銀河鉄道に住む幽霊

メラミ

彼女の行く先は……。

 あるところに一両の列車が空上を走っていた。車窓からは夜空が地平線の彼方に広がっており、列車はガタンゴトンとただ音を響かせている。列車が走るこの道は、どこまで続いているのだろうか。列車が走るスピードに合わせて、数羽の鳥が羽ばたいていた。その列車には、少年が一人しか乗っていなかった。殺風景な駅のホームに、列車が停まった。


(不思議な日がやってくるなんて……思ってもいなかった……)


 彼は予感がしていたのかもしれない。この日がやって来ることで彼自身に少しでも希望が持てるのなら……。


 彼は座席の上に横たわっていた。列車が停まったことに気づいて瞼を開ける。すると、

「あら、あなた一人だけしか乗っていないのかしら?」

 誰ひとり乗っていないこの車両に、見知らぬ女が乗ってきた。彼女はぼうっとした雰囲気を漂わせていた。ここがどこかもよくわからない様子で、彼の隣に腰掛けると話しかけてきた。彼女の声を聞くなり上体を起こし、むっとした表情を浮かべながら会釈をする。彼女の顔を見ると、「初めまして」と挨拶をした。彼が無愛想に挨拶をするものだから、隣に座る彼女の方も「どうも」と一言あしらう。


「この列車はどこ行きなのかしら?わたし行き先がわからないまま乗り込んでしまったみたいだわ」

「それは、大変だ。次のホームで降りた方がいいよ」

「そうなの!? 乗る前に言ってちょうだいよ」


 と会話をした束の間、彼女は車窓をふと見つめる。隣にいる彼の姿は映っていなかった。


「あら、貴方顔映ってないわよ」

「僕は幽霊ですから。ここの列車に住み着いてるんだ……」

「幽霊? 住んでるって?」


 彼女は、はっきりとした口調で言った。


「うん。どこへ行くとか、そんなことは無いんだ。わかるはず無いと思う。あなたには」


 少年はつまんなそうに返事をし、俯いた。


「……そうかもしれないわね。そ、それよりここの終着駅ってもしかして……あの世ってこと!?」


 彼女は何かに気づいたように、夜空を眺めながらおもむろに声を上げた。

 彼は両手をトレーナーのポケットに入れ、深くため息をついた。


「そういうこと」

「そういうことって、どういうことよ! わたし死んじゃったの!?」


 隣に座っている彼女は、少年の言っていることを半分信じきれずにいた。


「そうそう、その考えであってるよ」

「じゃあ次のホームで降りれば、その……戻ってこれるのよね?」


 彼女は車窓をただただじっと眺めながら呟いた。彼女の言葉を聞いて彼はこくりとゆっくり頷いた。


「ねぇ、名前聞いてもいいかしら?」

「心に待つって書いてうらまち」

「変わった名前ね。初めて聞いたわ。私は……そうね。名乗らないでおくわ。また戻ってきてしまったら嫌だもの」と言って、愛想笑いを浮かべた。彼は彼女のその表情にきょとんとした顔をしてこう言った。

「幽霊に名前名乗らない方がいいって誰が決めたのさ。大丈夫だろ?」

「……」


 彼の返事を無視して、彼女は車窓の方に体を向けた。


「うーん……。やっぱり不安だわ」


 彼女は窓の外を眺めながら、深くため息をつきながら言った。


「何が不安なの?」

「なんでこの列車に乗り込んでしまったのかよくわからないから、不安なのよ」

「なんとなく来ちゃった感じってことかな」


 彼は彼女が窓の外を眺めて呟いた言葉に助言をしたつもりだった。ただ彼女の横顔をまじまじと眺めて返事を交わした。彼にそう言われて彼女はふふっと微笑んだ。特別なことを話したわけでもなく、二人の会話は続いた。


「列車に住んでて、楽しかったこととか無かった?」

「うん。特別今までに来た人とはなんにも。声をかけてくれたのは君が初めてだよ」

「あら、そうなの……」


 つまらなそうに話していた彼が少し笑っていたような気がした。彼女は続けて言葉を付け加える。


「貴方に元気を……少しだけもらえたかも」


 彼のことを変わった人だと少し思いながら、彼女は呟いた。


「それはよかった。そろそろ次のホームに着く頃じゃないかな」


(名前を尋ねてきた人に出会ったのは今回が初めてだったな……)


 彼は列車の音に耳を澄ませながら、彼女に話しかける。


「あの……」

「何かしら?」

「その……目的があったから乗ったんでしょ? この列車に……」


 彼は真剣に彼女に聞いた。言葉には焦りが滲み出ていた。もう彼女とは一生会えないのだ。

 この列車の向かう先は、彼女には聞かなくてもわかっていた。彼女は不意に彼の眼差しに心を打たれそうになった。彼女は列車から降りようとしたとき、最後にこう言った。


「わたしはまだ生きてやりたいことがたくさんあるから……ごめんなさい、お別れよ……」


 なぜ彼女が言葉を詰まらせながら彼に声をかけてくれたのだろうか……と、彼は暫く頭の中で考えた。


「やり残したことなんて僕にはもう無いんだよ……」


 彼は目を瞑りながら彼女に返事をする。残念そうな面持ちで彼女は駅のホームへと姿を消した。


「さようなら……」


 と言いかけて、彼女の名前を知らなかった彼は落胆した。列車は再び動き出す。


 彼はため息をついた。彼は心のどこかで、自分の目的を作ってくれる人はいないだろうかと思っていた。彼女がこの列車に乗ったのは、きっと彼に会うためだったのかもしれないと……。

 この列車の目的地は無い。永遠に続く線路の上を走っていくだけの、空上の乗り物。

 彼女は目的もなくふらっとこの列車に乗り込み、降りた次のホームの地で、命のともしびを照らしつづけていた。

 彼が見下ろす銀河には無数の明かりが輝いている。彼女もその明かりの一つとなって、この列車を降り立った。


「また乗って出かけて、ここへ座りに来て、元気出して……僕はいつでも待ってる……」


 彼は遠くの夜空を眺めながら呟いた。不意に夜空が眩しく光る。彼は咄嗟に顔を覆い隠して、上体を伏せた。


「?」


 窓に一匹のテントウムシが貼り付いていた。


「テントウムシが光ってる?ここは蛍じゃないのか……」


 嘆息しながら、光るテントウムシに手を伸ばそうとした。そのとき、彼はふと車窓に目をやる。


「あれ……映ってる……!」


 彼は思いがけない自分の姿に驚いて腰を抜かしてしまった。一瞬の出来事だった。車窓に貼り付いていた光るテントウムシは、彼の動きに気づいてその場を離れていってしまう。すると車窓に映っていた彼の姿がまた写し出されなくなってしまった。


「自分で言うのもなんだけど、不思議な列車だな……」


 彼のちょっと拍子抜けした顔を想像しながら、彼は自分に向けてにやりとする。


(あの子は……元気にしてるかな?)


 彼は自分の姿が一瞬の光で映し出されたことに感動を覚えた。でも列車の扉の向こう側へは、一歩踏み出す勇気が持てずにいた。

 列車の扉の向こう側には、何が待っているのだろう。それはもしかしたら目的を持つということなのだろうか。彼の姿が列車に取り付いていた幽霊だとしたら、光に導かれることなく消え去ってしまうのだろうか。


「なんだか寒いな……」


 彼は小声で呟いた。自分ではわかっていたはずなのに、この扉の向こう側へ一歩出たらどうなるのか……。列車に長居し過ぎたのかもしれないと彼は考えた。


(また一人になった。独りになっちゃった)


「ここにいる目的も無くていいのかな……。本当は、僕は生きたいのかもしれないな……」


 列車の扉が閉まった。彼は列車の汽笛の音を聞きながら、無口になっていた。


(あっ……また光った……)


 列車の中で、彼は思い耽っていた。今日出会った人のことを考えてみた。


(あの人は僕に会うまでは死のうとしていたに違い無い……いや、死にかけてたからこの列車に乗り込んだのか……)

(明日はどんな人がこの列車に乗ってくるんだろう……)

(誰にもわからないんだ……)


 ただぼんやりとしている彼の瞳は透き通っていて、ほんの少しだけ希望を持っていた。希望が持てたのは光るテントウムシに巡り会えたからだ。あの光るテントウムシの明かりをもう一度見てみたいと思いながら、列車に揺られていた。外はもう深い夜だった。永遠の銀河の夜だった。


「あぁ、少し寝ようかな……」


(あの子にはもう会えないんだ……)


「彼女のこと考えてたら眠れるわけないか」


 彼はそう言うと、起き上がり窓を開けた。

 風がすうっと列車の中に吸い込まれるように入り込んでくる。

 彼はだんだん遠ざかっていくような星を、眺めていた。ただただぼんやりと。

 光るテントウムシにもう一度会えないだろうか。そう夜空に少しだけ願いを込めてみる。


 扉の向こう側から、この列車に乗り込んでくる人々に少年は問い質す。

 一歩踏み出す前に、僕は扉の向こう側に行くべきだろうか。

 その扉の向こう側にはどんな景色が広がっているのか教えて欲しい。

 少年は次の駅で、この列車に乗ってくる人に尋ねようと思った。

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