「違形(いけい)」

低迷アクション

第1話

違形(いけい)


戦後間もない頃の話である。


「Yさーん、雨降ってますよー、洗濯ものー」


この台詞は今でも耳から離れないと、体験者は語る。


後期高齢者に該当しながら、現在も仕事を続ける“Y”は幼少期を山深い地域で過ごした。彼の子供時代は長い戦争が終わった事に対する人々の安心と、これから敗けた自身の国がどうなるのか?の両方に揺らされた、正に混乱の時代だったと言う。


両親と祖母、一緒に暮らす親類達は農作業に取り組み、戦争から帰ってきた復員兵の兄は山を下りた進駐軍の基地で通訳として、働いた。


「向こうで捕虜になった時に、言葉は覚えた。悔しいけど生きるためだ」


毎日、自分に言い聞かすように、兄は呟いて、仕事に行った。実際、彼の収入のおかげで、病気がちなYは、過酷な農作業の代わりに、家で留守番をする役割にありつけた。


家族が帰ってくるのは夕方か、日がとっぷり暮れた夜になる。それまで、Yは1人で家の中を掃除し、洗濯して、帰りを待つ。


彼が就学児になるまでの1日は、大体、こんな感じだった。


寂しい事も多かったと言う。だが、1人で留守番する彼を気遣って、隣近所が頻繁に様子を見に来たりと世話を焼いてくれた。


また、天気の変わりやすい山中で、天候急変時には、前述したように、お隣から声がかかる。


Yは大きく返事をしながら、二階に駆けあがる。そして、隣家の庭で洗濯物を取り込む、

お隣の奥さんにお礼を言いながら、こちらの洗濯物を仕舞う事も日課の一つとなっていた。


だから、今回も“件の声”が室内に響いた時、夕食の仕込みを手早く止め、木の階段を軋ませながら、二階のベランダに出た。


「すいませーん、〇〇さん(お隣の名前)ありがとうございまーす」


幼い声を張り上げる自身に対し、隣の庭に立つ奥さんは片手を上げる。


そ・こ・で・異・変・に・気・付・い・た…


奥さんの全身が黒かった。2階から1階と言う高い所から低い所を見る際の、影の落ち込みではない。今日は曇りだから、陽射しもさしていない。


ただ、全身が真っ黒…“不味い”と思った瞬間、奥さんに化けたモノの足元から黒い何かが伸び、直後に眼前の手すりを、長い爪がついた茶褐色の手が掴む。


その下から爬虫類のような顔とギラギラ輝く黄色い目が覗いた瞬間、Yが絶叫し、声に驚いた隣家の奥さんが家から飛び出した頃には、相手は消えていた。


「多分、尻尾だと思います。それが人の形に化ける、疑似餌と言うか、撒き餌なんだ。私と奥さんのやり取りを聞いて真似した。今まで、そんな事はありませんでした。と言うのも…」


夜になり、家族一同と三軒先の隣近所が集まり、震えが収まらないYを囲むようにして、

話し合いが行われた。


「あもうじょかな?(←漢字名はわからないが、狐や狸と言った、化かす者を指す、

この地での名称と思われる)まだ、出るんじゃろか?」


Yを膝に乗せた祖父の言葉に、親戚が声を上げる。


「あに言ってんだ?おとう、あもんじょ(←言い方は多少異なっている)は人を襲ったりしねぇ。ちょっと驚かすくらいだ。こっつ(←コイツ)は〇〇(隣の家の名前)んとっこのかかあに化けて、Yを食おうとした。べつもんだぁ」


「じゃぁ、一体?何だ?」


「そういや、ここんとこ、あもうじょをとんと見かけなくなった。一体、どうしたべか?

何ぞ、どっかから来たか?」


「来たっていやぁ…」


「メリケンだ」


男達の話し合いの中、兄が得心いったと言うように口を開く。


「進駐軍の奴等が言っていた。船から下ろした荷が荒らされたって、何か覚えがあるようだった。大戦中はよくやられたとか言ってたからな。彼等に頼もう」


翌日、兄の乗るオート三輪の後ろに軍のジープが連いてきた。中には、米軍の将校と鉄帽を被り、銃を持った兵士が乗っていた。彼等は大きな背嚢を背負い、油断なく、辺りを見回している。


ジープから降りた白人の将校がYを見て、ニッコリ笑い、親指を立てた。


彼等が山に入ってから、何も起こらなくなった。それで全てが終わったと言う…


話を聞いた後に色々な疑問が次々と湧き上がる。米軍が当たり前のように対処していたと言う存在は一体何なのか?どうして、出なくなったと言いきれるのか?それらの疑問を

質問しようとする自身をゆっくりと制し、Yは静かに首を振り、こう締めくくった。


「全てはわかりません、ただ、そーゆう時代だったんです。あの頃は…いや、今もかな?」


70年近く前の話に改めて寒気を覚えた…(終)

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