第50話 それぞれの道
『 GA歴八十七年 十月十四日 二十四時 』
――先の戦いから、幾月が過ぎたある深夜のこと。
「おぎゃぁぁぁぁぁ……」
『
「やったぁぁぁぁ!!!」
廊下で待ち構えていた
その目にはすでに涙が浮かんでいる。
「母さん……」
「お
「……良かった」
少し離れた壁際で、
その声には、誰よりも強い想いが込められていた。
――家族がまた、ひとり増えた。その喜びの傍らで、
忘れようとするにはあまりに重く、
それでも今はただ、母が無事で、赤子が元気で、家族が笑っていることに、心から安堵していた。
ほどなくして、分娩室の扉が音もなく開いた。白衣の女医が現れ、穏やかに告げた。
「ご出産、おめでとうございます。母子ともに健康ですよ」
「……そうですか……ありがとうございます」
「さあ、皆さん、お入りください」
促されるまま、
「ありがとう……
言葉の最後は涙にかき消される。号泣する朱角の姿は、不器用な彼が家族を心から愛していることを何よりも雄弁に物語っていた。
「あらあら、
「ああ……」
「ほら、皆も来て。新しい家族……あなたたちの弟よ」
「えっ!弟かよ!? 良いじゃねぇか!」
「……母さんは大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう、
そして、分娩室の隅に立っていた
「さあ、
「うっ……うん……」
その瞳に宿るもの――それは希望の光のようであり、しかし彼には、どこか遠くを見るような表情にも思えた。
「……あのぉ、母上。この子……なんか難しい顔してるよ」
「そう?そんなことないと思うけど」
「そうだぞ
「それはない」
即座に
「それはないよ、
「
「痛いよぉぉ」
まるでいつもの兄弟喧嘩のように、
「さあ、皆さん。病室に移りますよ」
看護師が、場の空気を察しながらそっと声をかけた。
「はい、お願いします」
深夜の病院――眠る街の静けさの中に、小さな
* * *
三日後、昼下がりの陽射しが柔らかく差し込む中――
玄関の引き戸を開けた瞬間、
「あれぇ、なんで皆そろってるの?」
目の前に並んだ顔ぶれに、思わず驚いた表情を浮かべる。いつもなら仕事や訓練で忙しい面々が、今日は全員揃っていた。だが、そこに
「おかえり、
「まあ……嬉しいわ」
「母さん、おかえり。赤ちゃん預かるよ」
「あら、ありがとう
「おう、お袋。お勤めごくろうさまでしたぁ」
「……
「ああ、西暦時代のヤクザ映画ってやつに最近ハマってんだよ」
「ヤクザ……? ああ、掘り下げたくないから説明はしなくていいわ」
「お袋も大概ヒデェな」
「どうだ、
「父さんも、久しぶりでしょ」
「そういえば……なんかスマンな」
そんなやりとりの中、ふと
「あれ?
その問いに、場の空気が一瞬だけわずかに沈む。
「
「そう……」
「ちょっと、顔を見てくるわ」
家族が見送るなか、彼女は静かに二階へと向かっていった。息子の心に触れるために――。
* * *
暫くして、階段を踏みしめる足音が聞こえた。
振り返ると、
「おう、
「
「おはようではないぞ。もう昼過ぎだ」
「そうか……ごめんなさい」
彼は無言のまま、ゆっくりとベビーベッドのそばへと歩み寄った。
そこで静かにしゃがみこみ、赤子の顔を覗き込む。
「僕は……
「君は……僕が……今度こそ……」
言葉の続きを飲み込むように、彼は目元を押さえた。
その頬を、一筋の涙が静かに伝っていった。
「あっ、なにこいつ。泣いてるじゃん」
その目はどこか優しく、なんとか弟に笑ってほしかった。
「……泣いてないよ」
「
「……すまん、
その空気を切り替えるように、
「とりあえず、
そう言って赤子を抱いたまま、
「これから命名式を行う」
思いもよらない言葉に、部屋の空気がぱっと明るくなった。
「マジか!? 赤ちゃんの名前か。決まったのか、
「ああ、
「では発表するぞ……じゃーーん」
気取った調子で半紙を広げ、皆に見せる。そこには力強く筆で書かれた一文字。
「
「おお、なんか賢そうな名前だな」
「いいと思うよ、父さん」
「うん……いいとおもう」
「いいか。俺は今、『アドルフ』の
その声には確かな決意と覚悟が宿っていた。
「だからこそ、俺は
言葉のひとつひとつが、胸に響いた。
「おお……良いこと言うな、
「さすが、父さんだね」
「
一方で、
その場の空気に身を置きながらも、まだ心は迷いの中にある。
その瞳の奥にある深い影――それが、ほんのわずかに見えた気がした。
(……
このままでは、あの子までも……そんな思いが、言葉にはならず胸の奥に沈んでいった。
だが、今はまだ語らずにおこう――家族が寄り添う、この小さな時間を大切にするために。
* * *
命名式が一段落し、場の空気が少し和らいだころ――
「でも母さん……なんだか元気だよね。寝不足とかじゃないの?」
心配そうに眉を寄せながら見つめる息子に、
「それがね、
「えっ? どういうこと?」
「あのね、昨日まではそんな様子全然なかったの。でも、今朝になって……」
「実はね、朝のことなんだけど……」
そう言って、彼女はゆっくりと語り始めた。
その口調には、母親としての実感と、我が子への愛しさが滲んでいた。
だが、その小さな
* * *
その朝、『
静かな気配の中、
「うーん……良く寝た……」
ぽつりと漏れた声に、自分で少し驚いた。
(ん? 良く寝た?)
(え、夜泣きは? 全然起こされなかったんだけど……)
心の中で呟きながら、胸にざわつくものを覚える。
すぐに隣に置かれたベビーベッドへと身を乗り出した。
「
急に込み上げた不安が声に出る。
ほんの一瞬、何かあったのではと全身が冷たくなった。
しかし――
「あっ……ふぅ、生きてる……」
張りつめていた肩の力が一気に抜け、胸を撫で下ろした。
すると、
「あー……うー」
まだ眠そうに唸っているようだが、どこか意志を感じる声だった。
「おはよう、
優しく声をかけてみる。すると――
「おあおう」
まるで返事をするような声が返ってきた。
「……え?」
今のは――まさか――
「ん? 今……『おはよう』って言ったの、この子……?」
目をぱちくりさせながら
(そういえば昨日も……看護師さんのホロスモニターを、穴があくほど凝視してたわね……)
思い返せば、生後三日にしては少し変わった様子があった。
それを「赤ちゃんだから」で済ませていたが――いま目の前で、自分の言葉に反応したように見える息子を前に、
「もしかして……
驚きと喜びが混ざった感情が一気に吹き出し、
「すごーーい
病室に響き渡る声――
それは、母親になってわずか三日目の彼女が、初めて心から放った“親バカ”の歓喜だった。
* * *
その表情には、どこか誇らしげな気配と、まだ信じきれないような不思議さが同居していた。
「……なんてことがあったのよ」
話を締めくくると、
「気のせいじゃねぇの?」
と、
場を崩すつもりではなかったが、素直にそう感じてしまったのだろう。
「アホか、
途端に
「はいはい、ごめんなさい」
そのやり取りを見ながら、
その声には冷静な分析と、同時にわずかな警戒心が滲んでいた。
「でも母さん……もしそれが本当なら、“超天才”って言葉で片づけちゃダメな気がする。何か……もっと根本的な異常かもしれないし……」
その思慮深さゆえに、
しかし――
「
その声には母としての確信と、何より“我が子を信じたい”という強い気持ちが込められていた。
「だって……私たちの家族なんだから」
その一言に、
(そうだね……家族なら、まず信じてあげないと)
彼は自分の思考がやや先走っていたことに気づき、小さく頷いた。
「……そうか。そうだね」
その返事に、
「そうだよ
その声は、どこか誇らしげで、
「もしかしたら、もう
「ぐっ……」
「……ちょっと悔しいかも」
珍しく感情を表に出した兄の様子に、
「ははっ、
めったに見られない反応に、まるで宝物でも見つけたように嬉しそうだった。
「……まあ、これでも人間だからな」
その言葉に、家族の間にくすりとした笑いが広がった。
* * *
「そういえば
ふと、話題の空気が落ち着いた頃を見計らって、
瞳にほんのりとした期待の色が浮かんでいる。
「ああ、できたよ。完全に理解した。じゃなきゃあの戦いでアドルフは戦えなかったろ?」
「確かにそうだよな。さすがだな」
「実はな、父さんと母さんにはすでに話したんだけど――」
「
「……そういえば、ミコのやつ、まだ目覚めないのかよ」
明るく振る舞ってはいるが、
仕事の合間を縫って『
「先生が言うにはね、“すべて正常です”って。けど……どうしても目覚めないのよね」
母として、医師として、何もできないことへのもどかしさが滲んでいた。
「バクマから聞いた話だけどさ……ロゴスの力が
それが今、自動修復中で……いつ目覚めるかは、バクマにも予測できないってさ」
「……うーん、待つしかないのか……」
つぶやいたその声は、今にも握り拳を作りたくなるような歯がゆさに満ちていた。
「――それで話を戻すけど」
「おう、それで?」
「
「なにぃぃ!? じゃあ、
「ああ、理論上はね。ただし……母さんが研究してる、『ゲノムストレージ』の技術が必要だ」
「えーとぉ……『ゲノムストレージ』に記録された“正常だった頃の情報”を取り出して、最新の記録に書き換える技術……だったよな?」
「正確には“書き換える技術”が要なんだ。
『
「三か所の丹田……? そんな内臓器官、あったっけ?」
「臓器じゃない。ゲノムレベルで存在してる。
“脳”、そして“心臓”、それから……
「そんなの……論文にも載ってなかったぞ」
「
「……ついこの間って……マジかぁ。お袋、すげぇ……」
「ちなみに、『
脳にあたる“CPU”、心臓にあたる“動力”、そして臍の下にあたる“エネルギー供給”。
この三つが揃えば、兵器でもロボでも魔法発動が可能になる」
「なるほどな、西暦風に言うと“ICチップ”と“モーター”と“電池”だな」
「なんで西暦風に言うんだよ」
「まあまあ」
「でね、今は私のチームで『
「そうなのか!? お袋のチーム、優秀だな」
「でもね、人間の場合は――ロゴスの欠片を持つ者じゃないと機能しない」
「ああ、そうだったな」
「で、『
「ああ、そっちはもう完成してる。
実はね、バクマの『
それを取り除いたら、普通の人間でも起動できるようになったんだ」
「……でもバクマって、あの認証ありきで動いてんだよな? あいつ……何者なんだ?」
「まあ、何者でもいいだろ。便利だから」
「まあ、いっか」
「――ということは、じゃあこっからは俺の出番ってわけだな」
「そういうことだよ、
「で、
「うーん、ボクはぁ……巨大ロボとか宇宙戦艦とか……やってみようかと……」
「マジかぁぁぁ! いよいよ
「なんだよ
祈琉が反撃。
「なっ……! 言うなよ
「照れるなよ。
「……まあな」
『
* * *
ある日の夜――
『
「一ヶ月ぶりね」
箸を置いた
「ああ、
「ていうか
「仕方ないわよ。皆の予定を合わせないと、なかなかこの家には戻れないもの」
「まあ、そりゃそうだけどよ……」
「でも見て。
誇らしげにそう語る
「マジで? すっげぇー」
「まあ……まだ声帯が発達しきってないから喋れないけどね、ふふっ」
「そうなんだ……」
「でも最近は、一生懸命、研究室にあるホロスモニターの論文ばかり読んでるのよ」
「……
「そうですね」
「おい、
「……ほっといてください」
「おまっ……
「殴りますか? 痛くないですけど」
「くっ……腕力じゃ敵うはずもねぇしな……くそっ」
「でも
その声に、
「……はい。
「ああ、もういいよ」
しばらく沈黙が落ちた後――
「あのぉ……お父様とお母さまに、お話しがあります」
「どうした、
「何かしら?」
「僕は……その……四月になったら、『大阪都』の中学校に転校したいです」
「なにを言っている。一人で『
「
「そうだぞ、
しかし、
「……苦しいんです……」
「……え?」
「もう……ここに居ることが、苦しいんです」
その言葉に、食卓の空気が凍りついた。
「
「……」
「お
「……」
「僕は、お
そこまで言って、
「……うん。苦しいのは……よく分かったわ」
「
隣にいる夫に、迷うように尋ねた。
「十三歳のお前を、一人にすることはできない」
「お
「最後まで聞けっ!
「……はい」
「だから条件をつける。中学を卒業するまでは、『
「はい……」
「それと、
「……はい」
「月に一度は必ず連絡をよこせ」
「はい」
「年に一度は必ず帰ってくること」
「はい」
「以上だ。これを守るなら……良し。
「良くないわよ……! けど……今の
「……ごめんな、
「
母として、ただその一言にすべてを込めた。
「……うん……母上……」
「……分かったわ」
その表情には、母としての痛みと、わずかな希望が、複雑に交差していた。
* * *
場の空気が少し落ち着いたその頃、
「
その瞳には迷いのない真っ直ぐな意志が宿っていた。緊張を押し殺しているような声音に、ふたりの兄もすぐに気づく。
「えっ? あ……うん、いいよ」
「今じゃないのか?」
「はい。後ほど……お願いします」
「……分かったよ。待ってる」
「ああ、いいぜ」
「お二人とも……ありがとうございます」
* * *
そして、翌年の三月の終わり――。
「
玄関から声を張り上げたのは
「ごめんなさい、ちょっと色々見て回ってて……」
リビングの方から現れた
「もう、仕方ないわね……」
「
「そうかもね……」
「あれ? お母さま。泣いてるの?」
ふと気づいた
「泣いてるわよ……当たり前でしょ」
言葉とは裏腹に、その表情には優しさと誇らしさが同居していた。
「
「
タクシーのそばには、見送りに来た
「ああ、
「
突然、
「ちっ、
いきなりの抱擁に戸惑いながらも、
「おでっ……ひっく……ひっく……」
「はいはい、
そのとき、
「
差し出されたのは、一つの腕時計型デバイス――ブレスだった。
「ブレスですか?」
受け取りながら
「ああ、お前、ブレスも持ってなかったろ」
「例のヤツとリンクしてるから」
「ありがとう、
「それと、なんかあったら連絡してこい。俺たちがサポートしてやるからな」
「ありがとう、
「そういえば……お前、言葉遣い治ったな」
「そうですか? まあ、弟もできましたしね」
少し大人びた表情でそう返した。
「……そうだよな。じゃあ、『
「うん」
「ガンバレ、
「うん」
「またね、
「お母さま、また……」
「皆、色々とありがとうぉ……!」
「いっどぉぉぉぉ、がんばれぇぇぇぇぇ……!」
扉が閉まり、車がゆっくりと走り出す。その背中を、家族が、しっかりと見送っていた。
そこに
――そして・・・
いのち紅(くれない) 須能寛治 @ishi-kei48
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