第17話 言葉の重み
「あれ、母さんは?」
そろそろ夕食の時間になり部屋から出てリビングに来たのだがそこに母さんの姿はなく、代わりにエプロンを着た父さんが台所に立っていた。
「母さんは旧友の店で飲んでくるって言ってただろ」
「ああそういえば」
なんだか朝にそんなことを言っていたのを思い出した。
この一週間ほど家では何事もなかったようにふるまってはいるが、実際には会話が頭に入ってこないことが多かった。
やっぱりあの時の言葉が胸に刺さったままでいつも通りに生活するのは難しいな。
「なあ冬弥」
「なに?」
「今日この後予定はあるか?」
「特にないけど」
「なら父さんに少し付き合ってくれ、母さんがいなくて寂しくてな」
「別にいいけど」
父さんからこんな誘いをしてくるなんて珍しいな。
それに母さんがいないときはいつも一人で飲むことが多いのに。
「あと少しでできるから冬弥は座って待っていてくれ」
「わかった」
流されるままに椅子へと座る。父さんが一体何を考えているのかわからないが、今日は付き合うことにするか。
待っている間時計の刻む音やたまに聞こえる父さんの鼻歌が耳に流れてくる。
母さんがいないときに流れるそれらは居心地がよく、星空の家にいる時と同じ気持ちにさせてくれる。
これでもし春香さんとのこともうまく行っていたら。
幾度となく考えたもしも、起こってしまったことはこんなに悔やんでも変わることは無いのに、どうしてもいい方向だったらと無意識にも考えてしまっている。
「よし、冬弥できたから運ぶの手伝ってくれ」
「……うん、わかった」
立ち上がり台所に行くと、そこにはいろんな種類の料理が出来上がっていた。
サラダやスープ、メインとなる肉料理に小鉢などのおつまみ系。まるで飲み屋に来たと思うメニューだった。
「随分と豪華だね」
「母さんには内緒だぞ」
二人で料理をテーブルへと運んでいく、真ん中に母さんが買ってくれた皿に入ったサラダを置き、それを囲むようにどんどんとテーブルが埋まっていく様は沈めた心でもわくわくせざる負えない。
そうして俺が最後の料理を持っていき、父さんはお酒を準備して食卓が完成した。
「「いただきます」」
最初に手を付けるのは野菜、と言いたいところだが、うまそうなステーキを前にして我慢できるほどの人間ではないのでステーキからいただく。
ナイフを通すと柔らかく切れる肉、断面はきれいなピンク色をしており更に食欲が掻き立てられる。最初の一切れはそのままでいただくことに、口に含むと溢れんばかりの旨味と肉汁が襲ってくる。
噛めば噛むほど溢れるそれらを口の中に抑え込み味わってから飲み込む。
「すごいおいしいね」
「ふふ、ありがとう」
ある程度ステーキを味わってからほかの料理に手を付ける。
サラダやスープに数種類の小鉢、どれもおいしくどんどんと表面上の胸が幸せになっていくのを感じる。
一通り食べてお腹が軽く満たされたため、ここからはゆっくりと食べていくことにする。
「一通り食べたね」
父さんは俺がこの状態になるのを待っていたと言わんばかりにこちらに語り掛けてきた。
「相変わらず父さんの作る料理はどれもおいしいね」
そうして食事の時間からつまみながら父さんと会話する時間に変わった。
最初は他愛もないような雑談から始まる、授業の話や最近のはやっているもの、おすすめのゲームや動画など。
俺と父さんは趣味が一緒なのもあってこういった話題が尽きることは無い。
父さんからも仕事であった面白いことや最近目にするようなものなどを話してくれる。
それを笑いながら会話をしていく、食事と会話によってだんだんと心が軽くなるのを感じる。
「それで冬弥さ」
「ん、なに?」
「先週出かけたとき何かあったかい」
「……え?」
変わらずにお酒を楽しみながら先ほどと同じテンションで聞いてくるから一瞬何を聞いてきたのか理解するのが遅れてしまった。
「実は母さんに冬弥から話を聞いといてと言われてね、僕も気になっていたからさ」
淡々と話す父さん、今までの会話でそんな雰囲気は一切なかったのに。
「別に何も……」
「ではないだろ」
「……」
「僕にも話しづらいことなのかい?」
「そうじゃ、なくて」
「ゆっくりでいい、冬弥のペースで話してくれ」
ゆっくりでいいか、実際父さんにこの話をするのは少々気が引ける。俺のミスが原因だから自身でどうにかしたいのが本音だけども。
言った通り俺が話すのを待つ気でお酒を飲んでいるな。
……。
「父さんはさ、母さんと出会った時の事を覚えてる?」
「ん?もちろん覚えているぞ」
「やっぱりそうだよね」
俺だけではなくもしかしたら父さんも出会いの記憶は残ってないんじゃないかって思ってたけど、やっぱりそんなことは無かったな。
軽い期待だったけれども、俺がおかしいんだっていうことが更にわかってちょっときついかも。
「もしかして冬弥が今悩んでいることに関係のある事かい?」
静かに首を縦に振る。
「そうだったんだ」
俺の思い悩んでいる原因を知ってかなんだか安心したような顔をしている気がした。
「冬弥はさどれくらい覚えているんだい」
俺への配慮なのかどうかはわからないが誰の事なのかは聞かずに質問してくる。
「実はさ俺……」
そこからは名前を出さずに今俺が悩んでいることを話した。
言葉を選びながら話し、時には詰まりながらもなんとか続けた。
俺が拙く話している間も父さんはゆっくりと聞いてくれた。
「結局俺は隠していたことを指摘されて、それで……」
それ以降は言葉が出なくなり俯いてしまった。
話すごとに自分の犯した罪が重くのしかかり、再びあの罪悪感で押しつぶされそうになる。
「冬弥、実はね」
全てを聞いてくれた父さんからの言葉、その優しい言葉を聞こうと顔を上げていた。
「僕も二人と何を言って仲良くなったのかわからないんだ」
父さんが放ったその言葉により今まで抱えていたものが落ちる、そんな気持ちだった。
「出会った時の二人はもちろん覚えているんだけどね、そこからは何を言って仲良くなったのかわからなくてね、気が付いたら一緒にいたんだ」
「父さんは覚えてない事に罪悪感はなかったの?」
「罪悪感はなかったね、それを考える以上に日々の暮らしが楽しかったからね」
父さんの言葉に少しずつ罪悪感が薄れていく。
「冬弥は覚えていないことが怖いのかい?」
「いや、俺が怖いのは覚えていないことでなんだか二人を裏切っているような気持が嫌で」
春香さんは俺の言葉に救われたと言っていた、なのに当の本人は言ったことを覚えていないなんて、そんな事あってはいけないだろう。
「裏切りだなんて、言われた本人たちはそんなことを思っていないよ」
「なんでそう言い切れるのさ」
俺の質問に父さんは思い悩むように顎に手を当てた。
少し考えた後そうだねと言いつつ話の続きをする。
「これは僕個人の考えなんだけれどもね、言葉には凄く重みがあると思うんだ」
言葉の重みか、それは俺もあるとは思う。
「言った本人は特に想っていなくてもさ、受け取った人にはそれが重くのしかかるときもある。最近ならそういったことで暗いニュースとか流れるだろう」
「耳にはするね」
「そういった影響でさ言葉は刃物で例えられて傷つけるものみたいになっているけどさ。時には人を救う言葉だってあるんだ」
変わらない優しい表情と声音のまま自論を語る父さん。
「冬弥が覚えていなくてもその言葉がなくなることは無いよ、その人を救ったっていう事実が変わることは無いんだ」
「救った事実」
「だからこそ過去を変えられないのならこれからを変えればいい」
その言葉で今までかかっていた暗い世界に光が差し込んだ。
まるで晴れていく霧のようにどんどんと視界がよくなっていく。
「これからは胸を張っていけばいい、自分の言葉で誰かを救うことができったてことを」
「……ありがとう、父さん」
父さんの言葉でもう思い悩みふさぎ込んでしまうのをやめようと思える。
それと同時に一つの決意も浮かんでくる。
「でも俺やっぱり思い出したいよ」
俺の言葉で救われた人がいる、それを胸に刻みながらもやっぱり思い出さねければいけないと思えてくる。
だって……。
「それが俺の責任だと思うから」
言葉に重みがあるのなら責任だってある。
誰かを傷つけた責任、誰かを救った責任、誰かを導いた責任。
伝えた言葉は覚えていなくても、その責任からは逃げたくはない。
「だから俺、向き合ってみるよ」
「そうか、頑張れよ」
父さんはそれ以上何か話すわけでもなく、いつものような感じでお酒を楽しみだした。
「ありがとうね父さん」
俺の言葉に父さんは微笑みを返した。
スマホを開き二人の連絡先を眺める、どちらから話をつけようかそんなことを考える。
するといきなり通知が来た。
『冬弥、今から会えるか?』
連絡してきたのは夏輝だった。
『タイミングがいいな』
「父さん」
「行ってきていいぞ」
俺の言いたいことがわかっていたのか、直ぐに答えが返ってきた。
「うん、行ってくる」
直ぐに夏輝に行ける連絡をすると待ち合わせ場所を送ってきた。
『ここってカフェの近くの公園だよな』
指定された場所は先週春香さんと別れた公園だった。
ここを指定してくるなんて、そんな運命なのかな。
柄にもないことを考えつつ、リビングを出て部屋で直ぐに支度を済ませる。
『待っていろよ、夏輝』
伝えたいこと、伝えなきゃいけない事、それらすべてを夏輝に伝えるとしようか。
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