第4話 存在しないいじめっ子といじめられっ子

 社会に属すれば、学校でも、会社でも、はたまた家族間でも、立場的に上と下が生じてしまう。これは、人間社会というより、動物社会の原理であり、生き物をある程度統一するには不可欠な道理である。

 したがって、私と彼の学校にもやはり上下関係並びに、大なり小なりいじめっ子、いじめられっ子、または、いじりっ子、いじられっ子がいた。彼ははっきり言うとリーダー的存在であった。立場的に強いリーダー、群のボスという感じではない。いじられっ子リーダーである。

 我々の中学校では、幾つもの小学校の生徒が集まってきていたのだが、当然、入学前から上記の関係があったところも多かった。しかし、彼がリーダーになると、雰囲気が変わっていった。彼は阿呆であるから、人をいじる時、自分はさらに阿呆になる。するとどうなるか、いじられっ子からいじられるのである。文章だけでは分からないかもしれないが、これは凄いことである。

 例えば、上司と部下の関係で考えてみる。部下である君は、相当なポンコツであると同時に、周りに馴染めず同僚たちからも阻害されている。もちろん、上司からの評価も良いものではなく、今すぐに仕事を辞めてしまいたい気分だ。そこにある上司が転勤してきた。彼だ。彼は、ユーモアがあり、一たび人気者になる。他の同僚や派遣からも好かれる彼が、ある日、君にこんなことを言ってくる。「ちょ、俺、実はパンツ履いてないんだ。」周りの女性たちは苦笑い。「さすがに毎日洗ってますよね?」一人の女性が言う。「3日に1辺くらいかな。」彼は言う。「流石にきついっす。」と君は少し彼をいじってみる。彼は笑う。みんなも釣られて笑う。

 どうだろう。彼のキモさに共感して君も同僚も女性職員も少し垣根がなくなったであろう。それが彼の発揮するリーダーシップだ。もし、誰一人取り残さない社会を作ろうとするならば、彼のリーダー理論を政治家は学ぶべきである。無論、”彼のリーダー理論”は私が勝手に付けたものだが。

 兎にも角にも、リーダーが阿呆であり続ける事が、社会からいじめを無くすことであるなんてどこのお偉いさんも知りはしないだろう。ただ、この阿呆ピエロリーダーがなぜいじめの対象にならないかは、皆が気になったところであると思う。このことに関しては、次の機会に話す予定である。

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