第3話
3.火曜日午後7時
会見の模様が夜のニュースで流れるやいなや、CC財団の一室に設けられた情報提供窓口の電話が、いっせいに鳴り出した。電話機は、合計で二十台ほどが設置されている。
オペレーターは、財団のほうで用意した職員だ。もちろん、通販会社のようにパートの人間にやらせるわけにはいかない。身元のしっかりした適任者が選ばれている。
長山にも専用の席が確保されている。ここにいるときは、もたらされる情報に、どれだけ信憑性があるかを推し量る役目だ。億を超える金額目当てに、偽の情報を伝える輩も多いことが予想される。長山がいないときにも、本庁からほかのだれかが来ることになっている。いわば、特命捜査対策室の出張所といったところだ。
本庁のほうにも専用の部屋が用意され、ここで得た情報をすぐに共有できる体制が整っている。そちらのほうは無論のこと、全員が警察官ということになる。
広報の楠本は、すでにいない。彼が捜査に加わることはないし、世間に発表することがあるときにだけ動いてもらうことになる。
オペレーターは、女性だけだった。そういう基準で採用したわけではないだろうが、みな若くて美しい。職務形態が不規則なので、原則として独身者を雇用しているという。
「心配はありません」
言ったのは、かたわらに立っていた中西だった。
「彼女たちは、ある者は、心理学のスペシャリストで、またある者は、犯罪社会学の専門家です。経済学に精通している方もいる」
最初の二つはわかるが、経済学は──そう考えたところで、意味を理解した。最高額で二十億の金が行ったり来たりするのだ。これはある意味、経済でもある。
「彼女たちは自分の判断で、嘘か真実かを見極めます。彼女たちのふるいにかからなかったものだけが、長山さんのもとに来るのです」
そう言って中西の視線が、机上の電話に向けられていた。まだ一度も音を立てていない。これだけは、外部から直接かかってくることはない。
彼女たちの働きぶりは見事だった。次々に電話をさばいていく。どうやら、有力だと思われる情報はないようだ。あたりまえだ。何年間も警察が血眼になって捜査していたのに解決していない事件ばかりだ。簡単に情報が入るわけがない。
ほとんどが金目当てのガセネタか、イタズラのたぐいだろう。
「しばらくは……こちらの仕事はないようですね」
長山は、部屋の壁際に置かれたホワイトボードに眼をやった。
そこに、四件の概要が書かれている。
二時間サスペンスではよく見かけるものだが、実際の捜査本部ではそんなことに使用されない。せいぜい置かれていたとしても、連絡事項を記すぐらいのものだ。警察署には民間人の出入りもめずらしくない。証拠の写真や、容疑者の名前などが書いてあると、それこそ捜査情報の流出ということになる。
ここは警察署ではないし、ボードに記されているのは、あくまでも事件の概要だけだ。
練馬一家五人殺害事件。
三鷹ディスカウントストア射殺強盗事件。
上野通り魔殺人事件。
足立区会社員行方不明事件。
錚々たる──不謹慎であるが──事件のなかで、四件目だけが浮いていた。正直に告白して、長山はその事件を知らなかった。
行方不明事件……ということは、殺人ではないのだろうか?
ボードには、2007年ごろ、足立区の江北に住む会社員男性が行方不明になっている事件──としか記されていない。長山は特命捜査対策室に呼ばれるまえは、足立区の鹿浜暑に所属していた。そこで迷宮入りしていた誘拐事件を解決している。
足立区は、もともと千住署と西新井暑、綾瀬暑、竹の塚暑で全域をカバーしていたが、犯罪の増加にともない新たに西部を管轄にした鹿浜暑が新設された。江北の管轄は現在では鹿浜署になるが、2007年当時はまだ西新井暑だった。が、鹿浜暑には長山も配属されていた未解決事件を専門にあつかう部署が刑事課に設けられていて、足立区のほかの署からも解決の見込めないものが集まってくる。かつての同僚に問い合わせてみたが、捜索願届けは西新井暑が受理していた。だが事件化はされておらず、今回のことを受けて急遽、鹿浜暑に移管されたということだった。
懸賞金が、二千万円。
知らない事件だけに、それが安いのか高いのか、長山にはわからない。ただ、ほかの事件よりは、たいぶ低い。
「……」
なぜ、この事件を選んだのだろう?
長山は、中西に質問しようかと思った。久我本人は、部屋にいない。最上階の自室にいるのか、はたまた、どこかで取材をうけているのか……。
やめておいた。納得のいく答えが、中西の口から出てくるとは思えなかったからだ。
その後も、電話の音とオペレーターの声が途絶えることはなかった。しかし、長山の電話が鳴ることはない。二四時間体制でこの部屋は稼働することになるようだが、当然、彼女たちは交代制なのだろう。長山も、いつまでもここにいることはできない。刑事に厳密な勤務時間というものは存在しないが、ここへ詰める時間は、朝九時から夕方六時までとなっている。今夜は会見直後ということで、特別だ。おそらく数日は不規則になるのではないか。もちろん常駐時間内でも、捜査のために席をはずすことも多くなるだろうし、逆に時間外でもいることがあるだろう。
この制度が、どれほど長く続くのか、世間に定着していくのかわからない。だがしばらくは、ここが職場になるようだ。
そのときだった。眼の前の電話が鳴り出していた。
一拍置いてから、受話器を取った。オペレーターの声が、いまつなげます、と告げた。一瞬だけ雑音が入った。提供者の電話とつながったことを意味する。
「もしもし?」
しかし、相手からの返事はない。
「もしもし?」
繰り返した。
『……なのか?』
よく聞き取れなかった。
「もしもし?」
『本当なのか……』
「お話を聞かせてもらえませんか?」
『本当なのか? 本当に金をくれるのか!?』
「犯人逮捕につながる情報でしたら、お支払いしますよ」
『十八億……くれるのか!?』
「あなたのお名前は?」
声は、押し黙ってしまった。
「実名をおっしゃっていただかないと、支払いは無効になりますよ」
『信用できない……またかける』
そう言って、通話は切られた。
年齢は、五十代以上だと推測できる。男。十八億ということは、三鷹の強盗殺人……。
オペレーターの一人が、長山のほう見ていた。いまの電話を受けた女性だろう。長山は手をあげて合図した。それを確認すると、女性はまた電話対応にもどっていった。たしかに、優秀な女性たちのようだ。長年の経験からいっても、いまの人物が犯人である可能性は高い。
残念ながら、この部屋の電話には逆探知機能はついていない。かかってきた番号が表示されることもない。規則として、電話会社に通話記録などの問い合わせもできないことになっている。たとえ警察の権限を使ってもだ。
犯人が直接かけてくるかもしれない以上、電話だけで捜査がおよぶことはないと信じてもらわなければならない。警察のほうも、電話の内容だけで犯人を特定してはいけないという確約を、財団と結んでいる。
長山たちの仕事は、あくまでも情報の裏付けである。提供者が犯人自らであった場合、とくにその部分を注意しなければならない。結果、犯人であると断定できたときは、懸賞金の引き渡し、もしくはその手続きを完了させた段階で、べつの捜査員が逮捕することになる。自首として認められるかどうかは、微妙なところだ。いや、法的には認められるのかもしれないが、多額の懸賞金と引き替えにするのだから、裁判でも考慮はされないだろう。
いまの電話の主は、またかけてくるだろうか?
声の印象からは、金に興味がある……困っている……そんな感じだった。
急に、もどかしさが胸を満たした。
事件解決に、はたしていまの行動は役立っているのだろうか?
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