第3話 予期せぬ成就は逆に重荷となるばかり
翌週、白田とKは再びサウナで対面した。
Kの驚いたことに、白田はあの豊かな毛髪を、思いがけぬ奇跡の授かり物を、すっかり剃り上げて元の亀頭頭(きとうあたま。亀頭のような頭の意)に戻っているではないか!
いまや似たようなつるつる頭となった二人は並んでサウナに腰掛ける。
・・・・・・
沈黙を破ったのはKだった。
「貴様、なんでおれの毛髪を犠牲にして授けたせっかくの髪の毛を・・・」
白田は照れたような笑いを浮かべて答えた。
「いやあ、カミさんやウチのガキには好評だったんだけど、あのまま会社に行ったらおれのことを嫌いな部下や同僚どもに陰口叩かれかねないだろ? 『うわ、あいつヅラ被ってやがる』とかさ。そういう隙をあいつらの前じゃ一寸たりとも見せたくないわけヨ」
「おれの毛髪を犠牲にしたってのによ」Kはいささか無念そうである。
「なんだ、おれが頭を剃ったのがそんなに残念か?」
「ああ」
「おめえの犠牲が無駄になっちまったってか?」
「ああ、でも今はてめえのなんぞより、おれの頭頂部の方が心配だけどな、全く。普通は髪の毛を剃っただけなら、今ごろ磁石を近づけた砂鉄みてえのが可愛らしくびっちり頭に生えてきてよ。ちょうどいがぐり坊主みてえな頃合のはずよ。それがおめえ」と、Kはガチョウの卵みたいな頭を撫でながら、「ペンペン草も生えねえたぁ、このことよ。核戦争後の地表じゃあるめぇしよ」
「そんなに物足りねぇなら、しこたま肥料をこしらえてやるぜ」
Kは突然、白田に尻を向けた四つん這いの姿勢をとり、とんでもない量の下痢便をヒリ出した!
幸い、反射神経に優れていた白田は寸前で下痢便攻撃を避けたが、それでも眉毛には何か白い細切れのようなものが付着した。
それはKのケツ毛に絡んでいた便所紙のカスだった。
白田はサウナを出るや、Kから逃げ出した。全力疾走、といきたいところだったが銭湯の浴場内はなにせ足が滑るし、他の利用者とごっつんこの恐れもある。早歩きで急いだ。
あらゆる種類の湯船に浸かったりベンチで外気浴を堪能していた他の客の視線が、白田とその背後に寄せられる。
なに、動じる必要はないし、走る必要もない、と白田は自分に言い聞かせる。
背後のKは下痢便を放ちながら白田を追ってきてはいるが、四つん這いで、しかも尻をこちらに向けた後ずさる格好なので追いつかれる心配はまずない。それにきっと、すぐに施設の従業員さんか勇敢な銭湯利用者に取り押さえられるに違いない。
白田は早歩きのまま星のまたたく空を見上げた。半月がすぐ隣の木星と連れ添って輝いており、今晩の星空の主役はあのペアに違いない。
おれとKも、いまこの瞬間、十分に注目を集めていた。おれが木星、お月様の座はあいつにくれてやらあ。
おれを追い続けるKは四つん這いで逆向きのまま、止まらない下痢便を放ち続け、サウナルームからの二人の軌跡が、茶色い糞と糞液で残された。
だがここまでだ。白田は脱衣所の横滑りのドアをピシャリと閉めて束の間の珍道中に終止符を打った。
哀れなKは、四つん這いのままではドアを開けられず、ガラス窓に糞便を吹きつけながら、バニラアイスみたいに白い、ただ今ではチョコチップじみた色合いもまぶされた尻を何べんも(軟便?)ドアに叩きつけて大げさな音をたてるばかり。
白田は出入り口の脇にある水飲み場で水分を摂ると、ロッカーを開け、ゆっくりとバスタオルで体を拭いた。念の為、鏡越しに糞がついていないか念入りに確認しながら。
白田の眉毛に引っかかっていた便所紙のカスが、空調の風でほのかに揺れた。顔に当たる風は優しく、白田は思わず春の息吹、と小さく声に出した。Kの尻が脱衣所のドアを尻アタックする騒音と糞便放出音が空間を満たしているおかげで、多少の独り言は誰にも聞こえない。
ドアを隔てたすぐそばでは糞便祭りが行われているというのに、いやむしろそのせいで白田の心は現在いる空間と時間から遠く離れて、例えばウィンドウズXPのスクリーンセーバーみたいな青空の広がる緑の丘に寝転んでいた。シロツメクサを指先で撫でながら、あたりの草がそよ風で小刻みに揺れるさまは視力の悪い白田にはデジタル映像のノイズのように見える。タイワンリスが餌を求めて寄ってきた。きっとかつて、おれがここで餌付けしたのだろう。あるいは他の誰かが。
白田にとって至福の空間だった。意識を戻せばドアのすぐ向こうは地獄の光景なのだろうが。でも白田はその地獄の生成に自分は一切加担していないし無関係だと断言できたので、その確信を持って堂々と、しばらく指先とリスとの戯れに興じた。
(完)
春の息吹は 富山屋 @toyamaishikawa
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