第10話

「「「シーエーン!シーエーン!シーエン!」」」

埃と人間のすえた匂いが立ち込める、旧東京 第七隔離街 地下シェルターの中央。噴水前にて、僕はスラムの住人による耳をつんざくような歓声を浴びながら演説台の前に立たされていた。いまやここにいる者達の人数は、かの町長の支持者と同じ程の数になっている。僕が演説をするために一歩踏み出すと、狂乱にも似た歓声がピタリと止み、すべての観衆の注目が一斉に集まった。問題はない。ここからは、事前に頭へ叩き込んだセリフを一つずつ思い出しながら言葉を紡いでいくだけだ。あれ……?最初のセリフは何だったっけ?あーやばい。緊張で記憶が飛んだ!おーちおちおちおちけつ!とりあえず挨拶だろう!「皆様、お忙しいところお集まり頂きありがとうございます……」さて、このような事態に陥った理由は何だったか。僕の脳みそは既に論理的な思考を放棄し、現実逃避を始めていた。

北にある炭鉱から脱出した志遠だったが、彼の前には早速問題が突きつけられていた。まず大前提として、志遠には一応第三にいる倭文を助けようという意思がある。そしてその為には何よりも外に出る必要があるのだが、新聞を読む限りでは検問官の髭が町長に加担している事は明らかだ。よしんばそうではなくとも炭鉱から出る為に警報システムを作動してしまっているので、仮に髭が志遠らを邪魔するという意思を持っていなくとも正攻法では街から出ることが不可能である。因みに志遠は第三で倭文と共に居る京介については特に問題視していなかった。消去法の理由付けでは根拠が薄いけれど、彼に害意があるならば検問所で倭文と二人になった時点で既に手をかけているであろう事が推察できる。そして次なる問題は、外へ出れたとしても第三に居る大量の蟻を潜り抜けて倭文の元へ行くのが難しいという事だ。最も安全かつ確実に救出する為には人員と資金と戦力と後ろ盾が足らないのである。そしt何よりも志遠にとって面倒なのは、彼に酷く傾倒する筋肉の犬である。昨日の一件以来、こいつは志遠の事を本当に神だと思っているらしい。側から見ていれば愉快な光景なのだが当事者としては厄介である。想像してみてほしい。今からやるべき事は町長の手の者から感づかれずに資金と人員を集めて速やかに街を出る事だ。ではそんな非常事態時に期待に満ちた顔で「あなたが逃げ隠れする姿は見たくありません」と言われたならばどうだろうか?拳が出るだろう。仮に犬っころが使い道のない唯の筋肉であったのならば捨て置き我を通す事も簡単だが、タチの悪いことに彼は気が効くので志遠も重用していたのだ。順に活躍を追っていこう。まず昨日のことだが、彼は一発の元に左手を落とした。それも粗悪な斧を使用してである。これは単純な膂力がどうだとか辺りどころがどうという問題が複雑に絡まり合った事象だ。端的に言って彼には斧を扱う天性のセンスがあるらしい。しかも自分のいう事をよく聞くとなれば、戦闘時には心強い味方となるだろう。そして左手を落とした次は傷、というか断面へとっさに応急処置を施した。おかげで今は大分出血も止まっている。やはりまだ痛みは酷いだろうが、どうにもこいつは人の体を鬱血させるのが上手いらしい。何よりも彼は容姿が良かった。生まれながらの体躯と筋肉により酒場付近に屯する悪タレ程度では遠巻きに眺めるだけが精々である。偶には根性の座った奴もいたが、腕の一振りで地平の彼方まで飛ばされていた。因みに現在志遠らが身を隠している場所は、空中を飛ぶのが好きな三人組のアジトである。志遠が居場所の提供を申し込んだところ彼らは一瞬だけ不服そうな顔をしていたが、次の瞬間には頭からたん瘤を生やして自らアジトを差し出したという経緯があった。志遠が彼を重用してしまう理由の一端が分かっただろう。「……如何いたしましょうか」場所は狭苦しいアジトの中。皿を構える犬っころは口をモゴモゴと動かす志遠に穀物が乗ったスプーンを差し出した。「甘やかしすぎっすよ兄貴」「贔屓だ」「志遠教第二条 汝、神の名の下に、内なる己を自覚し開放せよ」突如どこからかメモ帳を取り出した筋肉は志遠の言葉を一言一句間違いなく記入し始める。「絶対今考えただろ」「こらっ失礼な事を言うな」「……それで、なんの話だっけ?」「勢力拡大についての話に御座います」「あー、うん、適当で。それにしても数日前から敬語の成長が目まぐるしいね」「教祖様のご指導による賜物ですよ。言葉自体は図書館で調べ物をしている最中に覚えましたが、それも仕える方があってのものです」「多分地頭……いや、神の思し召しですね。これからも奢る事なく邁進しなさい」「仰せの通りに」彼はそれきり口篭ったが、チラチラと志遠の方を向いては何か言いたそうにしている。「己は乙女か。何か言いたい事があるならいいたまえ」「で、では、僭越ながら……そろそろ次の経典をお教え頂けませんでしょうか?」その嘆願を聞いて志遠は頭を抱えた。志遠教第何条という奴はとっさに吐いたでまかせなので、続きを請われて出るものではないのだ。「そう慌てなでよ、天啓が降れば真っ先に教えてあげるからさ」「志遠教の神はあいつなのに天啓が降るっておかしくない?」「それよりも兄貴があいつに付き従ってる方がおかしい」「いいかお前ら、信じるものは救われるんだ。慕ってくれるのは嬉しいが教祖様の言葉を疑う様なら俺にも考えがある」「じょ、冗談じゃないっすか、俺達が北東をまとめ上げる為にゃ兄貴の力が必須でさぁ!」志遠らには志遠らの思惑があるように、彼らにも彼らの計画があった。三人の目的は​北東に存在する幾つかの派閥の頂点に立つ事であるが、こんな所で燻った挙句人の手を借りようと言うのだからおかしなものだ。犬っころを兄貴とする時点で頂点は彼らではなくなる筈だろうにそれすら気づいていないのか、それとも頂点に上り詰めた瞬間に犬っころを刺すつもりなのか。どちらにせよ金魚のフンみたいな奴らである。「纏めるのは結構だがなぁ、俺達は一週間後にここを出る予定なんだ」「問題ねぇ!兄貴が居りゃ北東くらいすぐですぜ!」「街の全体からすれば八分の一だし、手伝ってあげればいいんじゃない?」「お言葉ですが教祖様、こういう類は足るを知りません。北東の統一を終えればきっと北や東も欲しがりますよ」「とはいえ現状では貴重な人員だしねぇ、僕らが直接手を下さなくても良いくらいに勢力を増やせば良いんじゃない?」適当な返事を返す志遠に犬っころは疲れた顔でため息を漏らした。現状で最も倭文の救出に精力的なのは間違いなく彼なのだろう。「……分かりましたよ、教祖様の言う事ですから計画があるのでしょうね」その妙に圧のある言葉に、志遠は非常に曖昧な笑みを浮かべながら口に残った穀物を無理やり嚥下した。「今一番必要なものは何かな」「人員にしろ戦力にしろ、まずは資金ですね。私が地上げでもしてきましょうか?」「今捕まったら洒落にならないから勘弁して欲しいかな……でも、そうだね。ちょっと心当たりがあるから商業区に行こうか」「お、俺達に地上げは無理ですぜ!?」期待してねぇから黙ってろ。と言うのは簡単だが、特にこれからの事態を鑑みれば教祖っぽい言動が求められていることは志遠にも理解ができた。「いいや、少し離れて見ていたまえ。今回に関して言えば君達は近くに居るだけでも十分に活躍ができるんだ」

そこは豪華絢爛で華やかな商業地区の中央付近にあるモダンな雰囲気のカフェテリア。店内には大理石で作られた椅子や机が配置されており、天井から吊り下げられた間接照明も手伝ってゆったりとくつろげるスペースとなっています。大きな一枚鏡からは金色の明るい光を放つ街灯により煌々と輝く道が見えるのも、店内とのギャップを演出する為に一役買っているのでしょう。えぇそうです、それが私の経営するカフェ「モナカ」です。自分で言うのもなんですが、第七の中でも有数のオシャレな店だと思います。この語り口ですか?いえ、なにぶん警察の方から事情を聴衆されたのは初めての経験ですから。えぇ、ですが昼間はどういった間違いなのか、明らかにカタギの人間ではない男性が三人仲良く奥の席に座って渋い顔でコーヒーを飲んでいました。えぇ、そうです。店に対してクレームをつけるでもなく、退去賃を強請るでもなく、黙って店の入り口付近を眺めていたのです。​どう見ても怪しい上に怖いので、一人を残してお客様はすっかり逃げてしまいました。いえ、しかし特に何かをした訳でもないのに警察を呼べばあの店はドレスコードの義務もないのに客を見た目で判断するのだと言う謗りを受けてしまうでしょう。私はヤクザ者が新手の​シノギを始めたのかとも思ったが、とりあえずは傍観に徹することにしました。カウンターの向こう側へ行き、怒鳴られる前にお代わりのコーヒーをドリップし始めた時の事です。そうこうしていると、店内にベルの音が鳴り渡り扉が開きました。えぇ、そこに居たのは人の良い笑顔を浮かべたパッとしない中年の男性でした。しかし一見の印象とは裏腹に上質なコートを着ており金回りは良さそうに見えました。とはいえ奥に居る様な連中と関わりがある様には見えません。私もまさかあの様な状況の店にお客様が入ってくるとは思っていなかったので、少し遅れて彼と挨拶を交わし注文を伺いました。彼はホノルルのブラックを頼んで、一般客の中では唯一残っていたカウンターに座る男の元へ近づいていくのです。いえ、正確に言えば薄く汚れたローブを身に纏っていたせいでどうにも顔は見えませんでしたが。しかし体格からしても男性だと思って頂いて構わないでしょう。左手ですか?こちらもローブに隠れていたのでなんとも言えませんが、そういえば時折ローブの上から腕を摩っていましたね。手首があったかは……申し訳ありません、私としては奥に居た三人組の方に注目をしていましたので。勿論私も普段はお客様同士の会話を盗み聞いたりはしませんよ?ですがその時は先の件もあり、なんというか警戒していたんです。そのせいで聴覚も過敏になっていたんでしょうね。あぁ、続きですか。そうですね、ローブの人物と身形の良い男性は初対面だったみたいです。話が進むにつれて小汚い方かは小綺麗な方を知っている様な言動が増えましたが、初対面で間違いはないでしょう。冒頭は世間話をしていましたから、その会話から察するに、後者の方は商人だった様です。彼は最近商売で大きく儲けたそうですが、どうにも税金でかなりの額を街に持って行かれたらしく嘆いていました。ローブの男ですか、首がもげるのではないかと思う程頷いていましたよ。あれは過去に似たような経験をした人間の動きでしたね。間違いなく半分くらい持って行かれています。商人の方も味方が出来たとその後も嬉しそうに話していました。この街は貿易都市を謳っていますから、輸出入に課せられる関税はかなり低く設定されています。でもまぁ、所得税を考慮すれば他の街とあまり変わりませんね。あぁいや、市長に対する侮辱ではありませんよ、周知の事実じゃありませんか。それで20分くらい経った頃ですかね、ローブは商人がコーヒー豆の売人について話し始めた瞬間に立ち上がって言いました。今まで傾聴に徹していた男がようやく口を開いたのですから私も驚きましたよ。内容は、まぁ、端的に言って占いの様な物でした。「たった今天啓が降りました。神はこう仰っています。豆商人のビゲルとは縁を切りなさい。彼は違法な手段を用いて大量の不良在庫を処分しています」とね。関係のない私まで驚きましたよ、まるで自分に言われたような気さえしてしまいました。えぇそうです。有名産地の豆を安くで譲ってくれると言うので私も以前から彼の販売するコーヒー豆を購入していたのです。とはいえ私もプロですからね。実際にその商品を見て目利きをします。「ですが今まで品質に問題はありませんでしたよ」商人は言いました。私も同じ気持ちです。ですがその日の数十分後、つまり月曜日の昼下がりですね。それが今回ビゲルのやって来る時間だったのです。思わず私も話に参加してしまいましたよ。「あなたの言う神がビゲルと縁を切れと言うならば、実際に取引を見ていけばよろしい」とね。……彼が取引の周期を知っていた可能性ですか?それはありませんね。商談の日程は常に私が指定しますから。彼がビゲルでもない限り知り得ないでしょう。その後すぐに分りましたよ。彼はビゲルではないと。そして、本当に神の使いなのだと。​いやいや、私の家は代々無宗教ですよ。私は彼の指示に従ってワザとビゲルの​口車に乗せられたのです。普段は品質を考慮して商品は小出しの物しか買わないのですが、ローブの言う通りその日は奮発して20kg大袋を買いました。えぇまぁ、安いですからね。半分はコーヒーショップの知人に譲ろうと考えていました。そして、帰ろうとするビゲルを捕まえて目の前で袋を開けたのです。驚くべき事に入っていましたよ。酸化直前の豆がね。私はともかく、商人の男はすっかりローブの男の虜でした。ビゲルは警察に付き出さないでくれと嘆願しましたが、​彼の行いは当然許されるはずもありません。そういうと彼は凄まじい勢いで逃げてしまいました。という訳でお願いしますよ、あいつを捕まえて公正な法の裁きを加えてやってください。その時にいた6人の人物等ですか?残念ですが、気が付いた時には既に消えてしまっていましたよ。



「あの、隠れる必要はあったのですか?」事情聴取を終えて店から出ていく警官の背中を見送ったカフェの店長がカウンターの下に呼びかけると、中からローブを着た志遠が這い出て来た。「真なる正義はいつの世も偽善の為政者にとって目障りとなるのです。私も謂れのない罪で追いかけられる子羊の一人に過ぎません」「これも神の思し召しという事なのですよね……しかし、わざわざ通報する必要があったのでしょうか?私さえ被害届を出さなければあなたの存在を明るみにする必要もなかったと思うのですが」志遠が自ら通報した理由は市民に警察の怠惰さを見せしめる為である。店に捜査が入った事で近隣住民はビゲルという詐欺師の存在を周知するだろうが、警察官が奴らを捕まえることは無いだろう。というのも、一度は志遠すらも騙して不良品のコーヒー豆を売りつけたビゲルは既に我らが兄貴の手に落ちていたのだ。だが今回の一件が一から十までマッチポンプだと知らない店主には別の理由を伝えなければならない。「いえ、神は奴らが真面目に捜索しない事もご存じでしょう。それに、あなたの様な心の清い者に罪の黙認はさせられません」咄嗟に出た割にはそれなりに説得力があっただろう。店主は瞳を潤ませながら両手を合わせて握りしめる。「なんと懐の深い神なのでしょう」なんとか説得することには成功したが、このまま帰るわけにはいかなかった。なにせビゲルから購入させたコーヒー豆の代金は志遠が補填をするという約束だったのだ。「ですが貴方を巻き込んでしまったことに関しては申し訳なく思っています。どうか先程購入した商品の代金を払わせてはいただけませんか?」しかし店主は首を振ってきっぱりと断った。彼の家が代々無宗教だという事柄に嘘偽りはなかったが、それは彼が信者にならない事とは全く以て関係がない。「私にもわかりますよ、あなた方の神は今この瞬間も見られているのでしょう?罪を明らかにし、そして許す。これこそが真なる善ですから」なんとも都合の良い認識の仕方であるが、志遠にはこの波に乗る以外の選択肢がなかった。「素晴らしい心意気です。貴方に神、えっと……」ここで神の名を志遠とすると後々面倒になるだろう事は犬っころの時から学んでいた。「そう、シェーンのご加護が在らんことを」それを聞いた店主の顔は付き物が落ちたかの様に晴れ晴れとしていた。志遠は完全なる勝利を確信しながら締めのセリフへ入る。「よろしければ私共の開催するセミナーへお越しください。俗世は辛いですから、善行をつんで世界平和を目指しましょう。未視といったデモンストレーションも行っておりますので、是非」志遠はそう言ってから住所の書かれた稲の葉を渡して表から店を出て行く。扉がチリーンと鳴り、中にはオーナーだけが残されていた。「強引に連れてこなくてもよかったのですか?」店の外で読書をしながら待っていた筋肉が志遠に問いかける。彼のガタイで持たれた本は随分と小さく見えて面白い。「宗教勧誘はスマートじゃないとね。玄関前で只管に壺をおすすめされたって誰も興味をしめさないだろう?」「志遠教……いえ、改名されたのでしたね。シェーン教は全ての人類が信じるべき教えですから、玄関前で壺を勧められたなら購入するのが道理です」「お前怖いね」「そういえば先程数学の勉強をしていて気が付いたのですが、教祖様が私に神であることを証明するために行った占い。あれ、全ての答えが9になりますよね」確かに志遠も彼がインテリに目覚めた時は勧誘時のインチキがバレたらどうしようかと思っていた。とはいえ最近は他の三人に対してシャーンの教えを説いていたので気を抜いていたのだ。それが数学にまで手を出していたとは末恐ろしいやつである。志遠は心の中でそう思った。「違うね、逆なんだよ。僕が世界の理に手を加えて答えを9にしたんだ」「そ、そうだったのですか!!……でも待ってください、だとすれば結局教祖様は答えを知っていたという事ですよね」「……ふっ、それは真理の極一部でしかないよ。本当の闇は、君が思っている以上に昏く、そして、深いんだ」その言葉には何の意味もなかったが、志遠はなんとなく意味ありげに愁いを帯びた表情をして見せた。だがそれが逆に「だけど今日から君が司祭を名乗る事を許そうじゃないか」志遠はそう捲し立てると、感極まった犬を置いてアジトへと戻っていく。翻されたマントは志遠の顔に現れた羞恥と焦燥を隠していた。「さぁ、じゃあこのまま次のコーヒーショップに行くよ!それが終われば手法を変えて別の店だ!!」「因みに、先程おっしゃっていたセミナーには私も参加してもよろしいのでしょうか?」「なにを言っているのかね。講師は君だよ」

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終焉る芥カタコンベ Ghoti @wimp84

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