第5話 無敵

 一番強い者を無敵と呼ぶのでは無い。敵がいない者を無敵と呼ぶのだ。私が知っているという事は、どこかで聞いた事がある言葉であるのだが、本質だと思う。

 彼は強い男ではなかったが、無敵であった。我々が中学生の頃、私や彼とは別の小学校から上がってきた者たちがいた。その者たちの中心に、沼川という人物がいた。沼川は阿呆なお笑いをする彼とは対照的に、言葉の文で面白いことを言ったり、人をいじる笑いが得意であった。また、体も大きく、リーダーシップがあり、いかにも強いリーダーであった。沼川は彼の事を良く思っておらず、内心、彼の事を見下していた。

 ある時、彼と沼川の間に転機が訪れた。彼らが同じ班になり、給食を食べている時のこと。その日の給食はトウモロコシであった。私は彼と付き合いが長い為知っているが、彼の苦手な食べ物の一つである。というのも、味が嫌いとかいう単純な理由ではなく、彼の歯並びが絶望的に物を挟んでしまうからである。案の定、無邪気に挟まったトウモロコシを見た沼川が彼に、『トウモロコシ持って帰って食べるんか』とツッコミを入れた。周りには沼川の友達に加え、彼のお気に入りの女子も居て、笑っていた。普通の人間であれば好きな女子の前で小馬鹿にされた場合、怒るかオドオドしてもおかしくは無いが、彼はなんと、"踊りながら爪楊枝を歯の間に通す"芸当を披露し、更なる笑いに変えた。よく分からないと思うが、彼の歯並びは本当にリアス式海岸のようであり、あり得ない隙間からあり得ない隙間へと爪楊枝が通っていくのである。

 それを見た沼川は爆笑し、その日から彼と沼川は親友と言えるほど仲が良くなった。中学を卒業した後も、同じ高校に進み、文化祭で共に漫才をするほどの仲になった。

 彼の自己犠牲とも言える阿呆には一体どれ程の思慮の深さがあったかは分からないが、自分は死んでもいいという覚悟のもと、更なる国民の犠牲を出さない為に米に降伏した昭和天皇を思い出した。

 彼と沼川の結託により、私たちの同級生は強い繋がりを持った。リーダーである存在が、一部自分のプライドを譲り心の距離を詰めることが如何に大切か私は傍観者ながらも肌で感じた。社会人になってそのことを思い返してみると、自分の周りには、保守的なリーダーが多く、自分の地位を守ることに一生懸命な者の何と多いことか。学生と会社員ではまた、立場が違ってくるのかもしれないが、私は彼のようなリーダーを求めている。プライドを捨てて自ら心を近づけることとおべっかすることは全く性質が異なる。その点、彼の阿呆には自信があったのであろう。私自身も心を開くことに難儀している。彼のように誰かのヒーローになるべく、またはそのような人間を少しでも増やすべく、日々忘れずこの文献を書き続けていきたい。

 ここにきて書いてしまうと蛇足になりかねないが、前章で話した”なぜ彼は阿呆であるがいじめの対象にならないか”と言う答えについてであるが、内容の通り、「彼の寛容な心と相手の心に容赦なく阿呆を入れる度胸」である。つまりは無敵の根源である。

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夢現 清志郎 @kiyoshiro

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