第11話
13.水曜日午後3時
三鷹の事件解決が、呼び水となった。
懸賞金制度初の解決であり、実際に懸賞金が支払われた効果は絶大だった。マスコミは大々的にそれを報じ、市民は驚きをもって金の強さを実感した。ただし、共犯者・樺島への十億と、だれに懸賞金が支払われたのかは、いまのところ報道されていない。
片桐茂男の逮捕から三日後、上野の通り魔殺人も重要な局面をむかえていた。犯人を名乗る男が情報提供の電話をしてきたのだ。すぐに裏付け調査がおこなわれ、犯人である可能性が高いことがあきらかになった。
男の名は、反町純一。年齢は三二歳。事件発生当時は二十代前半ということになる。
事件は、日曜の白昼に起こった。上野駅前で通行人を無差別に切りつけるという凶行だった。四人が死亡し、七人が負傷した。大勢の目撃者がいたにもかかわらず、犯人は逃亡し、これまで捕まることはなかった。現場に残された凶器のサバイバルナイフと、目撃者の証言から描かれた似顔絵だけが手掛かりだった。ナイフからは指紋も検出されていたのだが、前科者リストにはなく、入手ルートからも容疑者はあがらなかった。似顔絵からは、これまでに百件あまりの情報提供があったのだが、同様に有力なものはなかった。
それが、金の力によって好転したのだ。
長山は、反町の顔写真を見て感心した。似顔絵とソックリだった。よくこれまで捜査の網をくぐり抜けてきたのか不思議に思うほどだった。すでに身柄の確保はすませてある。というより、本人から出頭してきた。電話で、彼は自らを精神障害者だと主張していた。だから、自分は裁判で無罪になるのだと。
この事件の懸賞金は十五億。それを手にするために名乗り出た。
凶器のナイフに残されていた指紋も一致しているし、この男が犯人であることは、ほぼまちがいない。あとは、この男の供述に矛盾がないかを検討するだけである。
無罪になることを考えていながら、懸賞金の受取人に、べつの人間を用意していた。もし裁判で死刑が宣告された場合は、受取人を恋人の女性にしてほしいと申し出があったのだ。
ルール上は、それでもかまわない。
だが──と長山は思う。そこまで周到に計算できる人間に、責任能力が無いわけがない。
判決は、厳しいものになるだろう。
それからまもなく、長山は中西の運転する車で、容疑者・反町純一の恋人の住んでいるアパートに向かった。反町が犯人であることは、捜査一課の判断によって決定がくだされた。これで、懸賞金の契約手続きをすませれば、反町を逮捕できることになる。
当然、責任者である久我もいっしょだ。そして、竹宮翔子も同乗していた。彼女は、片桐茂男の娘を懸賞金の受取人として説得した実績がある。長山も、そのことについては素直に認めなければならない。片桐茂男の自白を引き出したことといい、彼女には特別な能力がそなわっているのかもしれない。いまでは取材する側ではなく、こちら側の人間という意識のほうが強い。
恋人のアパートは、中野にあった。まだ新しく、築五年といったところだろう。単身者用の平均的な物件だ。部屋をたずねると、恋人は在宅していた。年齢を知って驚いた。まだ十九歳だという。三二歳でも老けた印象のある反町からは、とてもミスマッチに感じた。
中西は車で待機しているといっても、大勢で突然押しかけたのだから、恋人は少し面食らったようだった。
「なんのようですか?」
文字にすれば、ちゃんとした日本語だったが、イントネーションには若者言葉の片鱗が残っていた。就職のために、言葉づかいを直している途上なのかもしれない。
「少し、お話よろしいですか?」
久我が言った。
「なんですか? 勧誘でしたら、お断りします」
「私は、こういうものです」
久我は、名刺を渡した。
「CC財団?」
どうやら、ニュースを見る習慣はないようだ。
「とりあえず、いいですか?」
気をきかせたつもりで、長山は警察手帳をかかげた。
恋人の顔色が、途端に青ざめる。
「わ、わたし……なにもしてない……」
「安心してください。あなたへの捜査ではありません。反町純一さんのことです」
「? だれ?」
あきらかに、思い当たっていなかった。
「反町純一さんです」
「だれですか、それ?」
とぼけているわけでもなさそうだ。
「失礼ですけど、おつきあいされている男性がいますよね?」
「はい。いますけど……」
「その男性の名前は?」
少し言うのをためらってから、
「坂本拓也ですけど……」
長山は、思わず久我の顔を見た。さすがの久我も、わけがわからないといったふうだった。
「こういう男性に心当たりはないですか?」
長山は、反町の写真を恋人(?)に渡した。
「ん? 見たことあるような……あっ」
思い出したようだ。
「お店のお客さんです」
写真が返された。
「おつきあいされているわけじゃないんですか?」
「おつきあい?」
彼女は、ぷはっ、と吹き出した。
「はは、そんなわけないじゃないですか! 冗談言わないでくださいよ」
話を聞いてみると、彼女は先月までバイト感覚でキャバクラに勤めていたそうだ。反町は、そのときの客の一人にすぎないということだった。就職したために店を辞めてからは会っていないし、連絡先も知らない、と。
「でも、彼はあなたの家の住所を知っていましたけど」
「え!? あー、そいつだったんだ!」
「そいつって?」
翔子が問いかけた。
「ストーカーよ、ストーカー」
同じ女性だからだろうか、かなり砕けた口調で彼女は答えた。
「なんか、つけられてる気配したんだよね。無言電話とかもあったしー」
翔子が、長山に視線を合わせた。長山は、久我へ送る。
「われわれは、懸賞金の受け取りにつけておうかがいしたんですが」
「なに、それ?」
久我の言葉を、まるで理解してないようだった。
「反町純一さんが受け取れなかった場合、あなたに懸賞金の十五億円が支払われることになります」
「はあ!?」
素っ頓狂な声がアパート中に響いた。どういうことなのか冷静に説明していくが、彼女には常識の範疇を超えたことだったらしい。しまいには、こちらを詐欺師かなにかだと勘違いしていた。
「帰ってください!」
扉を思いっきり閉められてしまった。これでは、反町純一を逮捕することができない。
「わたしにまかせてください」
翔子が言い出した。長山と久我は、それに従うことにした。どのみち、このままでは埒が明かない。さきに車へ向かった。
翔子は、五分ほどでもどってきた。
「どうでした?」
翔子の顔を見るかぎり、進展はなさそうだ。
「一応、言ってきました」
「なにを?」
長山は確かめた。
「ニュースを観るか、新聞を読むかしてください──って」
なるほど、まずは懸賞金制度を理解してもらおうというわけだ。三鷹の事件解決により、ニュースやワイドショーでは連日、懸賞金制度のことを大きく取り上げている。是非を問うものも多いが、とにかく懸賞金のことを彼女に知ってもらうことが一番だ。
「反町のほうは、どうしますか?」
長山は、久我に言った。
「いまのことを伝えて、べつの受取人にしてもらいますか?」
そんなことを反町に言えば、罪を否認するかもしれない。これまでの証拠で公判は維持できるだろうが、今後の制度の根幹を揺るがすことになる。
「長山さんが、いま思った通りです」
久我に心を読まれた。
「犯人は、あの女性を恋人だと信じきっている。もしかしたら、あの女性がいたからこそ情報提供をしてきたのかもしれない」
同感だった。金を残したい相手ができたからこそ、名乗り出たのかもしれない。
反町にとってのベストは、死刑を回避して……もっといえば、責任能力無しで無罪となり、十五億を手にすることだろう。が、反町も、それが難しいことを知っている。知っているからこそ、べつの受取人を用意したはずだ。せめて、あの女性に金を残したいと……。
「ルール上は、どうなりますか?」
長山は、質問した。
「想定していませんでした」
久我の答えに、長山は少し驚いた。この男らしからぬ言葉だったからだ。久我という人間は、緻密に計算し、用意周到で、そして大胆だと感じていた。すべてのハプニングを予見し、先回りする人間だと。
「ですから、あの恋人に受け取ってもらうのがいいでしょう」
「受け取りますか?」
翔子が声をあげた。どこか憮然としていた。
「あの女性……恋人でもなんでもない……ストーカーみたいな男性からの金を」
長山は答えられなかった。久我も黙っている。
「わたしなら、絶対にいりません」
翔子なら、そうかもしれない。真っ直ぐで正義感にあふれる女性だということは、これまでの交流でわかっている。しかし、すべての人間がそうというわけではない。
本当に十五億をくれるのだとしたら、どんな金であれ、了承するかもしれない。
「もし、彼女が受け取らなかったら……どうするんですか?」
翔子は、それを確信しているようだった。
「どうしようかな」
久我の冗談めかした回答に、翔子の眉間の皺が深くなっていた。
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