第5話星空の家3

 秋穂さんがホールに消えてから約三十分、思っていた以上に少なかった在庫確認が終わった。秋穂さんの言い方的に一時間は覚悟していたがそれよりも早く終わり安心した。

「秋穂さんと店長に報告しに行くか」

 エプロンをとり控室に戻してからホールへと向かった。

 ホールに出るとグラスを磨く店長といまだにヨネさんと話している晴美さんしか目に入らない。

「おや、冬弥君確認終わったのかな?」

「はい、思ったより早く終わりました。秋穂さんが結構進めてくれたおかげですね」

 実際引き継いでからの確認は簡単なものばかりで、効率よく秋穂さんが進めてくれたから楽なものしか残っていなかった。

「あんた今度は忘れるんじゃないよ」

「そうよ店長さん、ちゃんと二人にお礼するのよ」

「わかってますよ、ヨネさん」

 ヨネさんの前で苦笑いしながら答える店長はなんだか大きな子供を見ているようだった。

 とりあえず店長には報告したからあとは秋穂さに報告したいんだけど。

「店長、秋穂さんどこにいますか?」

 カウンターから見える場所に秋穂さんの姿はない、友達が来てたはずだからカウンターで話してると思ったんだけど。

「ああ、秋穂君なら角の席でお友達と話しているよ」

 このカフェの構造は少し特殊で角の席はカウンターからでは姿が見えなくなり声もあまり通らない状態になる。

 よってホールに入ってきた俺からでは秋穂さんを探すことができなかったのだ。

「わかりました、秋穂さんにも報告してきます」

 そういって歩き出そうとした俺を店長が呼び止める。今秋穂さんたちはコーヒーを飲んでいるらしく、そろそろ無くなると思うからと店長が新しいコーヒーを二つ差し出した。

「これ持って行ってあげて」

 優しい声色に二つ返事で了承し差し出された当店自慢のブレンドコーヒーをトレーに乗せ改めて角の席へと向かった。

 席に近づくにつれて二人の女性の会話が聞こえてきた。

「この声って……」

 一人はつい三十分ほど前まで話していた秋穂さんなのはすぐに分かった。声がまるで相手に寄り添っているかのような感じに聞こえるのでたぶん何かの相談に乗っているのだろう。

 そして微かに聞こえてくるもう一人の女性の声、それはここ数か月ほぼ毎朝聞いている声に似ていた。

 まさかそんなことがあるのかと、今この場で一番合いたいと思いつつ今一番合うのが気まずい相手がいるというのか。

 すでに見えていた後姿からもしかしたらと思っていたが声を聴くたびに確信へと近づていく。

 もう声が普通に聞こえるほどの距離になり、秋穂さんのはっきりとした顔と見慣れた想い人の横顔が目に映った。

 実際にその顔を見て核心に至ったとき、抑え込んでいた感情という巨大なエネルギーが爆発し、心臓が飛び上がったのを感じた。

 そして爆発した感情は俺の体では抑えきれず、その感情は最も体外へ出やすい口へと運ばれる。

「夕陽、さん?」

 抑えることができない口から零れたのは想い人の名前だった。

 俺の呼んだ名前でこちらへ振り向き目を見開いた顔を合わせる。この時間が永遠に続けば、と感じたがすぐに現実へと思考を戻す。俺は今朝夕陽さんの前から逃げ出したばかりだ。

 だけど今はバイトの時間だ見とれているわけにもいかなければ逃げ出すわけにもいかない。

「こちら店長からの差し入れです」

 唖然とした夕陽さんを横目にブレンドコーヒーを置く。そしてその場からそそくさと立ち去ろうとした。

 しかし……。

「朝日さん!」

 見つけた獲物を取り逃がさないと言わんばかりの勢いで呼び止められてしまう、足を止めて振り返ると立ち上がって胸に手を当てている夕陽さんがいた。

「朝日さん、今時間大丈夫ですか?」

「大丈夫、というと」

 それ以上は言わないでほしい、確かに俺は感謝を受け取ると決めた、けど今この場でもう一度受け取りたくない。めんどくさいのはわかってるけどきちんと謝罪をしてから改めて受け取りたい。

 だから……。

「今話し合うことはできますか?」

「……すみません、今はバイト中なのでまた別の日に」

 俺は体のいい言い訳を述べてまた夕陽さんの前から逃げようとした。だけど……。

「店長、私休みからあがりますので冬弥君を休ませても大丈夫ですか?」

 夕陽さんの後ろから店長に呼びかける秋穂さん、それに驚いた夕陽さんが振り返り目を合わせる。

 俺は店長のほうを向く、大きい声を出せば流石にカウンターまで聞こえる。露骨に出てきた店長が『そうだね』と言いながら考える姿勢をとる。

 だがそれは考えているフリだと俺は知っている、前に一度騙されてから理解した。

 数十秒無駄に使い店長が答えを出す。

「うん、交代ならいいよ」

 本気で言ってるのかと目で訴えると店長はこちらを見ていない風の横目でまたグラスを拭きながら戻っていった。あの人いつまでグラス拭くつもりだよ。

「冬弥君在庫整理は終わったの?」

 そんなやり取りをしていると後ろから確認の声が聞こえてくる。

「はい、確認のほうは終わりました」

 振り返りそう答える俺、それを聞いた秋穂さんは席を立ち夕陽さんに耳打ちしてから席から離れた。

 だんだんとこちらへ近づいてくる秋穂さん、横を通り過ぎるタイミングで俺にも耳打ちをしてくる。

(春香を泣かせないでね)

 その言葉に前身の毛が逆立つほどの恐怖を感じた。

 過ぎ去る秋穂さんを目で追うと頑張れと言わんばかりのグットを向けていた。

「「……。」」

 お互いに顔を見合わせる。この角の席に残されたのは夕陽さんと逃げ続ける男とブレンドコーヒーだけだった。

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