第4話 おばちゃんと人身事故
朝、駅に着いたら凄い人混みでごった返していました。駅構内にも入れない有様。
嫌な予感にアプリで運行状況を調べまると、案の定、路線上の駅で人身事故があったようで全線が停止していました。
私の使う路線は他の路線とリンクしていませんので、バスで他社の路線に移動して遠回りしていくかありません。
ですが、バス停もタクシーの乗り場も既に尋常じゃない長蛇の列で、乗るだけで何時間もかかりそうです。
これは地道に運航開始を待つしか方法がありません。中には諦めて自宅に戻る方もいます。どうしようか迷う居ながらも、とりあえず会社に電話をしましたが誰も出ません。
そう言えば…と、入社してすぐに、社用連絡はこちらでしてくださいと、△さんからSNSのグループ登録をされていました。
SNSはなんだか家族や友人知人のプライベートや、学校の連絡関連でしか使わないので、社用で使うのが憚られましたが…。
開いてみて驚きました。
今日は人身事故や車両トラブルが多いらしく、何人かが使用する路線が停まっている為、出社が遅れる旨を連絡しています。
「まあ…時代も変わったのねえ」
私も急いで〇駅で人身事故で乗り換えルートがないため、運行開始次第出社する旨を書きました。すると一斉に了解のスタンプが並び、□さんが「〇さん利用の路線と直通運行の路線だから、こちらも遅延している」と、メッセージが入りました。
凄いですね。あっと言う間に社員全員の現在の状況が共有されるとは。
そして同じ路線で同じ時間帯で同じようにこの混乱に巻き込まれているであろう夫からは、一言も心配も通勤先輩としてのアドバイスも何もない事に…苦笑がもれました。
子供達は人身事故に巻き込まれる前に、乗り換える別路線に行ったようで安堵しました。
運行開始されたのは2時間後でした。こんなことなら自宅に戻り、家事をすればよかったなあと思いながら、満員電車の倍は混んだ車両でもみくちゃにされながら出社いたしました。
「…大体緊張感というものがないんだ!!!」
出社すると直ぐに、支店長室から怒鳴り声が響いてきました。今日は支店長が週に一度の出社日=ゴルフのない日だったようです。
「何かあったのですか?」
「●さんが人身事故で遅刻したのですが、それを支店長が怒っているんです」
「え?」
私は朝からぽかんとしました。
人身事故で遅刻は不可抗力です。連絡もなしに遅刻なら怒られるでしょうが、●さんは私よりも先に人身事故で遅刻する旨を、グループSNSで知らせていました。もちろん、支店長もそのメンバーで、私のメッセージの既読人数を見れば、支店長も読んだ事は分かっていたのですが。
なのに何故怒鳴られるのでしょうか??
なにか文面がいけなかったのか?
それともほかに何かルールがあるとか??
怪訝な顔をする私ですが、そんな風に戸惑っている時間はありませんでした。
そうです。私も人身事故で遅刻しているのですから、当然、私も怒鳴られます。
案の定、●さんは直ぐに解放されて私が呼ばれました。
「おばさん!さっさとしろ!!もたもたするな!!」
相変わらず頑なに私の苗字を呼ぶ気はないようですね。まあそれはいいのですが…。
支店長は口角泡を飛ばす勢いで私が人身事故で遅刻したことを怒鳴り散らします。
働くという事は会社と何時から何時までの間、ちゃんと出社し働くという事を会社と契約している。契約をしているという事は、それを履行する義務があり、遵守する義務がある。
必ず定時に出勤する為に、契約者は人身事故等の不慮の事故も天災も予測し、計算し定時に必ず出社をしないといけない。
それを人身事故で怠るとは契約違反であり、給料泥棒であり、言語道断の人間としても大人としても最低最悪の屑の人間である…。
滅茶苦茶です。流石に人身事故に混乱混雑に巻き込まれ疲弊していた私は、思わず反論してしまいました。
「ですが支店長、お言葉ですが、人身事故は流石に予測不可能で対処不能です。いつ、誰が、どこで、電車に飛び込むなど、誰にも予測はできません。無理です」
当たり前の意見で反論だと思いましたが、そんなこと支店長にはどうでもいいのです。
些細な事でも私を糾弾し罵倒できる要素があれば、それで私を罵倒し糾弾する正当な理由になるのです。
火に油を注ぐと言うのはこういう事をいうのでしょう。
烈火のごとく怒り出した支店長は、更にヒートアップし怒鳴り散らします。最後に私に向かい、からになった湯飲みを投げつけてきました。
間一髪で受け止め安堵します。
「お前みたいな人間のクズが意見するなどおこがましい!!身の程をしれ!お茶をいれてさっさと仕事をしろ!クソババア!!これだからババアは!」
延々と怒声が続くので、早々に部屋を出てお茶を入れて持参し、また早々に支店長室を出て自分の席に着きました。
「〇さん、大丈夫ですか?」
そう△さん達が心配そうに聞いてきます。
「流石に凹みました。驚きましたし…腹立たしいです」
言って、しまった!と、周囲を見渡します。幸いなことに支店長の腰ぎんちゃくである同じ元某メーカー勤務の方達はいません。
ほっと嘆息します。
「Kさん達は人身事故の遅延でいったん自宅に戻り、午後出社だそうです。なのでいませんよ」
「まあ、こういう場合にはそういうやり方なんですね?」
「違います。某メーカーグループのみです。私達はどんな理由でも、1秒でも遅刻したら支店長から1時間は怒鳴られます」
「…なんだか不公平ですね。本社にクレームをいう事はなさらないんですか?幾らなんでも酷すぎます」
父の知人で数回あった事のあるあの社長なら、人格者でもあるので、こういう無理難題をするのは黙っていないと思うけど…。
「本社に言ったところで無駄です。本社にも某メーカーからリタイア雇用された者がいますから。このシステムが解消されない限り無理ですよ」
そうか。
某メーカーに会社危機を救ってもらった恩義で、退職後にどこも行くあてのない者を再雇用しているシステムを、死守しようと彼等が躍起になっているは目に見えている。
幾ら訴えても、社長に行くまでに握りつぶされるか、もしくは悪い方向に利用され悪循環に陥ることになりそうである。
父経由で社長に言うこともできるが、その場合も某メーカー関係者でない一般社員の皆さんが迷惑をこうむるのも目に見えている。
社会の理不尽やゆがみとうのは…どうしょうもないものですね。
何かのきっかけや上手いタイミングが無い限りどうにもできません。
「支店長やKさん曰く、某メーカー出身者以外は人間ではないそうです」
そうなのでしょうね。
そういう風に人を何かしらで区別し差別し優越に浸る方は…どんな社会でも場でもいますからね。
その日はそういう社会の理不尽さに、支店長と某メーカー出身者達の理不尽さに悶々とする1日となりました。
数日後、また人身事故で電車が停まりました。
今度は身動きできない満員電車の中です。
私は青くなりました。連絡もできないこの状況下で、遅刻をしたらどんなに怒鳴られなじられるかわかりません。
必死でカバンの中の携帯電話を取り出そうとしますがカバンまで手が届きません。
泣きそうな気分のまま、停止したどんどん雰囲気が空気が重苦しくなる車内で、ひたすら身動きしようともがきますがどうにもなりません。
そうやってどれくらいで電車が動き出したのかはわかりませんが、やっと動き出し安堵しました。
同時に動いたことで空間に余裕がなにかできたのか、やっと手がカバンに届き、何とか取り出し、片手でグループSNSに遅刻することを打ち込みました。
まあ…もう既に遅刻の時間なんで時すでに遅しなのですけどね。
すると直ぐに、
「ネットで人身事故で停止しているの知ってますので大丈夫ですよ」
「〇さんから連絡ないので、事故の方に巻き込まれたのかと心配してました」
「ご無事で何よりです」
「気を付けてきてください」
「こちらの事は心配しないでください」
と、暖かい言葉が沢山打ち込まれて安堵しました。
ぱしゃりと写真を撮る音がして顔を上げると、少し離れた場所の女性が腕を上に伸ばし、自分と満員電車の車内を写メしております。
自分のブログかSNSにでもあげるのかな?と思っていますと、
「ダメだ、これだとぶれているから会社で通用しない」
と、つぶやく声がします。
「貸して、撮ってあげる」
そばの背の高い男性が女性に手を差し出し、戸惑う女性から携帯電話を受け取ると、彼女が映るように数枚車内をぱしゃぱしゃと撮り、また女性に渡します。
「君の会社も、証拠写真送るタイプ?」
すると数人の人達が彼等に目線を向けます。
「はい。前回撮るのを忘れたら減給されてしまいました」
えええええええ!!!!
こんな身動き取れない極限状態の証拠写真を撮っれとは嫌がらせにも程があります!
驚きました!
うちの支店長よりもblackな上司がいるとは!
「でも気をつけなね。そういう事言う会社って、実はあまりないらしい」
「え!?そうなんですか?みんな同じじゃないんですか!?」
違う違うと何人か首を振っています。
「だから気をつけないと、面白半分に撮っていると喧嘩吹っ掛けられることもあるから。みんなイライラしているのは同じだから。全くクソみたいなルールだよな?お互い」
二人は困ったように苦笑し、数人が「本当だよ」と呟く声がしましたので、意外と…実はそういう会社と言うか上司は多いのかもしれません。
昼前にやっと出社いたしますと、幸いなことに支店長もKさん達もゴルフで本日はお休みだそうです。安堵いたしました。
そして、電車内での証拠写真の話を致しますと、皆が顔を見合わせ苦笑しました。
なんと!実は数年前まで、同じことを支店長が強要していたそうです。
ところが世間は狭い物で、その証拠写真を必死の形相で撮っていた(もう辞めた)女性社員が、同じように見知らぬ方に写真を撮ってもらったそうです。
その方がなんと!本社の方だったそうで、本社で大問題になり…その支店長のおかしな嫌がらせルールは禁止となったのだそうです。
他人事だと思っていましたら、もう少し早くここで働いていたら、あの女性は私だったのかもしれません!
いずれにしても事故が無くなることが一番と思います。
処理をなされる鉄道会社の皆様も、本当にお疲れ様でご苦労様でございます。ありがとうございます。
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