第4話

        4.水曜日午前9時


 編集部に入るなり、歓声をもってむかえられた。

「よくやったな、竹宮!」

「は、はあ……」

 編集長をはじめ、同僚たちみんなから褒められる日が来ようとは……夢にも思っていなかった。

 とはいえ、自分自身がなにかしたわけではない。たまたま密着取材をしていただけだ。いわば、たなぼた。心苦しさが、どこかに漂っていた。

「いいぞ! あの会見で目立ってたし、名前まで呼ばれたんだ! このまま、久我たけるに食らいつけ!」

「で、ですが……あそこまで注目されちゃったら、ほかの雑誌や新聞社も黙ってないでしょう?」

 昨日の会見から、久我は一躍、時の人となってしまった。朝刊でも全紙一面だったし、テレビのニュースでもトップを飾っていた。出勤のために観てはいないが、おそらくワイドショーでも大きく取り上げているはずだ。そんな状況になったのだから、各社一斉に取材を申し込む。そうなれば、自分一人だけの密着は許されないだろう。

「いや、そうでもねえってよ」

 得意満面に編集長は言い放った。

「べつの社に大学時代の親友がいるんだが、公式な会見以外の取材は断られたって」

「え?」

 しかしそれはつまり、自分たち『週刊ポイント』の密着取材も打ち切りになってしまったということではないのだろうか?

「じゃあ、わたしも……」

「そうじゃねえ。うちだけは、OKってことらしい」

「本当ですか!?」

「ああ。さっき電話で確認したから、まちがいじゃねえ。まだ注目されるまえから取材を申し込んでいたことと、おまえが昨日の会見を盛り上げてくれたからだそうだ」

 だとしたら、こうして褒められることは、あながち「たなぼた」というわけではないようだ。

「いいか! 次号では、おまえの記事メインでいくからな!」

「は、はい!」

 胸が踊った。まるで、高額の懸賞金を手にしたような高揚感があった。久我が幸運で大富豪になったのと同じように、自分もそういうめぐり合わせに出くわしたのかもしれない。


        * * *


 深夜から早朝にかけての電話内容について、長山は手短に担当者から報告をうけた。オペレーターは女性ばかりだが、その担当者は男性だった。元判事という肩書だと紹介されていた。

「とくに裏付けを必要とするような情報はありませんでした」

 つまり、ガセネタかイタズラ、もしくはこれまでの報道で知られている事実しかなかったということだ。莫大な金を提示されれば、困窮している者ならば、だれでも欲をかきたくなる。

 長山は、自席についた。昨夜の電話が忘れられない。あの人物は、またかけてくるだろうか?

 金に困っていれば、なんとしても手に入れようとするだろう。だが、捕まれば死刑だ。そのリスクを負ってまで、はたして罪を認めるだろうか……。

 そう思ったところで、笑いがこみ上げた。あの電話の主を犯人と決めつけている。もっといえば、犯罪者は困窮しているから、懸賞金に眼がくらむものと考えている自分がいる。それもこれも、こうして思いをめぐらせる時間があるからだ。捜査に忙殺される日々がなつかしかった。足を使って情報を仕入れ、頭はそれを精査するためだけに回転させる。それこそが、刑事の本分だ。

 電話機が音をたてた。昨夜の声を思い浮かべながら、長山は受話器を取った。

「もしもし?」

『は、はい……』

 若い声だった。別人だ。

「まずは、お名前を言っていただけますか?」

『……』

「言っていただかないと、懸賞金の受け取りはできませんよ」

『約束してくれますか……必ず、くれると』

「その情報が犯人逮捕につながれば、必ずお支払いしますよ」

『……服部です』

「下のお名前は?」

『服部幸弘です』

「年齢は?」

『十五です』

 未成年ということになる。しかし、声はそこまで幼くない。

「どういった情報でしょうか?」

『あ、あの……ぼくが、殺しました』

「はい?」

『ぼくが殺したんです』

「どの事件ですか?」

『練馬の……』

 一家五人殺害──。

「もしそれが本当なら、あなたは生まれるまえに凶悪事件を起こしたことになりますね?」

 声音には真実味がこもっていたが、どうやらイタズラのようだ。年齢も偽りだ。若いとはいっても、おそらく二十代後半ぐらいであるはずだ。

『本当です!』

「でしたら、あなたが犯人だという証明が必要になりますよ」

『証明……?』

「犯人しか知りえない情報をもっていますか?」

『ぼくが殺したんです! ぼくが……』

 切られた。嘘が破綻して、会話を続けられなくなったのだ。

 長山は、受話器を置いた。視線の隅で、だれかが近づいてくるのが見えた。オペレーターの一人だった。昨夜、あの電話を受けた女性だとわかった。

「あの……」

 ためらいがちに声をかけられた。

「お話、よろしいでしょうか?」

「どうぞ」

 いまの電話について、なにか言いたいことがあるようだ。長山は、廊下へ彼女を誘った。

 周囲に人はいない。彼女は、杉村遙と名乗った。じつは昨夜の段階で、長山はそれを知っていた。彼女の経歴に興味があったので調べていたのだ。

 年齢は、二九。海外に留学経験もあり、犯罪心理学のエキスパートということだった。臨床心理士の顔ももっており、まさしく犯罪者からの話を聞く職業にはうってつけといえる。そのことを伝えると、彼女は照れたように否定した。その様子だけなら、どこの会社にでもいるOLのようだった。

「いえ、わたしに経験はありません。大学での研究だけです。臨床にしても、少し治療に立ち会わせてもらっただけですから」

 年齢からいえば、経験不足なのはそのとおりなのだろうが、長山の刑事の勘が、それは謙遜だと告げている。

「……で、いまの電話についてですか?」

「そうです。どう思いましたか?」

「最初、声を聞いたときは、犯人かもしれないと思いましたけどね……年齢が合わない。もちろん、十五歳というのは嘘でしょう。しかしそれにしても、声は二七か八……いずれにしても、当時は少年です」

「それなんですけど……」

「どうしましたか?」

「犯人ではないと思いますけど……嘘を言っているとも言い切れないような」

 彼女の言葉も、歯切れが悪い。

「それにしても、年齢が──」

 言っている途中で、長山もある可能性に気がついた。

 なぜ、練馬一家殺害の犯人が未成年でないと安易に考えるのだ。いや、それどころか当時はその可能性を疑っていたではないか。未成年説、外国人犯罪説──その他、いろいろな説が飛び交っていた。まったく糸口のない未解決事件においては、そういう噂がついてまわる。当然、捜査員もその線を考える。

「たぶんですけど……」

 そう前置きをしてから、彼女は続けた。

「当時の年齢ではないでしょうか?」

 十五歳というのが当時の年齢だとしたら、現在は三三、四歳になる。

「声音は変えていたと思うんです。わたしには、それを差し引けば、自分よりは少し年上だろうと」

 世代の近い彼女のほうが、年齢の感覚は的確だと考えるべきかもしれない。

「名前については、どう思いますか?」

 本来なら民間人を頼るべき質問ではなかった。が、彼女の優秀さがよくわかるだけに、長山は自然な流れでたずねてしまった。悪いことだとは思わなかった。

「本名だと……。ちがうとしても、その名に意味があるはずです」

 彼女は──杉村遙は、迷いながらも言った。長山は半々の確率だとふんでいたが、その言葉に後押しされた。

「服部幸弘、という人物について調べてみます」

 もしかしたら捜査対象者のなかに、その名前があったかもしれない。

 電話の声だけで捜査をするのは約束違反になってしまうが、情報の裏付けという名目であれば問題ないはずだ。無論その結果、服部幸弘が犯人だったとしても、逮捕はできない。それはわかっていても、事件の手掛かりをつかんだのに、なんの行動もおこさなければ、もはや警察官ではなくなってしまう。

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