第17話

        20.金曜日午後6時


 その警察署についたとき、すでに陽は暮れようとしていた。いろいろあった一日だから、感慨深いものがある。しかし、まだやるべきことはいくつも残っていた。

 富士の樹海で発見された遺留品が保管されている倉庫だった。自殺の名所として有名になって、もうどれぐらいの年数が経つのだろう。長山が警察官になったときには、すでにそうだった。かつての流行時にくらべれば沈静化したとはいえ、現在でも日々、多くの遺体が発見されている。定期的に捜索隊が見回っているが、それでも発見されるのは氷山の一角でしかない。緑の海には、まだ多くの死者が人知れず眠りについているはずである。

 練馬の事件がおこったのは、2005年。園田和人の証言によれば、その一年ぐらいあとに服部幸弘は自殺しているという。なにかその痕跡がないか──そう思って、この場所を訪れたのだ。

 2006年以降に発見された遺留品を見せてもらっていた。だが数が多いから、すべてに眼を通せるわけではない。それに、身元がわかるような物を持っていたら、死亡が確認されているはずだ。母親の行方もわかっていない。この現代において人の行方がつかめないというのには、二つのことが考えられる。

 自ら故意に姿を消す場合。

 もう一つが、すでにこの世にはいない──という可能性。

 服部幸弘が犯人だったとしても、その母親が失踪する理由にはならない。息子の犯行が発覚したのであれば、世間の眼を気にして姿を消すこともあるだろう。が、事件はいまだに迷宮を出ていないのだ。ということは、後者──すでに、この世にはいないのではないか……。

 息子とともに命を絶った。息子から犯行を打ち明けられて絶望し、ともに生きることをあきらめた。そう考えられる。

「すみません」

 長山は、倉庫に案内してくれた署員に声をかけた。それらしい遺留品を棚から出してくれていたのだが、四十代前半の彼は手を止めてくれた。

「なんでしょうか」

「あの、親子そろって死亡していた遺体とかはなかったですか?」

「親子……」

「母親と中高生ぐらいの息子です」

 その署員は、資料に眼を通してくれた。しかし、これといった成果はなかった。死亡してからすぐに発見されるケースは少なく、大半が何年も経過し、白骨化してからみつかる。野犬に荒され、死んだ場所から遠く離れたところに運ばれることもめずらしくないという。いくつかの現場写真をみせてもらったが、年齢はおろか性別すら断定するのは難しい。それこそ、衣服や持ち物から推測するしかない。骨格やDNAから調べることもできるだろうが、身元のわからない自殺遺体に、そこまでする予算はない。死因の特定もできないから、たとえそれが他殺であったとしても、事件になることはないのだ。

 なんの収穫もないままに、警察署を出た。そのまま帰るのではなく、もう一箇所、立ち寄りたい場所があった。樹海の入り口──バス停付近にある店だった。みやげ物などを売っている店だが、場所柄、自殺志願者がさまよい歩いていることがある。そんな危うい迷える小羊を保護しているのが、その店の人間だという。

 たずねたころには、完全な夜となっていた。周囲は暗く、店の灯だけがポツンと輝いている。そこで長山は、持参してきた中学の卒業アルバムから、服部幸弘の写真を見てもらった。

「この少年に見覚えはないですか?」

 大野という絵葉書の主は、この店の人間ではないかと考えていた。

 さすがにアルバム写真だけでは成果がないと思ったのだが、それに反して店にいた六十代ほどの男性は、「見かけたことあるよ」と証言してくれた。名前をたずねると、やはり『大野』だった。

 彼は、保護した志願者たちへ、定期的に絵葉書を送っているのだという。服部幸弘にも、十数年前から出しているそうだ。服部幸弘の住んでいたアパートの郵便受けは各部屋にあるのではなく、集合住宅用のものが一階の階段わきに設置されていた。どのボックスにも名札がついていなかったので、住所だけで配達されていたのだ。だから『宛て先に受取人がいない』などの理由で返送されることもなく、いまにいたったのだろう。

 現在住んでいるあの女性が、どれぐらいまえから越してきたのかは調べていない。だが、ああいうアパートは出入りが激しいから、それほど長くいるわけではないだろう。彼女をはじめ、そのまえの住人たちも、何枚か受け取っているはずだ。が、だれも誤配達だと名乗り出ることはなかった。厳密にいえば、郵便法第四二条に違反していることになるが、責めることはできない。

 大野という男性は、保護した細かな月日までは覚えていなかったが、服部幸弘のことはよく覚えていた。ボロボロの格好で樹海のほうから、さまよい歩いてきたそうだ。一目で死にきれなかったのだと思った、と。食事をあたえようとしたが、衰弱していて食べるどころではなかった。歩いてきたのでさえ、奇跡的といえた。救急車を呼んで搬送されていったのだが、病院で点滴をうっていた最中に姿を消してしまったのだという。長山は、彼の運ばれた病院を教えてもらい、タクシーですぐに向かった。

 救急病院なので夜八時を過ぎていても、灯はついていた。なかにいた女性看護師に話を聞いた。今夜はいまのところ急患はいないようで、それほど忙しくはないようだ。看護師に、迷惑そうな素振りはない。アルバムを見せて、覚えがないかをたずねた。店で耳にした搬送されたときの話も。

 その看護師は、ここに勤めて五年ほどだそうで、むかしのことはわからなかった。すぐにベテランの看護師をつれてきてくれた。五十代ほどの女性だ。

「はいはい、あのときのことですね」

 よほど印象的な出来事だったのか、考え込むこともなく思い出してくれた。少し眼を離した隙に、逃げ出したのだという。血圧に異常はなかったが、体温は低く、けっして楽観できる状態ではなかった。二、三日は安静にしていなければならないほどだった。当時のカルテを確認してもらい、それが2006年五月だったことがわかった。年齢は不明になっていて、保険証の提示もなかった。当然、治療費なども未納だ。

 失踪した時期は、おおよそ園田和人の供述と一致する。服部幸弘がこの日本のどこかで、いまも生きている可能性が高くなった。もしくは日本を飛び出し、この世界のどこかで──。

 店での証言でも、保護されたのは服部幸弘一人だけだった。母親は、どうなったのだろう?

 長山の推理どおりならば、親子で自殺をはかろうとした。が、息子だけが死にきれなかった。すでに遺体はみつかっていて無縁仏として葬られているのか、それともまだ樹海のなかで人知れず眠っているのか……。

 服部幸弘の所在をつきとめることが、早急の課題となった。


        * * *


 雨が降りだした。連日の雷雨だった。稲妻が一瞬だけ夜を白く染める。

 最上階の窓から、翔子はその光景を恐れながら眺めていた。雷は苦手だ。だが、いまの恐怖はそれだけではなかった。

 久我から話を聞かなければならない。

 その緊張が恐怖を生むのだ。

「どうしました? そんな怖い顔をして」

 向かい合って座る久我に言われた。

 怖いかどうかはべつにして、強張っていることはまちがいないだろう。自覚がある。

「久我さんは、杉村遙さんのことを知っていましたね?」

「もちろんですよ。優秀な方ですから、だからヘッドハンティングしたんです」

「そんなことじゃありません! あなたは、杉村さん……いえ、森元さんを知っていた。彼女のお父様が詐欺師だったことを。そしてあなたの両親を騙したのも、森元貞和じゃないですか!?」

「ほう、おもしろいことを言いますね」

「だいたい、不自然なんですよ。四つの事件のうち、足立区行方不明事件だけが、異質すぎます」

「事件に大きいも小さいもありませんよ」

「そんなことを言ってるんじゃありません。だって……事件ですらないかもしれないのに、あなたはそれを選んだ。しかも──行方不明になっている森元貞和さんが、すでに殺されていると仮定してですが……遺族である遙さんに事前確認をしていない」

 ──以上のことから、翔子はある仮説をたてた。

「あなたは……事件に関係しているんじゃないですか!?」

「関係、とは?」

《事件》であることを知っていて、遺族である杉村遙を巻き込んでいる──つまり、

「あなたが、犯人なんじゃないですか!?」

 雷鳴が、この世の終わりのように爆発した。

 家族の復讐で、森元貞和を──。

「ふふ、はははは!」

 静寂がもどってから、久我は笑い出した。

「本当に、おもしろい推理です」

 怒るのでもなく、むしろ感心したふうだった。

「久我さんは、杉村遙さんに事件を解決させようとしているんじゃないですか? だから身近に呼び寄せた。犯罪心理学に精通してる彼女なら……自分にたどりつくんじゃないか──と」

 笑い声は途絶えていたが、しかし表情は笑顔のままだった。

「どうしてそんなことを? ぼくが犯人なら、むしろ遠ざけようとするのでは?」

「懸賞金を残すためです」

「罪悪感で懸賞金を残す……と?」

「ちがいますか!?」

「だったら、もっと高額でもいいのではないですか?」

「あなたは、知っている……金が悪辣な者に流れることを。だから二千万円なんです。きっとあなたにとって、その金額がボーダーラインなんじゃないですか?」

「ボーダーライン? なんのですか?」

「悪に染まらない、ギリギリの金額です」

 もちろん、それ以上の資産をもっている人間だって多くいる。そのすべてが悪人なわけはない。というより、その大半がまともな人間だ……そう思いたい。

「どうですか、久我さん!?」

 久我は、しばらくなにも言おうとはしなかった。

 どれぐらい沈黙が広すぎる部屋を満たしていただろうか……。

「それでは不充分ですね。ぼくが犯人だという決定的な証拠をつきつけなければ、懸賞金は受け取れませんよ」

 彼が冗談を口にしたような気がして、翔子は無性に腹が立った。

「ふざけないでください!」

 懸賞金が欲しいから、こんなことを主張しているのではない。

「まだです。竹宮さん、あなたはまだ、真相を浅くしかたどっていない。あなたもジャーナリストなら、もっと深く潜るべきだ」

 深く潜る……?

 雷光が、再び世界を白くさせた。

 第四の事件は、まだ発覚すらしていない。

 そうだ……闇の底に沈んだ真実を、掘り起こさなければならない!

(必ず、みつけてみせる)

 白く染まった世界に、それを誓った。

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