第5話 おばちゃんとご近所奥様達
私達が住んでいるのは東京都23区内。
以前は、広大な敷地とお屋敷があったらしいが、遺産相続で分割され、その一部を購入した不動産会社が12戸の庭付き駐車場付きの高級住宅として分譲販売した。
その1戸を夫と義両親が決めて、ローンを組んで夫が購入した。そこに私の意見等は当然ない。
12戸には大手がつくメーカ、TV局、銀行、証券会社、IT企業、大学病院の医師や国家公務員等、以前住んでいた社宅の周辺とさして変わりない家族が集まった。
近所の手入れの行き届いた公園に行けば、全身ブランド服や有名アウトドアメーカーの服を着た親子がにこやかに集い、「ごきげんよう」と挨拶をしてくる。
駅前の商店街も、近場のファミリーレストランでも、どの家族も一様に礼儀正しく騒がしい者はいない。地区全体が落ち着いた居心地のいい穏やかな時間の流れる地区だった。
12戸の家の12人の奥様達は直ぐに仲良くなり、当たり前のように順番に各家でお茶会をする。何のことはない、お茶会を口実にした各家庭の品定めだ。
似たような間取りの似たような値段の家。購入できるという事は収入も似たり寄ったり。他で格差をつけるのは、インテリアと車になるのだろう。
私が見た感じでは三者三様で比べるべくもない気はしたが、それでもランクをつけたい方はいて、自然と12人の奥様達は3つのグループに分かれた。
おハイソグループ(すべてにおいてハイクオリティー)。
若奥様グループ(年代はさして変わらないが、その数年で自分達は若いと一線を引く方達)。
そして、私が入ったあまり様々な事を気にしないグループ。
全員専業主婦だが、ハイソグループ以外は、子供達が小学校に入るとパートを始める奥様も増えて来た。パートで働く奥様達を、ハイソ奥様達はこそこそと陰で笑うようになり、段々と距離が開いてきて、次第に我儘や見解相違が出て生きて軋轢やトラブルが出る。
だが、夫の職業は必ずどこかで関係しあう職業同士であるため、大きなトラブルにはならない。にこやかに微笑み上品な日々の挨拶の中に、棘のある言葉で相手を攻撃するくらいだ。
私は夫の方針(見栄)でパートに出るのを禁じられていたのだが、子供達の大学進学で夫と揉め、夫が支払いを拒否した塾代や受験代を賄う為に働きに出ることにした。
だが、20年近く働いていない、スキルのない女性の働ける場所は限らている。なので、スキルをつけながら近隣のスーパーでパートタイムで働きだした。
すると、ご近所の奥様達の態度に少し変化が出た。
いままでゴミ出し等で会った時には挨拶をしていたハイソ奥様達はあからさまに無視をするようになり、時々陰でひそひそと笑うようになった。
生活が苦しいのね。
無理をしているのね。
もっと身の丈にあった場所に引っ越せばいいのに。
的外れな中傷を聞こえよがしに囁く。
でもそれは予測範疇の反応だったので、不愉快ではあったが問題ではなかった。ただただ下らない反応だった。
だけど、フルタイムの会社勤めになった途端、今度は仲良くしていたはずのグループの奥様達の態度が変わった。
パート勤めの時は、「お互いがんばりましょうね」と声をかけてくれたりしてくれたり、たまに以前のように有給休暇を取れた日にささやかなお茶会を開いたりしていた。
だのに。
久しぶりのお茶会の席で、彼女達は露骨なよそよそしい態度で、満員電車で通勤する私の事を見下す言葉を投げてきた。
一見優しそうな思いやりの言葉を重ねながらも、要約すればこうだ。
同じ「妻が働く」という立場でも、近隣にパートの彼女達は生活が苦しいわけではなく、時間が空いているのでしているだけの余裕のある者達なのだと。
方や朝早くから満員電車に乗車し夕方まで勤務し、同じく満員電車で疲弊しながら夜に帰宅して、そして家事もこなさないといけない私は、生活に困っている為働いている困窮者であり、負け組なのだと。
彼女達は一様に私を慰め労わる言葉を口にしながら、言葉の端々に目に口元に表情や目配せで、蔑み哀れみこき下ろす。
唖然とした。
働くことにこんな線引きとこんな風にされるとは思わなかった。
朝、すれ違う時にあから様に
「まああこんな早くにご出勤ですの?大変ですわねえ」
「まああ、こんなに朝早くに知らない人とぎゅうぎゅうの電車やバスに乗られるなんて、私にはできませんわあ」
と、ほほほほと笑いあう。
所詮、ご近所はご近所。赤の他人なのだ。何を言われようが、子供達が希望の大学に進学できるように母親として頑張る事が優先だったので、悔しかったが気にはしないようにしていた。
我慢ならなかったのは、彼女達は子供達にも見当違いの優しい罵声を浴びせたことだ。
「ちゃんとご飯を食べられている?」
「学費を稼ぐためにバイトでもしているの?毎晩遅いけど…無理しないでね」
「お母様がおお家にいらっしゃらないと、大変でしょう?変なにおいはしないけど…お風呂には入れて?お洗濯はできて?」
「まさか、〇子ちゃんがお夕飯をつくったりしているの?うちの娘には包丁すら持たせたことないわあ。大変ねエ」
だが子供達も負けてはいなかった。母親譲りの笑顔でにっこりと返すと、よくとおるはきはきした声で明るく返す。
「ご心配ありがとうございます。母が美味しいごはんを作ってくれるので、少し太りました」
「大学生でバイトをしていないのなんて、今時いないですよ。社会勉強の為にもバイトは有益ですよ」
「小学生ではないので、家事は家族で分担ですよ。母も家の中を綺麗にするのが好きなので、いつもきれいですよ?見ます?」
「ええ~~?〇美ちゃんはお料理できないんですかあ?あははははは」
でも、私達家族がどんなに悪意を跳ね避けようが、夫がどれだけ夫を中心とした最高の家族であると虚勢を張ろうが、その住宅街では最低ヒエラルキーの家族と位置付けられた。
でも。本音を言えば、仲の良いと思っていた奥様達の態度の変化が一番堪えた。 悲しかった。子供達と年の同じ子供のいる方もいたが、その子達も私の子供他c着と距離を取るようになったりするようになったらしいのが堪えた。
だが、子供達は彼等が満足するご機嫌取りなどできないので、それで離れるのならそれまでの人達だったんだと、ばっさりキッパリしていた。
子供達の方が大人ね…と苦笑した。そういつまでも気づい付いてなんかいられない。私と子供達にはそんな優しい棘は何時までも効果もない。
何故なら、外より、家の中に大きな脅威がいたからだ。
がむしゃらに働いて、近隣とも近くて遠いほど良い距離感のご近所お付き合いを続けていると、住宅街で変化が見えてきた。
休日の夕方、夕飯を作っているときに、一番大きな区画の家に住んでいたハイソ組の方が挨拶に来た。旦那さんの早期リタイアで、旦那さんのご実家のある東北に転居するのだと言う。
彼女は代官山で有名な洋菓子屋の可愛い焼き菓子の詰め合わせを渡してきて、明日にも東京を離れると寂し気に言う。
気づいたら、いつも高級エステで手入れをしていると自慢していた、シミ一つない陶器のような肌に、ずいぶんと皺がうっすらとある事に気付いた。
彼女は笑って言う。
「今だから言えますけどね、私達、貴女の事を随分と羨んでいましたのよ」
「は?」
「ふふふふ、そのお顔ですと、まさかと思っていらっしゃいますわね?」
「え?ええ…だって、皆さんは優雅に専業主婦でエステにテニスにゴルフに、ダンスや胡弓を習い、お茶会や高級ホテルやレストランでランチ会等なさっていましたもの…。
私は、毎日満員電車に揺られて、夜までクタクタになるまで仕事をしていましたから…羨ましく思っていたのは私ですよ?」
「そうね。確かにね。確かに私達は夫の収入で自分達の趣味も好きな事もできる、子供達にも不自由も苦労もさせない勝ち組だと思っていましたわ。
でもそれだけ。
贅沢な悩みのように聞こえるかもしれませんけどね…。夫達と同じように社会に働きに出て、様々な世界を見て経験して生きているあなたが羨ましかったのよ。
でも私達は安定した生活や生き方を壊してまで…何かをする勇気はなかった。周りも輪を乱すのを許さない圧力があった。
でも…背筋を伸ばして社会の中に戻り、夫達と同じように働き、そして家事も子育ても専業主婦の時と同じようにこなすあなたが…そのあなたを手助けしてくれる子供達がいるあなたが…
妬ましかった」
私は驚きで彼女の真っすぐに見つめるどこか悲しい目を見つめました。
「あなたが仕事をしながらも、私達の専業主婦に遜色ない家の管理をしていることに…実を言えば、夫達に無能のように言われて、貴女を逆恨みしたこともありますのよ」
「え?」
「あの奥さんは自分達と同じようにフルタイムで働いているのに、専業主婦の頃と変わりなく家の維持管理をしている。それに比べて君はただ家の事しかできなんだねと、何か喧嘩する度に言われ比較され、立腹していたの。あなたに。
ですから…
ゴミ捨て場や道でお会いした時に…ついつい失礼な態度をとってしまいましたの」
くすくすと彼女は笑う。
「下らないわね。わかっていたの。いかに自分が幼稚な下らないことをして、貴女に八つ当たりして溜飲を下げているつもりになっているかは。
今更ですけど…
ごめんなさいね」
私はぽかんとした。そんな言葉を言われるとは思わなかったからだ。彼女はいつでも自信に満ち溢れ背筋を伸ばし、自分が正しいと堂々としていた。人に謝ること等ない方と思っていた。
「私もね、今回、主人のリタイアで主人の郷里に戻ることになり、同じような下らない妬みや嫉みで色々中傷をうけましてね。
ああ、因果応報なのだなア…と、つくづく思いましたの。
ふふふふ、下らないんですのよ。
私の言葉遣いが「すかしている」とか、この服装が「気取っている」とか、そんなことで露骨に聞こえるように私を中傷する言葉を背中を向けて堂々と話しているの。くだらない。そんなことしても自分の心の穴には何も埋まらないのにね。
私も…やっとそれに気づいたの。
だからなんだということなんだけど…その…
これからも頑張ってくださいね」
彼女はぺこりと頭を下げ、少し寂しそうに微笑んで遠い旦那さんの郷里に行ってしまった。
そして気づいた。
ほぼ同じ条件でスタートしていたこの住宅街の人達も、数組が様々な理由で離婚し転居し、違う家族が住んでいる。子供達が独立し、親の介護で郷里に戻る方もいれば、親を家に引き取り髪振り乱して面倒を見ている方もいる。
娘夫婦が近くのマンションに住み、ほぼ毎日のように娘が孫を連れてきて押し付けるので、子育て時代よりもつらいと嘆く奥様もいる。育児に掛かるお金はいれてくれないので、年金から取り崩して孫の面倒をみていると。
高学歴の大学進学し海外留学した息子の後を追い、共に海外で暮らしている奥様もいる。旦那様は一人家に残り、時々ぼーっと庭の植木に水を上げている方もいれば、毎日家で怒鳴りまくっている方もいる。
我が家はどうなのだろうか?どせ一番ランク下と思われているのなら、もうこれ以上どう思われようが構わない、自分に子供達に世間に恥じることが無ければいいと生きて来たけど…我が家はどうなんだろう?
夫は家で一人で居丈高で私との会話は命令と罵倒の時だけ。子供達は全員無事に大学を卒業し、それぞれ独立している。心配事は、私が離婚したり死んだ後に、娘に私の身代わりをさせようと夫や義両親の考えに娘が犠牲になること。
私達家族も…もう空中分解した意味のない家族となっているのだと…すっかり古ぼけた住宅街を見回しながら苦笑した。
数年後、私もこの住宅街を卒業し家を去った。
以前、仲良くしていた奥様がおずおずと見送りにいらして驚いた。
そして涙をにじませ、あの時は酷い事をいいごめんなさいと言う。
あの旦那様の郷里に寂しそうな笑顔で去ったハイソ組の彼女を思い出した。
でもなぜか、彼女の方が私の事をよく見て理解していてくれたのだなあとしみじみ思った。
私は「彼女」が心楽になるように、にこやかに「気にしていませんよ。お世話になりました」と、晴れ晴れとした顔で挨拶をして、彼女の贖罪を受け入れてその住宅街を後にした。
あの住宅街では幸せな事も友達もなかった。ただ苦しかったと思っていた。
でも。
一人暮らしを始めて、子供達がそれぞれの家族を連れて遊びに来てくれるし、遠い旦那様の郷里に行ったハイソ彼女とは、今でもSMSで時々愚痴をいったりする友達として付き合っている。
苦しい事だけでなく、幸せも友達もいたんだなあとしみじみと思う。
一人暮らしの春の夜の空を見上げながら、どこからか飛んできた桜の花びらに、缶ビールで乾杯をした。
続・おばちゃん社会復帰後物語 高台苺苺 @kakyoukeika
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