第9話
11.土曜日午後3時
樺島哲也の取り調べがはじまっても、事態に進展はなかった。予想どおり三鷹の事件への関与を否認し、凶器の拳銃についても心当たりがないと答えた。
直接の罪状は、窃盗の容疑だったらしい。が、窃盗といっても、万引きだ。長山の読みが当たっていた。何件かの店で常習的にやっていたようだ。逮捕されたことはない。防犯カメラや監視員の死角で盗み、各店とも疑ってはいても、捕まえるまでにはいたっていないということだった。そういう生活を二十年近く送っていたのだろうから、ある意味、プロ中のプロだ。しかも、もとは強盗殺人犯。万引きなど朝飯前にやってのけるだろう。
万引きで捕まるのは、まだマシな人間なのだ。罪悪感があるから躊躇し、家族やまわりの迷惑を心配するから、発覚しないように挙動不審な動きになる。
捕まらない万引き犯に、罪悪感はない。自己中心で周囲への配慮もないから、挙動不審になることもない。捕まることも考えていないから、あやしい行動をとることもなく盗んでいく。店の人間にとって、自然に盗んでいかれるほど、発見が難しいことはない。
樺島は、まさしくそれだった。裏付けるように、万引きの容疑も認めようとしなかった。もっとも、逮捕したとはいえ、確実な証拠があったわけでもない。あくまでも、三鷹の事件のための別件逮捕だ。逮捕状の請求も、裁判所はしぶしぶ認めたのだろう。三鷹について本格的な追求は、いまの段階ではできないはずだ。樺島自身も、別件だと気づいている。頑として否認を続けるにちがいなかった。
財団のコールセンターのほうにも、新たな情報はなかった。長山は、朝から財団と本庁を何度か行き来していた。それぐらいしかやることがないのだ。一箇所にジッと停滞していることを、身体が拒否していた。
「どうしました?」
財団の廊下で、久我に声をかけられた。
「朝から行ったり来たりしてるようですが」
「落ち着かんのでね」
長山は、素直に答えた。時刻は、昼から夕刻へ移り変わろうとしている。
「共犯の男が捕まったようですね」
「樺島哲也という男です」
無論のこと、樺島の逮捕が三鷹の事件と関連性があることは、マスコミには伏せられている。容疑が濃厚となった時点で、情報がどこからともなくマスコミに流れる仕組みだ。それこそが、警察とマスコミの持ちつ持たれつ関係というわけだ。そして、大きく報道されたのを見計らって、警察が公式に会見を開く。
「否認しているんでしょう?」
「そうです」
「共犯者が自供すれば、片桐茂男の情報が正しかった証明になりますか?」
久我に問われて、長山は戸惑った。そもそも、このルールをつくったのは久我本人ではないか。
「なるとは思いますが……決定的なものは、物証でしょうね」
「凶器ですか?」
「そうです」
「つまり、共犯者が凶器の在り処を吐けばいいわけですね?」
「そういうことになります」
言ってはみたものの、樺島が供述することは、ほぼ無いだろう。長山は、その考えを口にするべきか悩んだ。やめておいた。素人である彼にも、それぐらいの分別はあるはずだ。
「では長山さん、共犯者に渡してもらいたいものがあります」
「え?」
被疑者への差し入れは、逮捕後四八時間、勾留前には原則許可されない。身内ですら面会できないのだ。だが瞬間的に、そういうことを言っているのではない──そう思った。
「そして取り調べで、こう伝えてください──」
「待ってください。私は、担当ではない」
直接の容疑は窃盗だから三課の人間もあたっているだろうが、主導は一課だ。それをのこのこ出ていって、取り調べに立ち会わせてはくれないだろう。特命捜査対策室も捜査一課内のセクションではあるが、それとこれとはべつだ。一課には何人かの知り合いがいるので、彼らに頼むことはできる。が、だからといって簡単なことではない。
「もとは、われわれの案件なんです。どうにかなるでしょう」
久我は軽やかにそう口にするが、そういうわけにもいかない。そもそも長山は、財団に出向している立場になる。警察官ではあるものの、通常の警察官とはちがう。調査権はあっても、捜査権は無いに等しい。
「もし難しいようでしたら、ぼくのほうから口添えしておきましょう」
「……いえ、それにはおよびません」
長山は言った。意地もあったが、それよりもこれ以上、久我の独断で……もっと言えば、金の力で警察が動かされるのは、いけないことだと直感したのだ。
それから長山は、久我から伝言と樺島に渡すものを受け取って、警視庁へ足を向けた。
「長山さんですね、桐野から聞いています」
取調室の前にいた捜査員から、友好的に声をかけられた。おそらく捜査一課の人間であろうが、見たことはない。同じ本庁勤務とはいえ、刑事部だけでもかなりの大人数だ。別フロアにいれば、むしろ知っている顔をさがすほうが困難だ。
桐野というのは、捜査一課の知り合いの一人になる。世代はちがうが、むかしからの知人で、例の誘拐事件でも協力してくれた盟友だ。事前に連絡しておいたのだ。
「無理を言って申し訳ない」
「いいんですよ。一課のエースから、力になってやれって言われてますから」
さっそく、室内に入った。
取調官と相対するように、樺島が座っていた。取調官は、どこか憮然としていた。みながこころよく思ってはいないようだ。仕方なしに、といった様相で、取調官が立ち上がった。年齢は三十代後半で、長山にくらべれば「ひよっこ」だ。捜査一課員の年齢は想像されるよりも若く、三十代ではベテランの域に入る。もちろん彼らが、年配者だからといって遠慮してくるわけではない。
長山は、樺島の正面に座った。昨夜、廊下で眼にしたときよりも邪悪さが増したような面構えをしていた。絶対にしゃべらないという決意が滲み出ていた。
「特命捜査対策室の長山です」
名乗ると、ジロッと威嚇するような視線が返ってきた。
「ある方から、これを預かってきました」
長山は、久我から受け取ったものを樺島に渡した。
一枚の紙だった。A4サイズだ。
「なんだ、こりゃ?」
「読んでください」
樺島は、紙に瞳を落とす。真剣に読むつもりはなさそうだった。
「最近、眼が悪くなってなぁ」
年齢的にありえることだが、この男の場合、そのとおりに受け取るわけにはいかない。
「いいから読んで」
「……ん!?」
読みはじめると、樺島の両眼が驚きに見開かれた。
「なんて書いてある?」
「犯行の凶器を差し出せば……十億円を受領できる……な、なんなんだ!?」
「そこに書いてあるとおりだ。十億と引き替えに、凶器を渡すんだ」
これには樺島だけでなく、取調官や記録係も驚いていた。きっと、隣室でこちらの様子を見ている人間たちも唖然としているにちがいない。免疫のできている長山は、最初に紙を読んだときも、驚きはしなかった。やっぱりそうきたか──と思ったにすぎない。
「な、なんのつもりだ!?」
「凶器を渡せば、十億円が手に入るということだ。ちゃんと、久我猛氏の署名、捺印もしてある」
「ほ、本気なのか!?」
「私は本人ではないので答えかねるが……これまで久我猛という男と接している立場から言わせてもらえば、まちがいなく本気だろうね」
「十億……」
「樺島さん、あなたも懸賞金のことは知っているでしょう? 共犯者が、自分が犯人だと名乗り出ました」
あえて呼び捨てではなく、「さん」づけにした。片桐のことも、包み隠さず伝えた。
「くっ……」
思わず声がもれたようだ。悔しがっているのだ。
「な、なんのことだ……俺は知らん!」
もち直して、そう強がった。
「共犯者は、こう言っています。三人を殺したのは、自分だと。最初に名乗り出て、あなたが主犯だと証言することもできたはずです……それをしなかった。本当に殺したのは、あなたではないのでしょう。つまり、あなたには強盗の罪しかない」
「……」
樺島の顔に赤みがさしていた。どういうことなのかを理解したようだ。
「もちろん、銃刀法や不法侵入の容疑もふくまれるが、殺人は共犯者がもっていってくれる」
「そ、それは……」
「極刑を回避できるかもしれない、ということです」
実際には、五分五分の確率だろう。片桐が嘘を言っていないと仮定すれば、この樺島も積極的に強盗をおこなっている。拳銃を用意したのも、この男のほうだ。いかに三人を射殺したのが片桐のほうでも、樺島にも同程度の判決が出る。
死刑か、無期か。
それを賭けさせるのが、自分の役目なのだと長山は思っていた。久我のたくらみに乗るのは、多少の抵抗が残されていたが……。
「もし死刑を免れることができたら、十億も意味が出てくるんじゃないですか?」
悪魔のように囁きかけた。
「共犯者は……片桐茂男は、十八億を手にできるが、彼の死刑は確実でしょう。それに、片桐の余命はあとわずかのようです。どう転んだとしても、彼自身に金が入ることはない」
「や、やつが……」
「ですが、あなたには、まだそのチャンスが残されている」
「う、う……」
「考えましょう。あなたが、どうするべきなのか」
なんと卑怯なやりとりなのだ。
長山は、自らの発言に恐れを感じていた。これが、莫大な資産をもっている人間の交渉術なのだ。当然、その金は久我のものなのだが、自分はいま、その威光を武器にして、この男を落とそうとしている。もしかしたら、この懸賞金制度が、警察の捜査手法すら変えてしまうかもしれない。
自供を金で釣る。
諸刃の剣だ──長山は思った。
金で犯罪者の心を買うのだ。そこには正義もなければ、高い志もない。ただ、金の力であり、欲望だけがそこにある。警察がそれに頼れば、いつか必ず破綻する。
「け、懸賞金のことを知ったときから、恐れてたんだ……」
樺島の身体は、震えていた。
「や、やつが……バカなことを考えるんじゃないか、と……」
長山はうなずいて、その話を聞いた。
「俺に家族はいない……だが、やつに娘がいることは知ってた……まさかとは思ったが、娘のために懸賞金を残そうとするんじゃないかと……」
金を残したい対象がいなければ、懸賞金は意味をなさない。樺島にとっては、余計な制度でしかなかった。
「ほ、本当に……死刑は回避できるのか!?」
「それはわからない。裁判しだいでしょう」
この男からの自白を引き出したいなら、嘘でも「大丈夫だ」と言っておけばいい。
だが、長山は正直に答えた。
「十億……」
「それを手にしたければ、凶器の在り処を証言するんだ」
「絶対にくれるという保証はどこにある!?」
「こちらを信用してもらうしかない。もっといえば、久我猛という男を」
「信用してもいいんだな……!?」
返事はしなかった。ジッと、樺島のことをみつめた。
「……ある場所に埋めた」
ボソッと、樺島は言った。
取調官の唾を飲む音が聞こえた。
「犯行を認めるんだな?」
「殺してはいない……」
「強盗は認めるんだな?」
樺島は、静かにうなずいた。
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