第16話

      19


 はたして、彼女はここまでたどりつけるだろうか……。

 土の匂いと感触。

 待っている自分と、あきらめている自分。自身のなかに、その二人が鎮座している。

 金が動くとき、周囲もまた蠢く。

 闇が明け、光が差し込む時が──。


        * * *


 金曜日、午後三時──。

 逃げるように引っ越していった行方不明男性の妻と娘に会う必要を感じていた。翔子は鹿浜署を訪れて、長山に紹介された井上という刑事課の捜査員から話を聞いた。刑事課のなかでも、未解決事件の継続捜査を担当する係だという。所轄署にそのような部署が置かれているのはめずらしいのではないだろうか。

 長山の名を出さなくても、翔子のことを井上は知っていたようだった。会見を観ていたのだろう。年齢は二十代後半で、当時を知っているようには思えなかった。

「行方不明男性の妻と娘の所在ですよね? 本当ならそんなこと教えられないんだけど、懸賞金の関係者だから、特別だよ」

 そうことわりを入れてから、井上は語ってくれた。

 足立区江北から越した先は、千葉県の成田市。しかし妻のほうはすでに死亡していて、成人した娘もそこには住んでいない。しばらく海外で暮らしていたようだが、現在は都内にもどっているという。その住所までは、警察でも把握はしていないらしい。

 ただし、娘の携帯番号なら記録されていた。父親が発見されたときのために、娘のほうから伝えていた。その「発見」が、生きていることを信じてのものか、あきらめているものかは、あかの他人では推し量るすべもない。取材ではなく、懸賞金の関係者として会うことを約束して、番号を教えてもらった。

「長山さんにも聞いてみたんですけど……行方不明になった男性の周辺で、詐欺の話とかはなかったですか?」

「なんだい、それ?」

 不思議そうな顔をしていた。数枚の書類に眼を通したが、やはりそんな記述はみつからなかったようだ。

「いえ、いいんです……気にしないでください。この事件のことを当時担当されていた方とかはいないんですか?」

「うちはまだできてないから。西新井署にもいないんだ。まあ、事件というあつかいでもないんだけど。ご家族に応対した人は、転勤後に定年退職されてるよ。警察官て、意外に配置換えが多いから」

「そうですか……ありがとうございました」

 警察署を出てから、教えてもらったばかりの番号にかけてみた。

「えーと」

 行方不明の男性──森元貞和の娘・遥。不明になった当時は、十三歳。現在は三十歳になっているはずだ。もしくは誕生日がまだならば、二九歳。

「もしもし?」

『はい』

「森元さんですか?」

『……そうですけど』

 一瞬、戸惑いがあった。

「わたくし、芸新社の竹宮というものなんですけど、行方不明になったお父様のことで、お話を聞かせてもらえないでしょうか」

『は、はあ……』

 やはり戸惑っている。

「あの、取材とかではなくてですね、お父様の事件が懸賞金になっていることはご存じですよね?」

 芸新社が『週刊ポイント』を出している出版社の名前だと彼女が知っているのかどうかはさておいて、警戒感を解くために、そういう言い回しになった。

『それは……』

「わたしは、その懸賞金制度を創設したCC財団の関係者なんですけど」

『それは知ってますけど……』

 思いもよらぬ言葉が返ってきた。

 知っている?

「あ」

 翔子は、そこで気がついた。彼女の声を聞いたことがある。

 娘の名前は、森元遙。

 その名は知らない。だが声は知っている。

「あなたは……だれですか? わたしも知ってる人ですか?」

 いささか、おかしな質問だった。

『顔を合わせたことはあるはずですけど』

 頭のなかで、つながった。

 よく長山と話しているオペレーターの女性だ。たしか、名前は……。

「杉村さん!?」

『そうです、杉村です。森元というのは、父の姓になります』

 すると「杉村」は、母親の姓ということだろうか? それとも結婚して、その名に変わったか……。「父の姓」という表現からは、おそらく前者であると考えられる。それにオペレーターは、独身女性だけが採用されているはずだ。

「では……杉村さんが、行方不明男性の……」

『……そういうことになります』

 これは、偶然だろうか?

 いや、そんな偶然などありえない。

 どちらかの思惑があるはずだ。

 久我のほうか、彼女のほうか……。

 翔子は、すぐにその推理を打ち消した。

 久我はともかく、森元遙──杉村遙のほうから財団に潜り込んだということはない。今回の四件が発表されるまえに、オペレーターの採用は済んでいたはずだ。

 すると、企みがあるとすれば……久我のほうだ。

「あの、お話……いいですか?」

『え、ええ……わたしにわかることなら』

「いま、財団ですか?」

『はい』

「では、いまからもどりますので」

 もどる、という言い方も、本来ならおかしなことだが、口にした翔子にも違和感はなかった。

 四十分ほどで、財団についた。コールセンターに顔を出すと、杉村遙と眼が合った。彼女のほうでも、気にかけてくれたのだ。

 杉村遙は、となりのボックスにいる同僚に声をかけると、席を立った。二人で本部を出て、すぐ近くの小さな公園に足を運んだ。翔子は初めて訪れた場所だ。遙は、よくここに来ているようで、まるで自分の部屋でくつろぐように、ベンチに腰掛けた。

「さっそくですけど」

 となりに座ると、手帳を取り出しながら、そう切り出した。

 夕刻の公園に子供の姿はなく、べつのベンチにスーツ姿の男性がいるだけだ。大都会の公園だから、そんなものかもしれない。男性のベンチとは距離があるから、ここでの会話を聞かれることもなさそうだった。

「お父様のことなんですけど……」

 とても言い出しづらかった。

「行方不明になった原因はわかりますか?」

 詐欺容疑についてふれるには、勇気がたりなかった。

「……」

 遙は、考えあぐねているようにも、たんに言いたくないようにも見える表情で、沈黙した。

「事件だと思ってますか?」

「……はい」

 力なく答えた。

 自信がないというよりも、それを認めたくないのだと翔子には感じられた。

「どうして、お父様のことが取り上げられたんだと思いますか?」

 四件のうちの一つというのは、やはり不自然だ。

「それは、久我さんに聞いてください」

「杉村さんが採用されたのは、偶然ですか?」

「それも……久我さんに」

 そのとおりだ。彼女の様子からも、なにかの企みがあって財団に近づいたわけではないだろう。もし彼女のほうから近づいたのだとすれば、犯人に対する復讐が考えられる。名乗り出た犯人に、なんらかの──最悪な想像では殺すこと──制裁をくわえる。

 しかし彼女から、そんな暗黒の感情は伝わってこない。

 このことは、久我に話を聞くべきだろう。

「……わたしは、これからとても失礼なことを言っちゃいますけど……気分を害さないでください」

「いいです。なんでも言ってください」

「以前、杉村さんたち家族が住んでいた周辺を聞き込んでみたんですけど……そこで、詐欺の話を耳にしました。杉村さんのお父様、森元貞和さんが、詐欺をはたらいていたと」

「……」

「それは、真実ですか?」

 心臓が張り裂けそうだった。

 彼女の顔も、緊張に赤らんでいた。

「……真実だと思います」

 遙は言った。だが、思います、という曖昧な表現だったことに、翔子は引っかかりをおぼえた。

「杉村さんは、よく知らなかったということですか?」

 証言してくれた人たちの話を総合すると、森元貞和は詐欺をはたらくとき、家族を使っていた。妻と娘をターゲットに会わせて、油断と情を誘う。それが手口だ。

「本当ですか?」

 その問いかけには、少し棘が入っていたかもしれない。

「うすうすは、そういうことなのかな、と思っていました……でも……」

 遙の言葉は、途切れていた。

 でも──信じたくはない……そう続けようとしたのだろうか。

「お母様は?」

「よくわかりません……知っていたのかもしれないし、わたしと同じだったのかもしれない……」

「お父様は──森元貞和さんは、それが原因で事件に巻き込まれたと考えてますか?」

「……だれかに危害をくわえられたのだとすれば、そうだと思います。自らの意思だったとしても、詐欺が関係していたんでしょう」

 警察の捜査から逃れるために姿を消したのか……罪の意識にさいなまれて、自殺を選んだのか……。

 しかし翔子は、その二つの可能性は低いと考えていた。

 警察は詐欺のことなどまったく把握していなかったし、狡猾な犯行からは、悔いて死を選択するような人物像とも思えない。

「……今回の制度で犯人がわかったとしたら、あなたはどうしますか?」

 翔子は、核心をついた。それが一番知りたいことだったのだ。

「どう、とは?」

「もし、犯人自らが名乗り出た場合、その犯人には二千万円が渡ることになります。被害者は一人。読みどおりに詐欺の報復が動機だったとしたら、情状酌量されるでしょう。素人考えですが、死刑になることはないと思います」

「わたしも、同じ意見です」

「犯人は二千万円もの大金を手に入れる。あなたは、それに耐えられますか?」

「……」

 遥は、答えなかった。あたりまえだ。こんなこと、すぐに答えが出せるわけはない。しつこく食い下がりたい気持ちもあったが、翔子はあきらめ、話題を変えた。

「久我さんは、犯人に懸賞金がおりても遺族が賠償などで訴えないというのを、事件を選ぶ条件にしていました。久我さんから、事前にその旨の確認はありましたか?」

「それが……わたしには、なんにも……」

 どういうことだろう?

「お母様は、亡くなっているんですよね? ほかに遺族と呼べる人は?」

 そこまで言って、まだ『遺族』ときまったわけではないことに思い至り、翔子は後悔した。

「ごめんなさい」

「いいんです……」

 遥は、それまでと同じ様子で答えてくれた。

「……わたしだけです」

 すると第四の事件だけは、遺族の承認を得ていないことになる。

 いや、そうとも断言できないか……。ほかの事件の遺族に会っていないのだから。

 しかし、これまでの二件については、遺族からクレームはないようだから、やはり第四の事件だけが例外とみるべきだ。

 いままでも感じていたことだが、第四の事件だけが異質だ。

 事件の知名度や凶悪性などから考慮しても、ほかの三件とは、かけ離れている。

「あの、ここに採用されたことについてなんですけど、そもそも杉村さんから応募なさったんですか?」

「いえ、ちがいます」

「どういうことですか?」

「財団のほうから連絡があったんです。中西さんからでしたけど」

「どういうふうに?」

「犯罪心理学について造詣のある女性をさがしているから、うちで働いてみませんか……と」

「それで、OKしたんですか?」

「はい。ちょうど日本に帰ってきたところで、職探しをしていましたから。防犯に関する企業から内定をもらってたんですけど、そこではわたしのスキルを活かしきれないんじゃないかって迷ってたところでしたので」

 その話を聞いて、確信した。

 久我だ。なんらかの思惑があって、久我は彼女を呼び寄せた。

 その思惑とは、なんだろう?

「……そうだ」

 翔子の脳裏に、ある事柄が浮かび上がった。

「どうしたんですか?」

「あ、いえ……」

 遙に告げるのは、時期尚早だと判断した。

 久我の、詳細なプロフィールを思い出したのだ。

 大金持ちになる、ずっと以前──。

 久我は、両親と妹を亡くしている。一家心中だった。その原因が、詐欺だ。

『詐欺』というワードが合致した。

 森元貞和は、近所の人間に低額の詐欺を繰り返していた。一つの家庭から破産させるような大金を奪ってはいない。そこから考えると、同一人物ではないようにも感じる。

 しかし、それは近所の人たちだけの話なのかもしれない。

 つまり、離れた場所に住んでいた家庭には、高額の詐欺を仕掛けていた。久我の一家のように……。

 それに、自殺した人もいる──そういう証言もあった。

 心中で家族が命を落としたのは、久我が高校生のときだ。森元貞和の行方不明時期とも重なる。

 もしや、と思いたずねてみた。

「杉村さんは、久我さんと会ったことはありますか? ここで知り合う以前に?」

 遙は首をかしげた。思い当たることはなかったようだ。

「当時、久我さんの家は、小さな印刷工場をやっていました」

「印刷工場?」

 反応があった。

「そういえば……」

「心当たりあるんですね?」

「遊びにいったことがあるような……」

 ハッキリしない記憶のようだが、翔子の読みは、あながち的外れではないのかもしれない。

「父がいなくなる一年前ぐらいから、いろいろなところへ連れて行かされましたから……」

 娘を巻き込んでの詐欺を繰り返していたのなら、何軒もの家々に行っていたはずだ。明確に覚えていないのも仕方のないことかもしれない。

「ごめんなさい……もういいかしら」

 彼女にも仕事がある。いつまでも話を聞くわけにはいかないだろう。

「最後に一つだけ……犯罪心理学を専攻なさったのは、お父様のことがあったからですか?」

「そうなのかもしれませんね……」

 そう言い残して、彼女はもどっていった。

 いつのまにか会社員風の男性もいなくなっていて、小さな公園に翔子だけがポツンと取り残されていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る