第18話
21.土曜日午前9時
昨夜のうちに東京へもどり、鬱々とした心境のまま朝をむかえた。
長山は捜査一課へ報告をあげるため、警視庁本部へ足を運んだ。服部幸弘が生きている可能性が出た以上、その所在を確かめないわけにはいかない。だが、それを一人でやることは困難だ。下手をすれば、数年がかりになってしまう。捜査一課に報告することで、各都道府県警に情報が流れる。逃亡者が潜伏する場所にはいくつかパターンがあり、たとえば日雇い労働者の多い町、建築現場を点々としていることもよくあるケースだ。地方のそういった場所の情報を他県警から収集し、ときには協力をあおぐ。全国的に有名な事件であり、その解決のためには縄張りもくそもない。
特命捜査対策室の室長とともに、一課長に話をした。久しぶりに警察官にもどったような心境だった。しかしそのあとには、やはり部外者のような感覚が残るのみだ。本来なら裏付けは長山の仕事であり、明確な証拠もなく、信憑性に疑いのある証言だけで正規の捜査員を動かすというのはあまり良いことではない。居心地の悪さを自覚して、すぐに本庁舎をあとにした。
午前のうちに財団本部に詰めて、正午が過ぎた。午後になって、すぐに情報が送られてきた。
十年ほど前、大阪のあいりん地区で、服部幸弘が潜伏していたというものだ。大阪府警にも、卒業アルバムを拡大した写真を手配している。その顔写真と名前から、ほぼまちがいないとのことだ。同様の情報は、福岡県警、兵庫県警からも寄せられた。服部幸弘は堂々と本名を使用していたようだ。そのため、早く情報が得られたのだ。犯人と特定されていたわけではないので、偽名を使う必要がなかったのだろう。
想像どおり、各地を渡り鳥のように点々としていた。行方不明当時は、十六か十七。普通の子供なら、高校に通っている年齢だ。学校には行かず、社会人として働きに出ている者も世の中にはたくさんいるだろう。だが、逃亡者としてその歳で生きるには、まさしく典型的な《逃亡者》になるしかなかったのだ。
服部幸弘が一連の懸賞金報道を眼にしていれば、警察の追求を警戒しているはずである。犯行を友人に告白しているのならば、なおさらだ。
告白……。
長山は、ハッとした。
服部幸弘がどういう理由で打ち明けたのかは、わからない。罪の意識を少しでもやわらげようと、話を聞いてもらったのかもしれない。未成年でありながら、飲酒をして気が大きくなっていたとも考えられる。もしかしたら何気ない会話のなかで、つい出てしまっただけなのかも……。
もし服部幸弘が、その告白を覚えているとしたら……いや、そんな重大な話を忘れるはずがない。
本当に服部幸弘が犯人なのだとしたら──。
長山は、園田和人の携帯に連絡を入れた。出ない。留守番電話に切り替わってしまう。
いやな予感が駆け抜けた。
五分後、すぐに杞憂だったと安堵した。園田から折り返しがあった。
『もしもし? 長山さんですか?』
「そうです。園田さん、いまどこにいますか?」
『はい? 近くのコンビニですけど……』
ヘンな訊き方をしたからか、彼の声に何事かとおびえがふくまれた。
「園田さんの住まいは、むかしからそこですか?」
『え? あ、はい、けっこう長いですけど……』
「そういうことではなくて、事件当時……はっきり言うと、服部幸弘は知っていますか?」
『知らないです……独り暮らしをはじめてからですから』
「そうですか。そられならば、いいんです」
『どうしたんですか?』
「あくまでも可能性があるということで聞いてください……」
そう前置きしてから、長山は続けた。
「服部幸弘から、犯行を告白されたわけですよね? ということは、彼からなんらかの接触があるかもしれません」
『は、はあ……』
ピンときていないようだった。長山のほうも、ストレートな表現はひかえた。あとは察してもらうしかない。
『え!? で、でも……彼は……』
声のトーンで、そのことに思い至ったことがわかった。
「生存しているかもしれません」
『そ、そんな……』
「でも、そこの住所が知られていないのなら大丈夫です」
『ま、待ってください! いま住んでるところは、実家のすぐ近くなんです』
それはつまり、むかしと同じ土地に住みつづけているということになる。土地勘のある服部幸弘がその気になれば、調べることは容易にできてしまう。
『ど、どうすれば……』
「こちらに来れますか?」
『は、はい』
「では、来てください。これからのことは、それから話し合いましょう」
服部幸弘の身柄が確保されるまで、園田和人の保護が必要になるかもしれない。本来、そういう配慮は警察の仕事なのだが、園田和人のことは捜査一課はまだ知らない。情報提供があったことは告げてあるが、個人名までは出していない。
警察として対策を練るか、それとも財団としてなんらかの処置をするか……。
長山は、軽い驚きに支配された。それまでにも感じていたことだが、自分が警察の立場ではなく、財団の人間として物を考えている。
しかし警官としても財団としても、長山個人で判断しきれるものではなかった。久我をたずねて、最上階へ向かった。
久我にそのことを伝えると、財団のほうでなんとかするのが筋でしょう──そう答えた。想定していたとおりの結論だった。
一時間もしないうちに、園田和人はやって来た。かなり焦っていた。
「だ、大丈夫なんですか!?」
昨日、面談した部屋に案内すると、入るなり園田は言った。久我も同席している。
「なにかありましたか?」
「あ、いえ……だた、あいつがいるような、見られているような……」
たぶん気のせいだろうが、用心するに越したことはない。
「こ、こんなことするんじゃなかったです……」
いまにも泣き出しそうだった。これが、犯人になりすまして二十億をせしめようとした人間だとは……。どこからどうも見ても、ただの小心者だ。
「落ち着いてください。あなたがわれわれに接触したことは知られていないはずです」
「そ、そうでしょうか……」
「いいですか、あなたが証言しようとしまいと、犯人を知っていることにかわりはありません。どういうことかわりますか? なにもせず、ただ黙っていたとしても、あなたはなにかされていたかもしれない」
とにかく、情報提供したことが最悪の決断でなかったことを認識させる。
口封じに命を奪われることは、あまり考えられなかった。少年法が適用される以上、最悪の罰をうけることはないからだ。死刑相当でも無期懲役になる。が、はたして十五歳の少年だった人間に無期の判決がでるかどうか。有期刑にとどまったとしたら、むしろここで殺人を犯すほうが、よほど厳しいペナルティを食らうことになるかもしれない。
とはいえ、なにかしらの脅しをかけてくることは充分、想定できた。
「一日も早く、犯人が逮捕されることを祈りましょう。そうすれば、あなたは狙われなくなる。もちろん、お金も手に入ります」
「そ、そうですよね……」
「落ち着きましたか? あなたの安全は、われわれが保証します」
気休めだった。彼は、どこまで気づいているだろうか。たとえ服部幸弘が逮捕されたとしても、いずれは刑務所から出てくることになる。無期懲役の場合、仮出所は早くても三十年といわれている。まだ服部幸弘は若いから、最短で出てくれば復讐を考える年齢かもしれない。有期刑だったなら、さらに早く社会復帰をすることになる。
何度も言うように、死刑にはならない。少年法が命を守ってくれるのだ。
園田和人が懸賞金を受け取るまえならば、さきに述べたように、口封じされる可能性は少ない。だが、二十億を受け取ったことを知ったあとなら、どうなるかわからない。そのとき服部幸弘が、彼のことをどう思うか……。
マスコミには、だれが証言し、だれが懸賞金を受け取ったのかは伏せられる。だとしても、服部幸弘にはわかるはずだ。だれが証言し、だれが二十億を手にしたのか。報復を考えてもおかしくはない。もしくは、金を要求するか……。
そこで、ある案を思いついた。
「久我さん、もし服部幸弘が、自分から名乗り出たらどうなりますか?」
少年法に守られているのだから、このまま逃げつづけるよりも、大金を手にしたほうが利口だ。
「金は、この園田さんにのみ支払われます。あくまでも彼の証言で犯人がわかったのですから」
久我は、冷静さを微塵も崩すことなく答えた。
「そのルールを変えませんか?」
長山は提言した。
「二十億を二人で折半するんです」
「どういうことですか、長山さん?」
「服部幸弘は、捕まっても死刑になることはありません。もしかしたら、むこうのほうから、こちらにコンタクトをとってくるかもしれない」
園田和人に証言されるぐらいなら、自分から名乗り出る。服部自身も、少年法に守られることは知っているはずだ。最悪の罰をうけることはない。ならば、大金を手にしたほうが得だと考えるかもしれない。
「それはできません。ルールはルールだ」
「しかし久我さん、あなたはこれまでにも、ルール以上のことをしてきたじゃないですか」
三鷹強盗殺人の共犯者・樺島に、自供の見返りとして金を渡している。受け取りはしなかったが、片桐茂男にも信用を得るために一億を渡そうとした。
「それが事件の解決につながることならば、いいでしょう。ですがこの場合は、それに当てはまりません。たしかこの事件では、犯人の指紋が検出されているはずです。たとえ服部幸弘が犯行を否認したとしても、指紋を照合すればいいことだ」
つまり、そういう証拠が残っていなければ、服部幸弘の自供を引き出すために、金を使うこともあり得る──が、その必要がないのに金は出せない、ということだ。
もっと言えば、園田和人の安全を確保するための金は出せない、そういうことだ。
長山は、その考えに苛立たしさを感じた。これまで無茶苦茶な使い方をしておいて、いまさら細かい状況など、どうでもいいではないか。金を出すほうの都合や気持ちなどわからないが、自分のほうがまともなはずだ。長山は強く思った。
「そ、そうなんですよね……あいつは逮捕されても、いずれ出てくるかもしれないんですよね……」
呆然と園田がつぶやいた。久我との会話で、そのことがよくわかってしまったのだ。
いや……、彼にだってその知識はある。細かいところはまちがっていたが、そのことを利用して、犯人になりすまそうとしたのだから。だが他人の言葉としてそれを耳にするのは、死刑判決をうけたような衝撃をともなったにちがいない。
「お、お金を渡せば……許してくれますかね……」
「あなたに支払われた金を、どう使おうがこちらは関知しません」
久我が、冷たく言い放った。
「ぼ、ぼくは渡します」
「ですがね、悪いのはあなたじゃありません……悪いのは、凶悪な犯罪を起こした人間なんですから」
フォローのつもりで、長山は声をかけた。慰めにも励ましにもならなかっただろう。
これまで口をつぐみ、金をもらえるとわかったら浅知恵まで使って手に入れようとした眼の前の彼には、善悪の基準など、どうでもいいことなのだ。しかし動機が不純なものであろうとも、事件が解決に動いていることだけは事実だ。そのきっかけをつくった彼を、ぞんざいにあつかうわけにはいかない。
「とにかく……しばらくは身を隠していたほうがいいでしょう」
長山は、久我に視線を送った。仕方ないですね──そんな眼をして、久我は中西を呼んだ。
「彼の滞在する部屋をお願いします」
「わかりました」
中西は、すぐに出ていった。この建物には、いくらでも余っている部屋がある。人が泊まれるように準備をするのだろう。久我も退席した。不安におののく園田を一人残して、長山も部屋を出た。
服部幸弘の身柄が確保されるまで、緊張の時は続いていくのだ。
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