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次の日から片付けと一緒に、父の記録した映像も探してみることにした。そのためにも、家の整理は私が率先してやる、と次の日には母に提案した。
母は父の生前から大手の出版社で雑誌の編集者として働いている。私は家事も料理も掃除も全然できない。だから、できることだけでも忙しい母の役に立ちたい、という理由もあった。
20時過ぎに疲れたように帰ってきて、スーパーのお惣菜を並べ始めた母に言うと、「ごめん。だけど助かるわ。お任せしてもいい?」と疲れた顔で言っていた。
家を片付け、荷物を整理し、隠された立体映像を発掘していく。立体映像は家のなんでもない景色に紐付いて、残されていた。
例えば、ベランダにある家庭菜園の植木鉢。最近は忙しくて手入れはされてない。その鉢にメガネをかけて視線を向けると、昔、母が育てていた白いカモミールの花がぼうっと浮かぶのを見つけた。
リビングのテレビ代の横にあったくずれ掛けのジェンガの土台を見ると、綺麗に積めた時のジェンガの塔が重なって映るのに気づく。もちろん触ってブロックを抜くことはできないけど。
いつ撮ったのだろう、なんてことのない瞬間を、日常の見慣れた景色に重なって保存されていることが多かった。
なんだか家に眠る宝探しをするようで、自然と家にいるときは常にそのメガネをかけるようになった。
ふと昔、そのメガネについて父に聞いてみた時のことを思い出す。
確か幼稚園のお遊戯会のあった日だった。家のリビングでご褒美のオムライスを頬張り、今日どれだけ頑張ったのかを自慢げに話した時だっただろうか。
その日は休暇をとってくれていた父が、ふとメガネの側面あたりをじっと手で押さえている様子が気になり、確かこんなことを聞いた気がする。
「お父さん、いつもそれかけてるけど、おめめ悪くないんでしょ?」
「え? ああ、そうだね」
「じゃあ、それメガネじゃないの?」
「うーんと、そうだね。これはね、ちょっと特別なメガネなんだ」
寡黙だった父がその時はやたらと饒舌に表情豊かに話すものだから、言葉だけははっきり記憶に残っている。
「お父さんの仕事はね、大事だったものをここに残すことなんだ。大切なものはすぐ見れなくなってしまう。だから、なるべく見逃さないように、お父さんはいつもこれをかけているんだよ」
「お父さん、忘れっぽいの?」
「あはは、そうなのかもしれない」
その時久しぶりに父が笑うのを見た。その表情はぼんやりとしているけど、そうだった気がする。
夏休みに入って一週間が経った。まだ外も暗くなる前。時計を見ると夕方6時を回っていた。片付けの休憩でベッドに寝っ転がり、父のメガネをいじっていると、玄関の開く音が聞こえた。
「ただいまー」
母の声が聞こえて、自分の部屋のベッドから身を起こし、私はリビングへ向かった
「あれ、今日早いね」
「来週、忙しくなるからね。ちょっと時間の前借り、させてもらった」
お、結構片づいわねー、と言いながら母はダイニングテーブルにビニール袋を乗せ、リビングのソファにジャケットとバックを放った。
「今日は久しぶりに夕飯作るわね。ちょっと待ってて」
そう言い、すぐ母はスーパーの袋を持ってキッチンに向かい、着古している黄色いチェックのエプロンを着た。
私はダイニングテーブルの椅子に腰掛けながら、その後ろ姿を眺めていた。ふと、さっき思い出した父のことを聞いてみたくなった。
「ねえ、父さんってどんな仕事してたの?」
私はメガネをいじりながら母に聞いた。
「どうしたの? カメラマンよ。え、もしかして、知らなかったの?」
「いや、それは知ってたけど。でもあんまり写真もなさそうだったから」
父の部屋には、物理的な写真は少なかった。こんなメガネ型のデバイスで記録をするような人だから、そちらにはあまり興味がわかなかったかもしれない。
「まあ、映像が主な専門だったからね。立体映像を配信するメディアも今でもまだ少ないし。でも、私は父さんの撮ったもの、好きだったわよ」
「うん。私も」
トントントン、とまな板の音が響く。久しぶりに聞くその音を耳を澄ませ、母の後ろ姿をじっと見つめた。すると、その後ろ姿に白い円がくるくると周る。
もしかして、ここにも何かお宝が隠されているのだろうか。
しばらく見つめ続けると、あの音が聞こえ、立体映像が浮かび上がる。すぐ手元に小さい何かが現れたことに気づいた。テーブルの上に現れたそれは。
ケチャップのかかったオムライス。
それがぷかぷかと少しだけテーブルの上に浮いていた。
「オムライス?」
「え、なに?」
母の声が聞こえたと思ったら、オムライスの右隣に重なるように次々と何かが現れるのが見えた。
よく見ると何故かそれもオムライス。今度はちょっと失敗したのか、卵が破れチキンライスが盛大に見えてしまっている。それを隠すように多めのケチャップが載っていた。隠しきれていない。
気づくとすぐ左隣にも別のオムライスが現れた。こっちはビーフシチューがかかっている。横には私の好きなホワイトソースのオムライスもいくつか見える。黄色を基調として赤、オレンジ、白、焦茶色。その横には数は少ないけれど、緑色がいくつか。レタスのサラダらしい。
椅子を立ち、テーブルを見渡す。卵の焼き加減や見た目に変化があるけれど、テーブルの上にはたくさんのオムライスが所狭しに広がっていた。少し下に浮いていたり、上に浮いていたりするものもある。高さの違うテーブルを使っていた時に記録したものもありそうだ。
立体的に層を成す黄色、それにたまに緑。なんだかひまわり畑みたい、だと思った。いや、花ではないんだけども。
「え、なんなの? あ、またお父さん変なものを記録してたの?」
母が振り返り、私に怪訝な目線を向ける。
「ねえ、父さんの好物ってなんだった?」
「オムライスでしょ」
母は迷いなく即答した。
「あの人、何も考えてないのか、何食べたいって聞くとオムライスばっか言うのよね。考えるのも楽だったし、助かったけれど」
母は懐かしむような表情を見せ、そうだ、と何かを思いついたように私の方を向いた。
「今日の夕飯、オムライスでいい? シチューにしようと思ってたんだけど、クリームシチューオムライスにしちゃおう」
「いいね」
私も言おうかと思っていた。それを聞いた母はキッチンに戻り冷蔵庫の扉を開けた。
「あれ、卵切らしてたわ」
「じゃあ、私買ってくるよ。そこのコンビニにあるよね」
言いつつ、私はメガネをテーブルに置き、玄関に向かった。
「ありがとう、暗くなってきてるから気をつけてね」
母の声にうんと答え、玄関の扉を開けて外に出た。扉を閉めようとした時、部屋の中を見ると、懐かしそうな顔で父のメガネをかける母の姿を見つけ、なんだか心が温かくなる。
でも同時に、少し羨ましいとも思ってしまった。なぜかあのお葬式での親戚たちの会話が聞こえてくるようだった。なんでこんな時にそんなことを思ってしまうんだろう。蒸し暑い。もう外は暗くなり始めているというのに。
暑さを振り切るように、急いで家の扉を閉めた。
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