第3話ありがとうを君に

「いやぁ助かったよ夕陽さん」

「私もバイト探してたので良かったです」

「年末で夜間バイトの子辞めちゃってさ困ってたんだよ」

「任せてください!休みさえ貰えれば12時間だろうと働いてみせます!」

「そこは規定通りで頼むよ」

 近所のコンビニバイト。夜十二時から朝の九時まで、休憩一時間。長く働けて休憩もちゃんとある、何より家から近いと言う理由でここに決めた。

 店長さんが言うには朝の通勤時間が一番混むらしいがそれも一時間しかないようだ。

 まあその朝の時間帯が一番眠くて辛いみたいだけど。

 ここは人も良く最初慣れるまで二人体制で教えて貰え、困った事があれば何でも聞いていいらしい。とても素晴らしい職場だ。

「夕陽さん覚え早いね、これならもう一人でも大丈夫だろう」

 一週間が経ったころに店長からそんな言葉をもらった。

「本当ですか、前の職場では覚えが悪すぎるって言われてたんですよ」

「ま、まあ人には得手不得手があるからね、それを差し引いたとしても覚えが早いから助かるよ」

「店長さん、ありがとうございます!」

 今までこんなに褒められたことがなくて新鮮だし、皆さん優しく分かりやすく教えてくれるからどんどん仕事を覚えていけた。

 それから一週間程経った時。仕事も慣れ一人でも回せるようになり、朝も少しだけ慣れた頃。

「慣れたと言ってもやっぱり朝は眠くなる」

 朝の品出しや掃除が一息ついたところでいきなり眠気がきた。

 時間は七時。あと二時間で終わるがここからが勝負だと言っても過言じゃない。

 八時からはラッシュ時間でお客さんが多い、一応八時からは二人体制になるけどそれでも大変だ。

 そして何よりこの七時台。これが一番眠い時間だ。

 少しでもお客さんが入ってくれるのであれば気がまぎれるのに。

 どんなに頑張っても眠気に抗うのはいつだって辛いものだ。

「何か目が覚める事でも起きないかな」

 都合よくそんな事が起きてたまるかとも思うが、それでも辛いものは辛い。

 とりあえずラッシュに入る前にやる事終わらせないと……。

 そんな感じに上の空でいたところに入店音が店内に鳴り響き開く扉の方へ目を向けた。

「いらっしゃいませ……」

 入って来たのは男子高校生だった。身長が高く肩幅も広い、そして茶色い髪の色をしていた。

 それはあの雪の日、私に話しかけてくれた。昔読んだ絵本に出てきた……。

「クマさん?」

「……はい?」

 それが朝日さんとの思いもよらない再会だった。


 年明けの時にも来ていたカフェで秋穂とまたお茶をしていた。ちなみに今回は遅行はしていない。

「それで春香さんは三ヶ月間何のアプローチもなくそのクマさんといると?」

「クマさんじゃなくて朝日君ね」

「はいはいもう何十回と聞きました」

「つまり秋穂は何十回と言わせたって事だからね」

 バイトを始めて三ヶ月ちょっと経った。あれから平日バイトがある日は毎朝朝日君とあっている。

「春香さぁ、その子に助けて貰ってから久しぶりに会った朝日君に何もしない訳?」

「一体私の事何だと思ってるのさ、こうして名前聞いたでしょ」

「それじゃなくてね、お礼言ったの?」

「まだ言えてない、です」

 確かに名前は聞いたけど、それも最近聞けた事だ。朝日君は朝七時にあのコンビニに行くのが日課らしくお互い顔を覚えたから名前を聞くことができた。

 でもあの日の事なんて覚えてるかどうか分からないからこっちから一方的にお礼をしてなんの事か分からなかったら……。

「もうあのコンビニいれないよ」

「メンタル弱者」

「だってしょうがないでしょ!あの時間が私にとってのオアシスなんだから」

 朝七時に夕陽君を見ると残り時間も頑張れるのだ。言ってしまえば高校生の活力を貰ってる感じだ。

「それでもやっぱりお礼は言っといた方がいいでしょ、春香的にもさ」

「うぅ、よくわかってるね」

「付き合い長いからね」

 秋穂の言う通りこのままお礼を言わないのはもやもやが溜まっていく。

 あの日あの言葉で私はこうして新しい生活を送ることができるのだから、それに対するお礼はやっぱりしたい。

「それじゃあするしかないね、次の出勤で」

「うっ、それは早いんじゃないかな」

「遅い方でしょ」

「的確に突っ込まれると胸が痛い」

 秋穂にここまで言われ流石に考えが変わってくる。逆にここまで言われなければ気が変わらない自分が悔しくなってきた

 コーヒーの残りを一気飲みしマスターにおかわりを頼む。そうして一呼吸置いて覚悟を決めた。

「わかった、次会った日にお礼言う」

「そうしな、マスター私もおかわりで」

 私の覚悟をさらっと流されてしまったけど。とりあえず次会ったらお礼を言うんだ、あの日……。

 私の事を否定してくれたお陰で今がある事。


 ベットに横になり眠るまでの間あの日の朝日君との事を思い出していた。

 あの雪の日、クマさんだと見間違えた男の子は私に温かいココアをくれた。

 自分に雪が積もっていてもわからないほど温度を感じなかった私が、久しぶりに貰った優しさで感じなかった温度を思い出すことができた。

 その温かさとともに私の中で固まっていた心が解け、そのまま彼に甘えて色々話してしまっていた。

 自分が頑張っていたと思っていたことがそうではなかった事。出来るよねの言葉に断れないでいる事。会社の当たり前についていけない事。

 それまで抱えていたものが溢れて止まらなかった。

「もっと頑張らなきゃいけないのに、もっとついていけるようにしなきゃいけないのに」

 どんなに頑張っても使えない者扱い、周りと比べられ頑張りが足りないと言われ、分からないことを聞いてももっと自分で考えろって返される。

 同僚は皆いなくなって誰にも頼れない、もう誰にも頼れる人なんていない。

「私はまだ頑張りが足りてない」

 それからも自分を落とす言葉や否定する言葉を沢山吐いていた。そんな見ず知らずの私に朝日君は最後まで聞いてくれた。

 一通り話し終えた私の顔には涙が流れていた。今まで我慢していた分がすべて流れ出したみたいに涙が止まらない。

 無常にも降り積もる雪にだんだんと埋もれていく。せき止めていた感情のダムが溶けて消えたのに、体に降り積もる雪は増えていく。

 「でも私、これ以上頑張れないよ」

 言わないと決めていた最後の言葉を零しまた自分の感情に蓋をした。

 そんな私の全ての感情を一心に受け止めてくれた朝日君はしばらく黙った。

 見ず知らずの私の愚痴を最後まで聞いてくれた。髪色に白色が加わるほど聞いてくれた。

 相変わらず下を向く私の前に固まった雪が通った。顔を見上げると頭の雪を払った朝日君が息を吸い私の目を真っ直ぐにとらえていた。

「俺はまだ高校生で社会とか分からないですけど、お姉さんはちゃんと頑張ってますよ」

 そんなに話しを聞いたうえで朝日君は初めて口を開けてくれた。

 それは頑張ってないと思ってた私を否定する言葉だった。話を聞いた上で私が否定してた事を否定する、そんな言葉だった。

 ただそれだけ、他の人からすれば更に追い込まれる言葉に私がどれ程救われたか。

 あの日の朝日君があの日までの私を否定してくれた。

 だから遅くなったけど言うんだ、お陰で今の私は前を向いて歩ける。それに対するお礼を。

 そうしていつの間にか考え事は夢に変わってたみたいで、昨日と同じくカーテンから指す朝日で目を覚ました。


「ふう、あと二時間か」

 朝七時前。時計を眺めそろそろそんな時間かと思う、思えば眠気が来てから三十分はたってるはずだ。

 七時という事はそろそろ朝日君がやってくる時間だ。彼さえ来てくれればあの優しい顔が見られる。

「そうすれば耐えらる」

 眠気に耐えようと体を伸ばしたりして気を紛らわしたりする。けど直ぐに眠気は襲ってくるからなかなかに待ち遠しい。

 するとドアが開くと共に入店音が鳴り響いた。開いたドアの先へ視線を送ると待っていた彼の姿があった。

「いらっしゃいませ」

 やっと朝日君が来てくれた。やっぱり彼を見ると元気貰えるな。

 入店してきた朝日君はいつものようにお茶を取りにドリンクコーナーへ向かう、そのタイミングで彼の顔が陰っているように思えた。

 今日はたまにある何だか浮かない顔をしてる日だ。

 朝日君はたまにそんな顔をする、まるで何か大切な事を忘れて思い出そうとしてる顔。そういう日はこっちから話すのを躊躇ってしまう。

 私が元気付けられるように話しかけられば良いんだけどなかなかどう話しかけていいか分からずその日は会話をあまりしないでいた。

 けど今日は違う、あの日のお礼を言うって決心して来たんだ。それにこんな顔をしてる今だからこそお礼を言いたい。

 エゴかもしれないけどそれで元気になって欲しいから。

 クマさんみたいな優しい表情を見たいから。

 そんな私の考えなんて知る由もなく朝日君はいつものお茶と今日は昆布のおにぎりを持ってきた。

 そういえばこういう顔をした日って決まって昆布のおにぎりを持ってきたはず。

 今まで気にしなかった事に気が付いた、もしかしたら朝日君なりのサインだったのかもしれない。

「ありがとうございました」

 そんな事考えてたらいつの間にか会計が終わってしまった。結局話しかけることが出来なかった。

 朝日君は買ったものを受け取りお礼を言ってからドアに向かって行く。

 お礼を言わなければと決めてきたのに言えないまま次なんて嫌だ、今こそ言おうと朝日君の方を向いたら大きいけど同時に寂しそうな背中をしていた。

「あの!」

 そんな彼の後ろ姿を見た私はいつの間にかレジから身を乗り出す勢いで声をかけてしまっていた。

 こんな勢いで話す必要は無い、大きな声も出す必要は無い。そんなのわかってはいるけどあんな寂しそうな背中を見たら話しかけてしまった。

 全体重を手で支え身を乗り出し、私の呼び掛けに驚きながらも振り返ってくれた朝日君に口をはっきりと開けて伝える。

「あの日助けてくれてありがとう!」

 どうしようか悩んでいたけど、あの顔にあんな背中を見たら身も乗り出してしまうものだ。

 次なんて来ないかもしれない、だからこそ今こうしてでもお礼を言いたかったのだ。

 約三ヶ月間朝日君の顔を見て元気を貰うのが私の今の生きがいであり、そのおかげで私は残りの時間を頑張れるんだから。

 朝七時。深夜から働く私としては眠くなる時間帯。前までだったらもう出勤してるような時間帯にこうして朝日君と会ってる。

 それはあの日朝日君が私に声をかけてくれたから。当時の私を否定して忘れていた夢を思い出させてくれたから。

 あの日彼に変えられた日常を、このお礼で今度は私が彼の日常を変えるだなんて。

 この時の私は微塵も思っていなかった。

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