第2話
2.火曜日午後2時
長山は、退屈な時間を過ごしていた。
これまでに、何度も何度も打ち合わせを重ねた。上と、彼らとの調整が、最近の長山の仕事だった。本来は、そんな官僚めいた職種ではない。
警察官。事件を追い、犯人をつきとめる使命のはずだ。それなのに、いまの仕事は張り合いがなく、それでいて無駄に時間だけがかかっている。
費やす時間の多さでは、本職も負けていない。いや、それ以上かもしれない。大変な労力もかかる。しかしそれでも自分には、こういう段取り仕事は向いていない──と長山は実感している。
長山は、警察官でも特殊な任務をおびている。
警視庁特命捜査対策室──。
刑事部捜査一課に属する部署であり、おもに迷宮入りした事件をあつかっている。歴史はまだ浅く、2009年に設立されたばかりのセクションだ。
「長山さんは、あの事件を解決したんですよね?」
同席している楠本に、そう話しかけられた。彼とその話をするのは、これで三度目になる。気持ちはわからないでもない。世間話はしつくしているし、趣味の話をするには世代がちがいすぎる。長山は、もうすぐで定年をむかえる。楠本は、まだ二三歳だ。警視庁総務部広報課に所属している。警視庁職員ではあるが、警察官ではなく、事務職採用だ。職務形態も経歴もまるで噛み合わない二人が、長時間待たされているのだから、これまでにしたことのある話でも繰り返さなくては場がもたない。
平均的な広さの応接室だった。ここの最上階の部屋で打ち合わせをしたこともあるのだが、信じられないほど無駄に広かった。あのときは落ち着かなかった。それにくらべれば、ここで待つことは苦痛ではない。ただ退屈なのだ。
このあと、となりにあるという大広間で会見がおこなわれる。楠本とともに、それに出席しなければならない。
「長山さん?」
まったく返事をしなかったから、会話を続けるために楠本が催促したのだ。
「あ、ああ、なんでしたっけ?」
「あの事件ですよ、あの事件」
「ああ……そういうことになるんですかね」
曖昧に長山は答えた。楠本の口にした事件とは、六年間未解決だった誘拐事件のことだ。当時五歳の少女が誘拐された。長山には、それを解決した実績がある。
「それで、本店のほうに呼ばれたんですよね?」
厳密には警察官でない楠本から「本店」という俗語が出たのは、妙に感じられた。
「そうですよ。こんな歳になってから、はじめてね」
正確には、はじめてではない。三十年以上前──まだ長山が若手だったころに、欠員補充で三ヵ月ほど捜査一課にいたことがある。だが、ほとんどが所轄署を渡り歩き、一線から退いたあとは、未解決事件の捜査にまわされていた。結果として、それが本庁に栄転できるきっかけになったのだ。
しかし長山は、所轄署であろうと、本庁勤務であろうと、こだわりはなかった。それに誘拐事件を解決できたのも、自分一人の手柄ではない。信頼できる協力者があってこその結果だ。
「コールドケース専門の特命捜査対策室に招かれた形ですよね? まさしく、未解決事件の専門家だ」
「やめてくださいよ。たった一件、解決しただけですから」
「ご謙遜を」
じつは、いまのやりとりも三回目だ。が、長山は、はじめてのようにつきあった。もしかしたら、楠本のほうもそれを承知でしているのかもしれない。
「お待たせしました」
部屋の扉が開いた。
代表秘書の中西が、ようやくやって来たのだ。
「申し訳ありません。こちらの準備がてまどりまして」
「いいですよ。われわれはヒマですから」
嫌味を半分混ぜて、長山は言った。
楠本は華々しい肩書とでも思っているようだが、本庁に呼ばれたからといっても、やっていることは金持ちの道楽につきあう程度のことだ。同じ未解決事件をあつかうのだとしても、所轄署時代のほうがまだ働けた。
「会見は、十分後です。よろしくお願いします」
「はい、わかっています」
これから、ここの代表である久我
捜査特別報奨金制度──。
公的懸賞金制度とも呼ばれるそれは、2007年の四月一日より施行された。未解決事件に警察が懸賞金をかけるものだ。それ以前にも遺族などが懸賞金をかけることはあったが、それを公的にしたものだ。金額は、百万円から三百万円が平均的な相場になっている。最高では、一千万という規定がある。この財団は、その資金を提供する目的のもとに設立された。代表の久我猛は、莫大な遺産を相続した大資産家である。その金を、懸賞金にあてるということのようだ。
すでに政界への根回しはすんでいるようで、警察庁との協力体制も整っている。おそらくそのあたりは、遺産のもとの持ち主である黒神藤吾の権勢が影響しているであろう。政界・財界を牛耳ると噂されていた黒神の名前をもってすれば、そんなことぐらいは簡単なはずだ。
まず手始めに警視庁と財団との関係が、このあとの会見で公のものとなる。懸賞金の出所が、税金や遺族の資金ではなく、CC財団──つまりは、黒神藤吾の遺産から出ることになるという発表だ。
警視庁の担当が特命捜査対策室の長山であり、広報を受け持つのが楠本なのだ。楠本は会見をまえにして少し緊張気味のようだが、長山はどこか冷めている。懸賞金のルールが独特で、絶対に賛否があることがわかっているからだ。
「では、時間です。お二人とも、よろしくお願いします」
重い足取りで、長山は会見場へと向かった。
* * *
密着取材をしているという理由で、最前列の席を用意してもらった。竹宮翔子は、自分自身が偉くなったような妄想にかられた。会場は、あの部屋ほどではないが広く、記者の数も多い。世間的に影響力があるとも思えなかったが、さすがは大金持ちだ。人を集める力は本物のようだった。
予定時間になり、まずは三人の男性が姿をあらわした。一人は知っている。中西という秘書だ。この席を用意してくれたのも彼だった。残りのうち一人はまだ若く、役所の窓口にいそうな青年だ。残りの一人は五十代ほどで、いぶし銀を絵に描いたような風貌だった。ベテラン俳優に似たような人がいる。もしくは親戚のおじさんにいたかもしれない。
「みなさま、お待たせしました。これより、わがCC財団の今後の活動について、代表である久我猛より報告があります」
中西が、マイクを手に言った。彼が司会をつとめるようだ。とても丁寧で、品の良いしゃべり方だった。
すると、主役である久我猛が登場した。
その途端、会場内をどよめきのような……ため息のようなものが満たした。それまで、どこか仕事だからという義務感を漂わせていた記者たちが、本気の興味を抱いたのがわかった。久我のカリスマ性に、みながようやく気づいたのだ。翔子は、昨日のうちにそれを知っている。特権意識が自然に芽生えた。
「どうも、代表の久我です」
ただの成り金だと揶揄する噂は、だれでも知っている。マスコミ関係者であれば、なおさらだ。そんな記者、カメラマンたちが、大物に化けた久我猛に息をのんだ。翔子は、胸がすく思いだった。
「では、さっそくですが、わがCC財団の活動について説明させていただきます。CCの意味は『コールドケース』を意味します。未解決事件の早期解決を願う一人として、財団の資金を公的懸賞金として提供することを、ここに発表させてもらいます」
会場内に、戸惑いの空気がわきあがった。こんな記者会見をしてまで発表すべきことなのか、という疑問だった。正直、翔子も同様な感想をもった。すでに懸賞金という制度は一般的なものとなっている。むかしは遺族が私的にかけたものだが、いまでは公金が使われ、三百万円ほどの懸賞金は見慣れている。大富豪の金の使い道にしては、いささかこじんまりしているのではないか。
「公的懸賞金──捜査特別報奨金制度での上限金額は、一千万円と規定されていますが、わが財団が提供する懸賞金には、上限は設定されません」
「え?」
思わず翔子は声をあげてしまった。いや、それは翔子だけではなかった。ほかの記者たちも同じだ。
上限がない……とは?
「わが財団が懸賞金をかけるということは、とても凶悪で、必ず解決しなければならない重大事件ということになります。ですから、少なくとも億の単位はあるものと考えてもらって結構です」
騒然となった。あたりまえだ。億単位の懸賞金だなんて。
「さらに、懸賞金支払いのルールがあるわけですが……一応、現状のものを参考までにおさらいさせてください」
現在の制度において、懸賞金が支払われないケースを久我はあげていった。
一、情報提供者が、犯人もしくは共犯者であった場合。
一、情報提供者が、偽名を使い、個人が特定できない場合。
一、情報提供者が、警察官もしくはその親族であった場合。
一、情報提供者が、その情報を提供するにあたって、法律を犯した場合。
「このうち、最初の一項──情報提供者が、犯人および共犯者であった場合──というのを、新しいルールにおいては除外することになります」
場内の騒がしさは、ピークをむかえた。
「それは、犯人自身が名乗り出た場合、懸賞金を支払うということですか!?」
記者の一人が、たまらずに質問した。
「そういうことになります」
懸賞金は、億を超えるということだから、犯罪者が億万長者になるということだ。犯罪者のなかでも『凶悪犯』というからには、殺人を犯しているはずだ。そんな人間に……。
「犯人は当然、逮捕されるわけでしょう!? それなのに、金を払うんですか!?」
その記者は食ってかかる。到底、理解できないというように。
「そうです。犯人であろうと、金は支払われます」
平然と久我は言った。
「われわれの目的は、この世から未解決事件をなくすことです」
「金で、自首をうながすということですか!?」
「自首をするかしないかは犯人しだいです。われわれは、多額の懸賞金をかける。それによって、一つでも事件が解決することを願うのみです」
久我の言いぐさは、どこか焦点をぼかしているように翔子には感じられた。いつのまにか、翔子自身も会見に引き込まれていた。
傍観者から、騒動の輪のなかに──。
「あ、あの……」
自分でも声をあげていたのが意外だった。
「竹宮さんでしたね、なんでしょう?」
「は、はい……凶悪犯ということは、最高刑が死刑ということも考えられるわけですよね?」
「というより、そういう事件を多くあつかうことになるでしょう」
「……い、いくら億の金をもらえるからといっても、名乗り出る人はいますかね? だって、死刑になってしまったら、せっかくのお金も使えないじゃないですか」
久我が一瞬、笑ったような気がした。
「では、犯人が名乗り出た場合の支払いルールを明確にしたいと思います」
そう言って久我は、視線を会場全体にはしらせた。
「まず、最高刑が懲役刑と想定される場合ですが、これはとくに問題ないと思います。いずれは出てくるのですから、そのまま犯人に支払われます。刑に服するまえに受け取るのか、それとも刑期を終えたあとに受け取るのかは、犯人が選択できます。問題は無期懲役、有期刑ではあるが犯人が高齢の場合。つまり、生きて出られるかわかないとき。そして、竹宮さんが危惧されたようなケースですね」
自分の名が出されたことに、気恥ずかしさと、この会見の中心に入り込んだ優越感が同居していた。
「死刑が確定した、もしくは死刑が濃厚な場合──その他、刑務所から生きて出られる保証がない場合は、懸賞金をべつの人間に譲渡することができるようにします」
ざわつきが、より一層、増した。
「家族に残すのもいいですし、親しい他人でもいい。どうするのかは、犯人の自由です。ボランティア団体に寄付してもいい」
「そ、それは……犯人が被害者遺族に渡すということを願ってのルールでしょうか!?」
翔子は、思ったままを質問した。
「ちがいます。これもルールの一つになりますが、われわれはその金の使い道を、情報提供者──この場合、とくに犯人であったと仮定していますが、いっさい口出しはいたしません。無責任と思われるかもしれませんが、犯罪組織に金が渡ったとしても、われわれの関知するところではありません」
突き放すように、久我は宣言した。
「それと、この懸賞金をかけるにあたって、もう一つクリアにしておくことがあります」
騒然としているなか、話題を変えた。
「せっかく金を手に入れても、遺族から訴えられたら、多額の賠償金を払わなければならないかもしれない。それでは、懸賞金めあてに自首する人間はいないでしょう。そこで懸賞金をかける事件は、遺族が訴えないと誓約してくれたものにかぎります」
はたして、そんな遺族が存在するのだろうか?
犯人なのに、大金持ちに──本人が死刑になったとしても、その関係者が億万長者になるのだ。自分が遺族だったら……と、翔子は考えてしまう。
「犯人が受け取らなかった場合──近親者などに譲渡する場合ですが、だれに金が渡ったかを公表することはありません」
なるほど、懸賞金をエサに犯人の自首を誘う制度は整っているということだ。あとは、世間がそれを受け入れるか。そして、犯人がこの内容を信じるか、だ。
「ではここで、実際に懸賞金をかける事件を発表します」
その言葉に、翔子だけでなく、場内にいるマスコミ関係者全員が驚いた。まさか、そこまで具体的に発表があるとは、だれも思っていなかった。
「まず一件目は──」
ということは、一件だけではないことになる。
「2005年に練馬区でおこった、一家五人殺害事件」
そう聞いただけで、どんな事件なのか翔子にもわかった。未解決重要事件と耳にして、だれもが最初にこの事件のことを頭に浮かべるのではないか。翔子は当時、まだ小学生だったが、それでもよく知っている事件だった。
「懸賞金額は、二十億円」
「え!?」
最初、聞きまちがったのかと思った。だが、久我の表情は自信に満ちている。けっして言いまちがいなどではない。
億単位とはいっても、そこまでの高額とは……いくらなんでも。
「二件目は、2003年に発生した、三鷹ディスカウントストア射殺強盗事件」
それも知っている。リアルタイムでは観ていないが、ときどき未解決事件のニュースでよく特集を組まれている。
「懸賞金額は、十八億円」
次いで、三件目──2013年の『上野通り魔殺人』。
金額は十五億。
四件目。2007年ごろ。足立区会社員行方不明事件。
金額は、二千万円。
──以上の発表があった。
「被害者遺族の方々には、民事裁判を起こさない旨を了承していただいております」
四件目以外は、翔子でも知っている事件だった。
「金額の増減で、事件の重大さが変わるわけではありません。当然のこと、被害者の命の重さが変わるわけでもありません。ですが、被害者の人数や経過年数、そのほかの事情を考慮させていただいて、このような金額を出させていただきました」
すでに会場のだれもが、久我の魔術にかかっていた。
「みなさんならご存じでしょうが、懸賞金は一時所得として税金がかかります。二十億だとして、半分の十億ほどが税金の対象になるわけですから、その場合、住民税が一億ほど。所得税が、三億から四億のあいだでしょうか。五億が税金に取られるとしても、十五億は残ることになります。もちろん、事件とは関わりのない情報提供者でも受け取ることができる。また、犯人であったとしても、責任をもって全額をお支払いします」
そして、最後に──。
「一日も早い事件解決を、心から願っています」
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