第10話

      12


 その日のうちに、樺島哲也の供述どおりの場所から拳銃がみつかった。

 茨城県内。樺島の実家だった庭に埋められていた。現在では住む者はなく、廃屋同然となっていたようだ。拳銃は、すぐさま鑑定にかけられた。翌日の朝には三鷹の事件で使用されたものと断定され、樺島と片桐の指紋も検出された。

 強盗殺人および銃刀法違反の容疑で、樺島哲也は逮捕された。おそらく、殺人の容疑だけは否認するものと思われる。同時に、片桐茂男の身柄も確保された。だが、こちらのほうは、まだ逮捕ではない。懸賞金の支払い契約が結ばれるまで、逮捕は保留される。


        * * *


 日曜日、午後四時──。

 翔子は、片桐茂男の娘夫婦が経営する花屋を訪れた。久我と秘書の中西もいっしょだ。いや、今日は彼らについてきたのだ。これから懸賞金の話をしなければならない。

 むこうのほうから、翔子に気がついた。

「いらっしゃい。どうでした? あの鉢植えは」

「はい。プレゼントした男性は、とっても喜んでました……」

「それはよかったです。こちらの方たちは?」

 ただの客には見えなかったのだろう。それとも、久我の顔をテレビで知っていたのかもしれない。

「それなんですけど、わたしが鉢植えをプレゼントしたのは……」

 翔子は、言いよどんだ。とてもではないが、告げられない。しかし、そのために頼み込んで同席させてもらったのだ。

「はい?」

「……プレゼントしたのは、あなたのお父様です」

 彼女の表情が、疑問に歪んだ。

「どういうことでしょう……?」

「その説明は、ぼくのほうからしましょう。久我といいます。CC財団の代表をしています」

「久我……さん?」

 なにかを思い出したような顔になった。

「あの、懸賞金の?」

「そうです。あなたのお父様が、あなたに懸賞金を残したいとおっしゃっています」

「そ、それは……」

「十八億円です」

「う、嘘でしょう!?」

 その「嘘」とは、十八億についてではない。

「ち、父が……父なんですか!?」

「はい。証明されました」

「そ、そんな……」

 絶望の声がもれた。

「ど、どの事件なんですか……」

「三鷹の事件です。三人の女性店員が射殺された」

「あ、ああ……なんてことを……」

 言葉にはならず、涙があふれだす。

「お、おい! どうしたんだ!?」

 夫が奥から飛んできた。

「な、なんだ、なにがあった!?」

「父さんが……父さんが……」

「お父さんがどうかしたのか!? 行方不明のお父さんがみつかったのか!?」

 泣き崩れて、会話にはならなかった。

 久我が、夫にも真実を告げる。とても残酷な光景だった。

「十八億を受け取りますか?」

 久我の問いは、なにかの冗談のようだった。

 泣きながら、彼女はただ首を横に振る。

「そんな金は……もらえません!」

 夫が、かわりに答えた。

「片桐茂男さんは、あなたに譲渡することを望んでいます」

「あ、あんな人……父でもなんでもありません!」

 叫ぶように、彼女は声をあげた。感情が張り裂けてしまったような危うさがあった。

「何度も警察に捕まって……刑務所に入って……」

「あ、あの……いいですか?」

 翔子は、ためらいながらも話しかけた。

「お父様は、あなたのことをとても心配していました。どうしてもお金を残したいと……」

「人様を殺しておいて……そんなお金で、わたしが喜ぶはずないのに……」

「お父様は……片桐茂男さんの命は、あとわずかだそうです」

「……」

 彼女はそれを聞いて、押し黙ってしまった。もちろん、そんなことで罪が消えるわけではないし、彼女への慰めにもならない。

「片桐茂男さんは、たしかに取り返しのつかないことをしました。たぶん、命をつなぎとめられたとしても、死刑判決をうけるでしょう。わたしも、それは当然だと思います。自業自得です。ですけど……お父様は、なんとしても、あなたにお金を残したかった……」

「……なんて、自分勝手な人……」

「そうです。自分勝手で、救いのない人です。でも……なんて言ったらいいのか……あなたを思う気持ちは、本物です!」

「う、うう……」

「それに……いまのお父様は、悪人ではありませんでした……自分の死期が近づいたことで、罪の重さを知ったのだと思います」

「お、遅すぎます……被害者の方たちに、なんと詫びれば……」

「どうでしょう、お金を受け取ってみませんか?」

 翔子は、そう切り出した。

「え!?」

「そのお金をどう使おうと、あなたの自由です。財団のほうから制約をつきつけることはありません」

 確認するように、久我へ目配せした。

「犯罪に使おうと、われわれの関知するところではありません」

 久我は感情を込めることもなく、そう答えた。

「どう使おうと、あなたの自由なんです」

 翔子がなにを言わんとしているのか、彼女にもわかったようだ。

「ああ、それと──懸賞金を受け取ったのが情報提供者本人でなかった場合、その方の個人情報は発表されない」

 久我はつけたした。だが、それは気休めだろうと翔子は考えている。マスコミは、必ず受け取った人間をつきとめる。当然のこと、翔子がそれを書くことはない。できれば、彼女には平穏な暮らしを続けてもらいたかった。

 この、小さな花屋で……。

「わかりました……そのお金で、被害者遺族に賠償します……」

 か細い声で、彼女は言った。

「遺族からは、賠償金訴訟をおこさないと確約をもらっています」

「そんなことは関係ありません……それしか、お詫びのしようが……」

 そこからは、言葉にならなかった。たとえ賠償責任がなくとも、自らの意思で賠償することも可能なはずだ。懸賞金をどう使うかは、本人の自由なのだから。


        * * *


 懸賞金の支払いが成立したと、長山のもとに連絡が入った。

 長山は、ミラー越しに片桐茂男を見ていた。取調室の机上には、小さな鉢植えがのせられていた。可憐な黄色い花を咲かせている。財団との取り決めにより、まだ片桐を逮捕する権限がなかったから、あくまでも参考人聴取ということになる。特例で鉢植えを置くことを許したのだ。片桐の強い希望だった。懸賞金の支払い契約が結ばれた以上、じき片桐は逮捕される。

 あの鉢植えが、片桐にとっては娘なのだ。片桐は、ただ鉢植えをみつめていた。供述は、ほぼ終わっているから、取調官もそれを咎めることはしない。

 四つのうち、一つが解決した。幸なのか、不幸なのか……これで、警察の捜査は変わる。

 片桐の娘に十八億。共犯の樺島にも十億がいく。

 金は、悪人のもとへ。久我がこう言っていることは知っていた。皮肉なのか、彼なりの本質をついた言葉なのかわからない。

 悪辣な者に、金は流れる──。

 そのとおりだと思った。

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