているのか起きているのか判然としないその背中に、

「大変だ!」

 焦り顔の若者が、宿の出入口から叫び声を浴びせた。この宿の馴染み客のひとりだった。

「どうした? グリフォンとワイバーンに、同時に出くわしたみたいに慌てて」

 店主が冗談めかす。若者はカウンター前にやってきて、書状らしきものを叩きつけた。息を切らしながら、

「そう、それ……!」

 と頷く。

「どれ?」

 首を傾げるしかない店主に、若者が補足した。

「【気高きグリフォン団】から【疾風のワイバーン団】に改名したらしいんだ」

「たしか前者は……そこの旦那が潰したんじゃなかったかね」

「残党たちが、名前を変えて再結成したのが後者なんだ」

「ふむ。どことなく、センスがかぶってるのが、遺憾でならないね。それで? その連中がどうしたって言うんだい?」

 若者は、コツコツと指でカウンターを叩いてみせた。店主がそこにある書状の一文を読み上げる。

フロウ・クロウ 流れ歌う鉤爪は我々が預かっている。日没までにカルセオラ廃教会に単身で来い。さもなくば、身の安全は保障しかねる」

 途中から、店主の目は突っ伏したままでいる、クルスへと向いていた。なにかしら予感めいたふうに。

「……竜殺しを一杯くれ」

 クルスが注文する声に、店主は機敏に反応し、棚の中から飛び切りの火酒を選び取りながら言った。

「まさかこいつで気つけしようだなんて……アンタも大概だねえ」

 呆れたような感心したともつかない顔で、グラスを鮮やかな赤黒い酒で満たしていった。

 クルスは抜け顔でグラスを掴み、一息に飲み干す。途端に盛大にせ返り、悶えていた。

「お、おい、大丈夫か……?」

 若者が心配そうに覗き込もうとした矢先、すっくとその身が立ち上がり、息を吞んだ。

「連れ戻してくる」

 ぎらついた光を目に宿した殺伐とした表情で、クルスは告げた。一瞬前までの有りさまが噓のように。

 足取りは至って揺るぎなく、店主と若者に背中の長大な剣を見せつける格好になりながら、出かけて行った。

「おっかねえな……」

 ほっとしたようになって、若者がカウンターの椅子に身を預ける。

 一方、店主は泰然と頷いて、こう言ったものだった。

「我が子の窮地に馳せ参じようってヤツァ、誰だってああいうつらになるもんさ」



 ところどころ割れた天窓から差し入る夕陽が、神々しく女神像を照らし込む。

 憂い顔で眼下のやり取りを眺めているようでもあったが、朽ちかけたその身が、加護や裁きをもたらすことは、期待できそうにもない。

「卑怯者! 唐変木! 三流盗賊! ゴブリン以下のみそっかす! ……このチビ‼」

 両腕を縛り付けられ、宙ぶらりんの状態で、フロウがしかめっ面で吠えていた。

 相手は小男で、下卑た笑みを浮かべつづけていたが、“チビ”という言葉に頬をひくつかせ、フロウの喉元に一方の手を伸ばした。

「よく回る舌だな。人語を話せる魔物は高く売れるんだ。とくにハーピーは人気な部類でな。……せいぜい、可愛がってもらうといい」

 ぐっと喉を絞め、フロウがジタバタもがくさまを一通り楽しんでから、小男は満足げに手を離した。

 けほけほと激しく咳き込みながらも、屹度きっとなってフロウが小男を見据えて言った。

「一度、アタシたちに負けてるくせに……勝てるつもりなの?」

「ふん……! だが、今回は奴ひとりだ。お前という絶対の盾もあるのだ。敗北などありえん」

 小男が鼻で笑って息巻く。フロウはニヤリと口を綻ばせた。

「ふーん。クルスが、ここに来るようになってるんだ?」

「その手筈だ。まあ、今頃は我が手勢の餌食になっているやもしれんがな」

 小男が言い終わった、まさしくその瞬間のことだった。突如として廃教会の壁面が吹っ飛び、数人の盗賊団員が巻き込まれ、響き渡る悲鳴が、この場の空気を動揺で満たし尽くしていった。

「な、なに事だ⁉」

 喚き散らす小男よりも断然早く、舞い上がる粉塵のなかでゆらりと動く大きなシルエットが何者であるのか、フロウが見て取っていた。怒りと歓喜を混ぜ込んだ表情で、文句をぶつけた。

「遅すぎるよっ!」

 粉塵が薄れゆき、やがて返り血で汚れたクルスが、鬼神が如き風体で姿を露わにした。

「久しぶりに、悪酔いしててな」

 クルスは静かな口ぶりで、憤怒の形相を崩さぬままに、のたうち回っていた盗賊団のひとりの顔面を殴りつぶした。その手で動かなくなった者から短剣を拝借するや、小男目掛けて鋭く投じていた。

「ふんっ。この程度……伊達にボスをやっちゃいないぜ」

 小男は身をひねるようにして避け、誇ってみせた。瞬きひとつの後、その優越感たっぷりの顔を、床に勢いよくぶつけて呻いた。

「アンタがボスだったんだ。……貫禄ないなぁ」

 クルスが投げ放った短剣で拘束から解き放たれたフロウが、右足の鉤爪で男の後頭部を床に抑え込んだ体勢で、呆れ声をこぼす。

 踏んづけられたことよりも、その言葉のほうがよほど効いたらしい。ボスたる小男は歯を食いしばって鉤爪から抜け出すと、見事な逃げ足で、立ち並ぶ盗賊団員の後方に退いていった。

「か、片づけろ! ど、どうやってでもいい!」

 さまにならない号令を受けながらも、盗賊団員たちがクルスたちを取り囲む。足並みを揃えて迫りつつあった。

 自然と肩を引き寄せ合い、クルスとフロウは身構えた。

 油断は微塵もなかった。恐れや不安も。クルスにとっては、フロウを取り戻した今、それは霧散している。おそらくフロウもそうである気がした。背に受けるぬくもりから、なんとはなしに思う。

「あ、そーだ。あとでレグノ森のフルーツ盛り合わせ……食べさせてよね。それで許してあげる」

 フロウが思い出したように口を開いた。大陸南方にある森の特産品を告げていた。

「……ああ、いいさ。ただし、そのあとで説教は聞いてもらうぞ」

 嫌そうな顔をしたが、フロウは黙し、翼を広げて飛び上がった。前後左右から、盗賊団員たちが投げナイフをいくつも投擲してきたために。

 クルスはその場で、やや足を広げて床を踏みしめた。深く息を吸い込み、つよく吐き出すとともに、両手に握る長剣を一閃させる。円形に軌跡を描いた刃が、旋風を巻き起こし、殺到した投げナイフがまとめてあらぬ方向に飛んでいった。

 どういう魔法を使ったんだ? と唖然となった顔で訴えている盗賊団員の胸に、クルスは跳び迫りざま、答えとばかりに長剣を突き刺した。引き抜かず、そのまま薙ぎ払うことで、蒼然と硬直する隣の盗賊団員を一緒くたに斬り裂く。血しぶきに乗じて、さらにひとりをほふった。

 攻勢の流れを崩さず、次々とクルスは盗賊団員を斬り伏せていった。

 不意に、教会椅子の陰から弓を引き絞る者の気配を殺気とともに感じ取り、対応しかけてやめた。その男が急降下してきたフロウに両足の鉤爪を頭蓋に突っ込まれ、無惨に鮮血を噴き上げるのを見たからだ。

 フロウ・クロウ 流れ歌う鉤爪という通り名がついたのはいつ頃だったか、クルスは交戦の最中に思い返していた。

 鼻歌交じりに敵を縦横無尽に切り裂く。それがフロウの戦い方だ。薄く微笑んで、血に濡れた鉤爪を舌で舐め取るさまなど、獰猛な魔物の片鱗を垣間見る感じがする。といって別段、クルスはそれに畏怖や嫌悪を抱くわけでもなかった。

「どう見たって一人前だろ、あれは」

 呟いた後で、面映ゆい感覚が生じた。なんとなく、親バカという言葉が脳裏で主張し始め、その文字ごと払拭するように、目前の盗賊団員を鋭く断ち切っていた。

 その斬撃を最後に、辺りは静まり返った。

 この廃教会で命ある者はクルスとフロウ――そして、ボロボロの女神像の後ろで息を潜めている小男だけとなっている。

 クルスとフロウは目配せすると、女神像の裏で怯えている小男を挟み込むように、歩んでいった。

「前の親分はなかなかに腕が立つ男だったが……二番手でこうも格が落ちるものなのか」

 小男を見下ろして、冷ややかにクルスは言った。

「俺は参謀役だったんだ! 組織の頭脳を務めていたんだぞ!」

 縮こまりながらも、それだけは譲れないという具合に小男が叫んだ。

「言い残したいことは、それでぜんぶみたいだよ」フロウが小男の背後で、苛立ちを隠さずにいる。

「そのようだな」

 クルスは十字架のように、長剣を両手で捧げ持ち上げていった。高々と振りかぶり、残すは振り下ろすだけとなった頃合いで、

「ま、待て……! そ、そうだっ。いい話があるんだ!」

 小男が刃に目を釘付けにしたまま、脂汗を吹き出しながら、提案を持ち掛けようとした。

「二度あることは三度あるというが、これで三度目はなさそうだな」

 日が暮れ、威光の残り香すらも失った死に体の女神像へしがみつく小男に、クルスは容赦なく、斬撃をお見舞いして両断した。



 その夜、【睥睨するサイクロプス】の一階ではちょっとした酒宴が催されていた。

 さらわれたフロウをクルスが連れて戻ると、そのとき既に酔いが回っていた常連客たちが「そりゃめでたい! よし、祝杯だ!」とこぞって騒ぎ出し、「宴だ宴だ!」と持ち上げるうちに、そうなっていた。本当に事情を飲み込めているのか、怪しいものである。

「まったく。キッカケがあれば、なんでも祝い酒にしちまうんだから」

 店主が呆れ気味に笑いながら、カウンターの内側から言った。酒を引っ掛け合う客たちを見回し、ついで、主役たるフロウの座るテーブルを見る。

 そのテーブル上では酒の代わりに、薄青色の瑞々しい果実が、いくつも皿に盛りつけられている。フロウご所望の品、レグノ森のフルーツだ。とても甘美で、なにより非常に高価なことで有名だった。

「……なにも、今すぐじゃなくてもよかっただろうに」

 うっとりとそれらを眺めるフロウの隣に立ち、クルスが愚痴をこぼす。軽くなった財布の革袋を手の上で揺すり、心もとない音を響かせている。

「市場のお店がまだ開いてて良かったね」

 顔を上げて不敵な笑みを見せつけるフロウに、

「いいから、さっさと食っちまえ」

 クルスが渋面で、手をひらひら払うようにして促した。

「もちろん、そーするよ。……あっ、でも、ちょっと待って」

 フロウは果実に目を落とし、しかし不意に思い出したように、

「マスター! アレ、持ってきて。アレ!」

 店主に腕を振って大声で呼んだ。

 店主は心得ているよ、というふうに苦笑してこちらにやってきては、空欄がある主従契約書を、フルーツの盛り合わせの隣に添えた。

「ほらよ」

 インクに浸かった羽ペンを差し出す。フロウにではなく、クルスのほうへ向けてだ。

 クルスは深々とため息をついた。ちらりとフロウの微笑を窺がってから、羽ペンを執り、空欄に“クルス”と書き記していった。

「ありがと、クルス。そんじゃ、いただきまーす!」

 フロウは心底嬉しそうに笑うと、器用に鉤爪で果実を切り分けて掬い取り、パクリとした。幸福の頂点、という様子で顔をとろけさせて、唸っている。

「コイツは宣誓書代わりに預かっておいてやろうかね」

 クルスの名が記された主従契約書を掲げ、店主が意地悪く笑む。

「最後まで、面倒見るとするさ」

 諦めたような、覚悟を決めたような……どっちつかずの表情でクルスは返した。どこか、晴れやかさを滲ませて。

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